つげ義春氏の作品である『やなぎや主人』。
主人公の男が、新宿三光町あたりのヌードスタジオで望郷の念にかられ、夜行列車で房総にある港町にたどり着く。
そこで宿屋を探す男は、一軒のひなびた見窄らしい飯屋『やなぎや』を紹介される。
男は妄想の中に、日常からかけ離れた・・・それはけして望むべきカタチではなく、むしろ絶望に近い彷徨。
いや、果たしてそうなのだろうか?
それこそが安堵なのかもしれない。
蒸発願望などという言葉では片づけられない、ひとは誰もそういったどこか儚げな夢や現にさいなまれ生きていくのではないだろうか?
ここは、この作品のコマに自分を見てしまったあなたの為のコミュです。
今日も房総の町では静かに、そして激しく時は流れているのでしょう。