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★やまがそこう 山鹿素行 1622-1685(元和8年-貞享2年)
江戸前期の儒者、軍学者。名は高祐(たかすけ)、高興(たかおき)、字は子敬(しけい)、通称甚五左衛門(じんござえもん)、号は素行など。陸奥会津の人。伊藤仁斎らと並んで古学派の祖と称される。江戸に出、林羅山に学ぶ。小幡景憲、北条氏長について甲州流軍学を修め、山鹿流軍学の祖となる。はじめ朱子学を奉じたが、のちに『聖教要録』によって周公や孔子の道の原点に立ち返るべしと官学であったそれをも批判。幕府に咎められ、播磨赤穂藩に流され浅野家に預けられる。後、『中朝事実』を著わし、支那(China)による中華思想を排し、古来からの日本の優位性を説きながら、日本こそ、その中心であると説く。晩年、赦免され江戸に戻り積徳堂を開き講義する。
代表著作:
『兵法神武雄備集』、『武教要録』、『修教要録』、『治教要録』、『兵法或問』、『聖教要録』、『山鹿語類』、『中朝事実』、『武家事紀』、『配所残筆』など
参考サイト:
赤穂大石神社
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行事・イベント:
平成18年 9月26日 山鹿素行祭(兵庫県:大石神社)
検索ワード:
儒教、古学、聖学、古義学、古文辞学、国学、武士道、古事記、日本書紀、会津藩、蒲生忠郷、町野幸和、祖心尼、石谷土入、石出吉深い、広田坦斎、隠元、保科正之、由井正雪の乱、荻生徂徠、浅見絢斎、赤穂藩、赤穂城、浅野長直、浅野長矩、浅野内匠頭長矩、大石良重、大石頼母、大石良雄、大石内蔵助、松の廊下、刃傷、赤穂義士、忠臣蔵、山鹿流陣太鼓、積徳堂、宗参寺、聖徳太子、玉木文之進、吉田松陰、東郷平八郎、乃木希典
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