生年月日 1986年6月13日
出身地 兵庫県
身長 173cm
体重 70kg
血液型 A型
在籍チーム 大宮アルディージャ
背番号 41
利き足 左足
家族 妻 息子2人 猫(ジェンバジェンバ)
長岡京サッカースポーツ少年団(93〜98)
ガンバ大阪ジュニアユース(99〜01)
ガンバ大阪ユース(02〜04)
ガンバ大阪(04〜10)
・大分トリニータ(08〜09) 期限付き移籍
・セレッソ大阪(10) 期限付き移籍
RCDマジョルカ(11〜)
・蔚山現代(12・2月〜7月) 期限付き移籍
・ガンバ大阪(12・7月〜13・6月) 期限付き移籍
大宮アルディージャ(14〜)完全移籍
類稀なボールコントロールと強靭なフィジカルによるボールキープ・正確な技術から繰り出されるパスとドリブル・シュートが特徴。
高校2年時にトップ昇格、高校3年時には完全にユースを卒業し、2004年7月にガンバ大阪とプロ契約を結ぶ。
当時のオシム日本代表監督からA代表に選ばれるほどの才能を持ちながらも、ガンバ大阪では遠藤保仁や二川孝広らの牙城を崩せずなかなか定位置をつかめずにいた。2008年に出場機会を求めて大分トリニータへ期限付き移籍した。直後に靱帯断裂の大怪我を負う。
2009年シーズンも序盤はサブメンバーであったが、相次ぐ主力の怪我によりスタメンでの試合出場機会が多くなった。ポポヴィッチ監督就任以降は、それまでのレギュラーであった鈴木慎吾に代わり左WBとして、その後高橋大輔が左WBとなると、ボランチとしてレギュラー起用された。
2010年1月8日、セレッソ大阪へ期限付き移籍し[2][3]、自身最多となるリーグ31試合出場、4得点、10アシストで、C大阪のACL出場権獲得に貢献した。
以上 一部Wikipedia引用
家長昭博公式ブログ http://
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