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藤井較一

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詳細 2023年4月10日 12:50更新

岡山藩士、藤井広の長男として生まれる。私立遺芳館、電信学校を経て、1880年海軍兵学校(7期生)を卒業し少尉補、1883年に少尉任官。1887年防護巡洋艦高砂の回航委員に任命され、イギリスに出張し高砂副長となり翌年に帰国。

その後、巡洋艦「須磨」艦長、「秋津洲」艦長、台湾総督府海軍参謀、ドイツ公使館付、軍務局第2課長、軍令部第2局長を歴任し、1903年に「吾妻」艦長に着任し、日露戦争を迎えた。

日本海海戦時には第2艦隊参謀長であった。1905年5月24日、藤井は連合艦隊司令部に対してバルチック艦隊の対馬海峡来航を主張。翌日に行われた連合艦隊の幹部会議で鎮海残留を強く主張、遅れて到着した島村速雄第1戦隊司令官が同じ意見を述べたことによって艦隊の津軽海峡への北上が延期された。海戦当日、バルチック艦隊はロジェストウェンスキー長官が失神し、ネボカトフ長官に指揮権委譲が伝達されるまで大混乱に陥った。これを陽動と判断した上村彦之丞長官は先頭艦「出雲」を転針させたが、後続する「吾妻」に座乗する藤井は混乱と見抜き、独断で吾妻を直進させ、乙字戦を成立させた。また、霧中の航海時に艦船間で行われた汽笛や号砲に換えて、艦尾からワイヤーにつけた小型標的を曳航し、その飛沫を目印に航海できる「霧中曳的」を考案、敵軍から自軍の存在を秘匿することに貢献した。

1905年海軍少将に進級、その後、第1艦隊参謀長、横須賀鎮守府参謀長、第1艦隊司令官、佐世保工廠長、軍令部次長、佐世保鎮守府長官、第1艦隊長官、横須賀鎮守府長官を歴任。1916年に海軍大将、軍事参議官となり、1923年後備役となった。

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2007年7月2日

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