【死の画家ティスニカル】について。
−SLIKA JOŽE TISNIKAR−
1928〜1998
ユーゴスラビアとオーストリアの国境から10キロ離れた、スロヴェニ・グラディッツのスロヴェンという小さな町で病院の夜勤要員として働きながら、死体を解剖してその生命を再び自己の作品(絵画)に復活させていたヨージェ・ティスニカル。
「仕事が終わるとき、私は黒い布で死体をおおう。
私は立ちつくし、死んだ人がたどってきた生涯について考えをめぐらす。
昨年、先月、昨日、彼は何をしていたのか?
彼の最後の望みは、また最後の言葉は何だったのか?
私は彼、または彼女がいろいろな状況に居ることを想像し、これらの場面を書いたのだった。」
「私の絵はなんら恐ろしいものではない。そして同様に 死ぬことも…それは正常で自然なものだ
ティスニカルは、人間が痕跡も無く、消滅し、存在しなくなるという事実に甘んじることが出来ない。
彼は、人間の永遠のテーマ、人間存在とは何か、死とは何かを激しく問いかける。
死を見つめる中で、自己実現を果たしていく魂の遍歴。
ティスニカルは生命を愛し、希求するあまり、人間が死んでいくという事が諦められないのである。
「果たして、人が死んだ後には何が残るのか?」
こうも言う。
「残るものはこれらの人々(死者)の思い出であり、彼らを覚えている人間が生きている限り、彼らもある意味で生きているといえる。」
毎日彼は孤独と死体に向き合い、25年間で8000体もの解剖をしてきた。
中には知人、さっき会った人、男も女も子供も老人も、様々な死があった。
彼は、誰からも訓練を受けることなく、貧しい生活の中、有機体から自ら緑色の絵の具を作り、日々死者たちを蘇生させていった。
恒文社 1980年刊
ネボイシア・トマシェヴィッチ/著
ヨージェ・ティスニカル/画
徳田良仁/訳
『死の画家ティスニカル』より抜粋/引用
ISBNコード:978-4-7704-0366-7(4-7704-0366-6)
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