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ダメジン村の日は暮れて

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詳細 2015年10月17日 12:35更新

映画のセットをつくりながら住んだ記録です。
写真が何枚か、トピック内にあります。 

○まずキッカケは、、、

僕が、映画ダメジンに登場する、主人公たち(ヒラジ、カホル、リョウスケ)が暮らす村と銀行襲撃時に被るマスクをつくる事になったのは、まず、当時Oプロジェクト(仮)という映画製作会社でアシスタントプロデューサーとして働く友人のコムラから、三木監督を紹介して貰ったのがキッカケだった。
2002年5月、原宿にあるBEMS Tでやった僕の展示を二人で観に来てくれたのだ。
三木さんはその時、いつか映画作るから手伝ってね、というような話をされたと思う。

しばらくして、コムラから渡された三木さんの脚本(の草稿?)はとても面白く、しかも奇妙で、読んだあと興奮した。
そこには、ヒラジたちの住処が段ボール村であること、クライマックスでは紙袋製の奇妙なマスクを被って銀行を襲撃するシーンが書かれていた。
それらを自分がつくるかと思うと、感激した。


○最初の仲間たち

マスクは紙袋さえあれば何枚でも自分一人で作れる、しかしセットは一人ではできない。
しかも、村をつくるんだから小屋を数軒建てるんだ、って発想で仲間を集めた。(大体何月何日だったとか日付が解らない)
まずは、被災地用仮設住居のデザインをした事のあるヤブちゃん、彼の紹介で武蔵野美術大学建築科卒業生のナッカーシとフミさんと僕の四人で、脚本を読み込み、監督やプロデューサーと話し合い、デザイン案を練っていった。

僕らは、ダメジンたちは現代社会の避難民だ!って考えていた。


○段ボール村→ダメジン村

企画の段階では、僕が以前から作っていた段ボール箱に顔を描いて積み上げた作品が、ダメジンたちの住居の設定だったのだが、小屋にもっとリアルさを出したかった、だから、僕らは段ボールだけでなく様々な廃物を組み合わせて、しかも自らセットに住み込みでつくる事にこだわった。

もちろん、住み込んでつくったら秘密基地みたいで楽しいだろうな、って思ったのも大きい要因だ、ちょうど夏だったし。


○高崎の製紙工場跡地

三木監督の、ダメジンたちが暮らす街のイメージは川崎の工業地帯で、また映画のほとんどのシーンは川崎で撮影されたのだが、ダメジン村をつくるのに適当な場所が川崎には無く、代わりにここでは、と候補に挙がったのが、群馬県高崎市にあるTH製紙工場跡地(仮)だった。
ここは、映画やVシネマ、CMの撮影現場としてよく使われるらしく、持ち主の『社長』(彼は製紙業を近所で規模を縮小して営んでいた)とダメジンの制作進行スタッフが以前から付き合いがあったので、撮影前の一ヶ月間、廃墟に泊まり込んでのセット制作も快く許可してくれた。
敷地のほとんどが廃墟とはいえ、電源や上下水道が来ている建物が一つだけ残っていたので、僕らはその建物の二階で生活した。
そこら中に廃物が投げ捨てられているのも魅力だった。

この場所でなければ、ダメジン村はつくれなかったか、つくれたとしても、全く別のものになっていただろう。


○増えた仲間たち

高崎の現場に乗り込む前に、一緒に作業をしてくれる仲間を集めなければならなかった。
しかし、僕らはセット用の制作費を割り当てられていたのだが、その金額は多くはなかったので、人を増やしても給料は払えない。
まず同年代の美術仲間数名に声をかけたが、皆それぞれ自分の仕事があったし、休んでしかも無給で手伝ってくれる人はほとんど居なかった。
例外は、僕の子供の頃からの友達のナラ、ヤブちゃんの友達アッちゃんの二人だけ。
足りないので知り合いの学生に声をかけたり、元々知り合いじゃない学生も紹介してもらって誘った。
アーティスト肌のカワシマ、ムサ美建築の一年生キタムラ君、日芸映画のタカハラ、京都からユズさんとメイさん姉妹とタカハシさん、記録係としてミユキ君が参加してくれた。(遅れてダテも参加)


○共同生活しながらの作業

工場跡地での共同生活は楽しい物だった。
朝起きて皆でそろって食事(パンとコーヒーなど)しながら、その日の作業の内容を確認
午前9〜12時、作業
昼食は近くの山田うどんで
午後1〜6時、作業
作業後、皆で近くの銭湯へ
夕食(鍋料理など自炊)をとりながら作業の進み具合を報告し合い、翌日以降の予定の組み直し
就寝
大体こんな毎日、材料や生活必需品の買い出しは、作業時間中に交代で行った。
シンプルな繰り返しで集中して作業できたし、三食しっかり食べたので、太ったメンバーが多かった。


○班分け

作業は3〜4班に分かれて行った。
ただ明確に分かれた班を常に設定していた訳ではなく、今日はメインのヒラジの家を作るからこの5人で、とか、小さい小屋の細部作り込みだから1人でやっちゃう、といった感じで、日々班のメンバーは流動的だった。
ただ、ナッカーシとキタムラ君、フミさんとタカハラのように、息の合った者同士がなるべく同じ班で作業できるようにはした。


○アイディア出し

ヒラジたちは、どんな住処を構えているのか、現場に入るまでの数ヶ月、僕らはイメージし続けた。
焼け跡のバラックや、河原や橋の下にあるホームレスが建てた小屋、未開の地(差別?良い表現ありますか?)の原住民たちが暮らす住居、が近いと思い、様々な小屋の写真集、世界各地の伝統的な住居のしくみを記した本、ツリーハウスのハウツー本などを参考にし、何度もエスキースやミーティングを重ねた。
ただ、実際に作るときには、メインとなる材料が現場周辺のゴミや廃物のため、集まった材料に応じてその場で考えながら作った。
結果、イメージ通り、デッキや階段、窓などはイメージ以上のものが出来上がったと思う。


○顔を描いた段ボール群と銀行襲撃用マスク

これらは一人で作れるから、自由に使える時間を見つけて倉庫の片隅で作業をした。
幸い、現場が元製紙工場で様々な大きさの段ボール箱が倉庫にあったので、いくつか譲ってもらい素材にした。
マスクは100枚作らなくてはならず、素材になる紙袋が自宅にあったものと友人から貰ったものでは足りなくて、雑貨屋で50枚くらい買い足した。


○宇宙博覧会テントの撮影

宇宙博のテントは高崎のロケ地兼作業場で仮組みをして、実際の撮影地川崎某所には一度バラして車で持って行き、早朝、撮影寸前に組み立てた。
この日、僕らは撮影に初めて立ち会ったのだが、撮影隊の殺気立った雰囲気に、映画の撮影が時間との戦いだというのを感じた。


○ダメジン村での撮影前日

現場に入って約3週間、ダメジン村の撮影日前日に、やっと村のほとんどが完成した。
嬉しくて、村の中心にあるデッキで乾杯した。
なんだか本当に、自分たちの住処を作り上げたような気分だった。


○撮影当日

撮影中は僕らにはほとんどやる事はなかった。
少し寂しい気持ちで、自分たちのつくったセットで撮影がどんどん進められていくのを見ていた。
作業といえば、たまにカメラの位置を確保するためにセットの一部を移動したり解体する程度。

撮影は朝から深夜に及んだ。


○撮影後

ダメジン村での3日間の撮影が終わって、すぐにセットを解体した。
つくるのには3週間かかったが、解体は1日、あっという間だった。
廃材は拾った場所に、買い足した木材などは、もしかしたらまた、この廃工場で廃材を使ってセットをつくる人が居るかも知れないと思い、工場内の倉庫の一画に纏めた。
ダメジン村のあった場所には、廃墟とゴミが散乱する広場があるだけだった。

そのときの写真を公開して多くの人に見て欲しいと思い、このコミュニティを立ち上げました。
どうぞ、ゆっくり見て下さい。

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2006年10月5日

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カテゴリ
アート