わたくし瀧山について語らう場じゃ。
「大奥」にはそなた達町方を勝手に迎え入れる事などできぬが、此処ではそのような制限をするつもりはない。
8代将軍 吉宗公の『目安箱』のようなモノとして活用できたらと願うておる。
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ただ、締めるところは締めなくてはならない。
挨拶なき者は入門を認める訳には参らぬ。
現在参加しておる者で、挨拶なき無礼な者は退去を申し渡す。もし自ら退去せぬ場合でも一月に一度は強制的に門番に締め出しをしてもらうと思うておる。
よいな!!
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瀧山 年表
●1805年(文化2年) 7月09日 御鉄砲百人組・大岡権左衛門の子として生まれる。
●1820年(文政03年)2月、15歳の時両親が謀反を起こし打ち首。両親に先立たれ自らも懐刀で自決しようとするちょうどそのとき当時の大奥総取締で上臈御年寄の姉小路に声をかけられて拾われ奥入。
●大奥には御末から入り奉公するが、
1833年(天保04年)4月、28歳の時12代将軍家慶公に気に入られ御手付中臈となる。
●御中臈になった際、大奥総取締役姉小路より「瀧山」の名を授かる。
●1840年(天保11年)35歳の時、後の13代将軍家定公となる家慶の四男、家祥(当時15歳)の御内証の方となる。
●1853年(嘉永6年)6月22日、12代将軍家慶公が没し、8月11日大奥総取締 姉小路の役職引退後、48歳にして大奥総取締に就任。(姉小路は上臈御年寄としては大奥に残る)
●12代家慶(御末→御中臈)、13代家定(御中臈→御年寄《大奥総取締》)、14代家茂(大奥総取締)、15代慶吉(大奥総取締)の4代にわたり大奥に仕える。
●1868年(慶応4年)4月11日 江戸城開城
大奥終焉の時を天璋院、和宮と共に迎えることに・・。
●1876年(明治9年)没 享年70歳
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