平重盛が嫡男。母は不詳。
「姿、まことに絵物語いひたてたるやうにうつくしく見え」光源氏を連想したという。
重盛が亡くなると、平家の嫡流として平家一門を束ねる立場であったが、祖父清盛の専横のあげく、叔父の宗盛に主権を奪われてしまう。
富士川での源頼朝との戦いでは、水鳥の羽音に驚いて戦わずしてあえなく敗走。清盛はそれについて激怒する。あやうく維盛は流罪に処されるところであった。
倶利伽羅峠の戦いでも木曽義仲に大敗北を喫す。
都落ちの際に妻子を都に残したために一門の中で浮いた存在となる。一の谷の合戦では病のため参戦せず、屋島から抜け出し高野山にて出家、のちに熊野沖で入水したという。
生存説は各地に存在し、熊野で隠居していた説や吉野下市の鮨屋にかくまわれたとの説もある。
生まれてはついひに死にてふことのみぞ
さだめなき世のさだめあるかな。
困ったときには