今ではほとんど知られてはいませんが、実力のある明治〜戦前の画家、福永公美(耕美)について、何か情報をお持ちの方はよろしくお願いします。公美は、「くみ」と読むと女性のようですが、本当は「こうび」と読む、れっきとした男性です。
鏑木清方の『こしかたの記』には、清方が烏合会に入会してお世話になった耕美のことが記されています。「福永通次郎、(明治26年ごろは)日本銀行へ務めの傍ら、役者絵の豊原国周(くにちか)に就いて周嘉(よしちか)と号した。牛込神楽町、俗に柿の木横丁に住んでいた。老父が健在で炭屋を営み、兄の松崎氏も共に暮らしていたが、君は一生妻帯をしなかったように思う。国周に就くほどだから勿論芝居好きで、このごろの手の人たちは、三崎町の三崎座に定打の粂八一座の定連が多かった。福永君、高田君などもその仲間であった。そのうち、尾形月耕を慕って門に入り耕美(そののちに公美)となった」。
華麗な女性やどこかモダンな発想で描かれた作品は、現代のマンガに通じるところがあります。
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