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オットー・クレンペラー

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コミュ内全体

詳細 2024年3月9日 20:41更新

様々な逸話に彩られた孤高の指揮者クレンペラー。

英国では未だ多くの録音が愛聴され、曲によっては録音評の比較基準にされることも。

ここでは知られざる名盤、珍盤、様々な逸話など、幅広い情報提供を通じてクレンペラーを再発見していただき、大げさに言えば、この巨匠の再評価を促したいと思います。積極的な書き込みをお願いします!

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Otto Klemperer
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オットー・クレンペラー(1885〜1973)

1885年:ドイツ領ブレスラゥでユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれる。

1906年:オスカー・フリートの代役として「天国と地獄」でデビュー。その後、マーラーの推薦を受け、プラハを皮切りに様々な歌劇場の指揮者となる。その当時から抑鬱症の兆候があったと言われている。

1927年:ベルリン第二国立歌劇場としてクロール・オペラが設立され、その総監督に就任。意欲的に新しいオペラの初演や、新しい演出など、さまざまな試みを行う。

1933年:政権を握ったナチスから追われるようにアメリカに亡命。ロサンゼルスフィルの常任指揮者となる。

1938年:脳腫瘍にかかり、演奏活動から遠ざかる。(1933年ライプツィヒでリハーサル中の指揮台からの転落事故が遠因かも知れない、とクレンペラーは語っている。)

1946年:帰欧。ストックホルムで復帰公演。1947年ブタペスト国立歌劇場の音楽監督に就任するが、政治の壁のため3年で離任。

1951年:モントリオール空港で転倒、腰の骨を骨折。その入院生活とアメリカの帰化外国人の法律のため1954年までヨーロッパに戻れなかった。

1954年:ヨーロッパに戻ったクレンペラーは最期までチューリッヒに居を構える。

1955年:EMIプロデューサー、ウォルター・レッグの招きでロンドンへ。フィルハーモニア管弦楽団を振ってレコードを作り始める。

1959年:レッグと終身契約。その間(1958年)ベッドでの寝煙草が原因で大やけどを負う。

1964年:レッグのEMI離職と共にフィルハーモニアの解散。フィルハーモニアのメンバーによってニュー・フィルハーモニア管弦楽団が組織され、請われて会長になる。

1972年:演奏活動から引退。

1973年:チューリッヒにて没。

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開設日
2004年8月19日

7152日間運営

カテゴリ
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