Mirko Vucinic
本日のローマ移籍を祝して、
新たにコミュニティーを立ち上げました。
彼の活躍をこのコミュニティで追っていければ、と思っています。
uefaより
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1983年10月1日、ブチニッチはモンテネグロの第2番目の都市ニクシッチに生まれ、アドリア海岸沿いでサッカーを始めた。ひょろっとした10代のブチニッチは、2000年、母国からアドリア海を越えてイタリアの都市レッチェに渡った。それから6年、ブチニッチは立派な大人へと成長し、イタリアでゴールゲッターとしてさらに高度で戦術的な技術に磨きをかけている。
イタリア人監督の中には選手の持って生まれた才能を開花させる才覚を持つ者が何人かいるが、当時レッチェのスポーツ・ディレクターだったパンタレオ・コルヴィーノもその中の一人だった。ウルグアイのエルネスト・チェバントン、ブルガリアのヴァレリ・ボジノフ、コートジボワールのアクセル・セドリック・コナンなどを発掘した、この優秀なスカウトマンは、まだ16歳とはいえ、出場した9試合で4得点挙げたブチニッチに目を付け、セルビア・モンテネグロ1部リーグのクラブ、スチェスカ・ニクシッチから彼をレッチェに引き抜いた。
「人気」の秘密
ゼータバレー生まれのブチニッチは、レッチェの中でも天賦の才に恵まれたプレーヤーの1人であり、大いに注目を浴びている。2004/05シーズンでは飛躍的な進歩を遂げ、強豪クラブがひしめくセリエAのリーグで独特の高度なテクニックを見せ、その活躍ぶりを誰しもが認めた。シーズン序盤、ちよっとしたつまずきを見せたものの、このセルビア・モンテネグロ生まれのストライカーは、高い守備力で世界的に有名なリーグで、ユベントス、ミランとの試合でも少しも引けを取らず、「ジャッロロッシ(ローマの愛称)」のメンバーとして28試合19得点を上げた。
しかし、ブチニッチが成功の道を突き進むことができたのは、チェコ人のベテラン監督、ズデネク・ゼーマンのお陰だろう。あくまでも攻撃志向で血気盛んな若手選手は、イタリアのサッカー界では異端児にみられがちだったが、昨年6月にレッチェを去るまでゼーマン監督は熱心に指導し、彼の生来の活気と自発性を損なわないよう、戦略的なプレースタイルへと向上させた。
ブチニッチは2005年6月4日、快勝のシーズンを終え、ベオグラードで行われたFIFAワールドカップ™地区予選のベルギー戦に向けて、代表メンバーとして最初の召集を受けた。この試合は0-0の引き分けに終わった。試合序盤はベンチだったが、53分、ネナド・イェストロビッチの代わりにピッチに立ち、初めての国際試合を経験した。2番目の出場は翌年の夏、トロントで行われたイタリア戦だ。
身長186センチ、体重76キロのブチニッチは、ずば抜けた身体能力と堂々とした体格、そして優れた技術を誇る。素晴らしいボールさばきをみせる右足にも恵まれ、短い期間に傑出したゴールゲッターとなった。また、最初は得意ではなかったヘディングも徐々に向上させ、いまや単独ストライカーの役割を果たしながら、左サイドもカバーできる広角的選手に成長した。
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