大井 篤(1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)
帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。
海兵第51期。
海大甲種第34期。
戦後はGHQ歴史課に勤める。
帝国海軍が太平洋戦争後期に立ち上げた「海上護衛総司令部」通称:海護総隊。
司令部立ち上げ時から参謀を務めていたのが大井篤氏である。
主に物資海上輸送の要の大型輸送船及び護送船団の航行中の護衛、運行航路指示、護衛部隊の機材獲得から教育等を行い、シーレーン防護を目的とし『連合艦隊に並ぶ組織』といわれた。
しかし、その実態は昔ながらの連合艦隊優位で、兵器から物資の割り当て、人員面まで割を食い続け、フィリピン失陥とともに南方方面の制海権を失いシーレーン防護が破綻。機能を失った。
戦艦大和の水上特攻出撃時、燃料割り当てがカットされた際に、電話で連合艦隊参謀を罵倒したことは有名。
「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎!」
素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る。
戦後、戦時中の知見を元に「海上護衛戦」を記した。
重複トピックス等はお控え願います。
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