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グレアム・サザーランド

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詳細 2014年10月14日 21:54更新

Graham Vivian Sutherland :
(August 24, 1903 -February 17, 1980)


 
 1903年8月24日、ロンドンの富裕なブルジョア階級の法律家・高級官吏の長男として生まれる。サリーやサセックス地方で少年期を送ったのち、イプソンの中学に入る。19年、ダービーにあるミッドランド鉄道工場の技師見習いとなるも、仕事が自分にむかないと悟り、ようやく美術を志す。
1921年、ロンドンにある金細工師の連盟が設立した美術学校に入学。ここでアカデミックな造形の全過程を修め、同時にマルコム・オズボーンやスタンリー・アンダーソンについて、写実的なデッサンと版画に打ち込む。23年、最初のエッチング集が出版され、王立アカデミーで展示される。2年後、最初の個展がギャラリー21で開かれる。26年、キャサリン・ベーリーと知り合い、彼女の信仰するカトリックに改宗し、翌年結婚。この出会いは彼のその後の道程に、深く持続的な影響をもたらす。キャサリンは自分の志望をなげうって、夫の仕事に全面的に協力し、たえず彼をはげまし、勇気づけてやまなかった。この見事な協力のおかげでサザーランドは何物にも縛られず、外界とのあらゆる関係を断ち切って、何週間も完全に制作に没頭することができたのである。
1927年にはキングストン美術学校で、28-32年にはチェルシー美術学校で実技を教え、経済的にも安定した生活にふみだした。だが、29年の大恐慌は、主としてアメリカに版画を売っていた彼の生活を揺さぶり、他方、白黒の版画への愛好熱もようやく流行をすぎつつあった。サザーランドはこの新しい状況に応じて、チェルシー美術学校では構図や本のイラストレーションを教えながら、ポスターや織物の下絵を描き、油絵の製作をはじめた。当時彼はケント地方に住んでいたが、多くの時間をサセックス西部やドーセットですごし、ヨーロッパ大陸の美術との交流よりも、もっぱらイギリスの風景から感動を汲みとろうとした。
1934年の春、彼ははじめてウェールズ地方に旅行し、荒涼とした劇的な風景に接して、今日までつづく独特な自然概念を形づくる。36年のベンブローク州滞在以後、それはさらに明確になった。37年にはロンドンで、ピカソの<ゲルニカ>をみて、シュルレアリズム的な象徴や暗喩に深く心を動かされた。当時、彼の主要な関心は油絵に移っており、38年にロンドンのローゼンバーグーへルフト画廊で、風景画による最初の個展が開かれた。そのカタログの序文を書いたケネス・クラークは、サザーランドのユニークな才能の発見者の1人である。
第2次大戦がはじまると、彼はチェルシー美術学校の職を失ったが、40年にはレスター画廊で2度目の個展をひらき、同年戦争記録画家の公的資格を得て、ウェールズ、ミッドランド、ダービーシャーなどの地方をまわり、44年にはフランスに赴いた。その間、本の挿絵を描き、サドラーズ・ウェルズ・バレー団の舞台装置を担当し、<ホリゾン>誌にウェールズ地方スケッチ・ブックを発表した。44年の末、ハッシー司教座参事会員の依頼で、ノーサンプトンの聖マシューズ教会のため、キリスト磔図の製作にかかり、彼はそれを46年にようやく完成した。大戦後のサザーランドは毎年南仏に滞在し、56年にはマントンにひとつの家を買って、この別荘とケントの自宅を往復してすごした。48年と51年、ハノーヴァーの画廊で個展をひらき、ニューヨークでは46年以来、画商カート・ヴァレンティンが彼の作品をアメリカに紹介しつづけた。ブリティッシュ・カウンシルの主催するいくつもの展覧会が、彼の声価をヨーロッパ中に浸透させたことも見逃せない。52年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、イギリス館全体がサザーランドの作品に提供され、作者にはサン・パウロ賞が与えられた。
戦後のサザーランドは、さまざまな新しい分野にも意欲を燃やしてる。1949年にはサマセット・モームの肖像画を描いたのを手はじめに、51年ビーヴァブルック卿、54年ウィンストン・チャーチル卿、エドワード・サックスヴィル=ウェスト卿など、肖像画での傑作をいくつか残している。49年にははじめてタピスリーの下絵を描き、50−51年、大英国祭のために注文されて、<大地の起源>と題するモニュメンタルな大作を製作した。52年には彫刻の連作をこころみる一方、コヴェントリーの新しい聖堂のために大きなタピスリーの依頼を受け、62年にそれを完成した。61年にはチチェスター聖堂の祭壇背後の衝立に絵を描き、61−63年にはアクトンの聖エーダン教会堂にもうひとつの磔図を描いた。また彼は49年にテート・ギャラリー理事となったが、54年に辞任している。
ニューヨークではヴァレンティンの死後、アレクサンダー・ローゼンバーグが彼の画商となって、59、62、64年に大個展をひらいた。63年にはロンドンのマーボロー画廊、65年にはトリノの市立近代美術館、66年にはバーゼル美術館で大回顧展が開かれている。







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