1989年12月5日生。
小学4年から野球を始める。中学時代には仙台のリトルリーグのメンバーとして世界大会準優勝。ロシア戦ではノーヒット・ノーランを達成。
2006年夏に2年生ながらチームにエースとして君臨し、甲子園でも投打の柱としてチームを支える。
3季連続出場となった2007年夏も不動のエースとして甲子園のマウンドで最高の輝きを見せる。
1メートル79、75キロ(高校卒業時)と細身の体ながら完投・連投を厭わない抜群のスタミナ、甲子園史上最速の155km(非公式では米国遠征で投じた158km)の直球、切れ味鋭いスライダー、そして強靭な精神力を武器に相手打線をねじ伏せるみちのくの豪腕。
プロ野球のスカウトの視線を集め、大阪桐蔭・中田、横浜・高濱、成田・唐川などと並び2007年の高校生ドラフトの目玉候補の1人として注目を浴びた。
2007年10月3日(水)のドラフト会議にて、分離ドラフト開始後最多となる5球団(ヤクルト、楽天、横浜、中日、巨人)から1位指名を受ける。抽選の結果、ヤクルト・古田監督が交渉権を獲得する。指名後の会見で、インタビュー中に見せた涙が日本中の感動を誘った。
同じヤクルト大・社ドラフト1位指名の快速左腕・加藤(慶大)と並び、2008年度プロ野球セ・リーグ新人王の筆頭候補と目された。
登録名は「由規」・背番号は「11」
FAやトレードなどで先発ローテーション選手が抜けた東京ヤクルトスワローズの救世主となるべく奮闘した2008年シーズンは、巨人戦での勝利を含む2勝を挙げる。投球回数が30回未満であるため、2009年の新人王獲得権利を持ち越した。
イースタン(2軍)では8勝を挙げ、最多勝を手にする。
2009年のプロ野球オールスターゲームに監督推薦で初出場する。右手の豆を潰していたこともあり、出場は代走のみ。
4月26日の横浜ベイスターズ戦ではプロ入り後最速となる157km/hを計測し、交流戦以降は完全にローテーションとして一軍に定着し、最終的には5勝10敗で終える。
2010年にはローテーションの一角として活躍。
7月29日にはプロ入り後の最速記録である158km/hを計測し、さらに初となる完投勝利を挙げると、続く8月5日の登板で完封勝利を収める。
8月26日には横浜のスレッジ相手に投じた1球が161km/hを計時し、日本人投手では初となる160km/hの壁を突破する(ただし、この1球はボールの判定)。
まだまだ荒削りであり、今後の飛躍が最も期待される若手の1人として耳目を集める。
自己紹介トピはこちら
http://