レトリックまたは修辞は
ことばの表現に特別な効果を発揮させる技巧という意味でつかわれている。
文章に強弱のついたことばの模様が生まれる。
たとえことばの模様が意識的に読まれることがなくとも、読者に快不快、退屈や反感を抱かせたり、あっけに取られることがあれば、白けもさせる。
レトリックのはたらきには弁論のための説得と魅力的な表現がある。
修辞学は古代ギリシャ以来討論に勝つための弁論術として注目されてきた。
そして多くの人々によってレトリックは人間を惑わせるという批判にさらされてきた。
だがレトリックは芸術的文学的な書きことばのための表現技術として再評価された。
レトリックは古代ギリシャ以降、教養科目のひとつとして必修とされてきたが、20世紀初頭に急速に見放された。
その原因のひとつはレトリックが法的支配化をもったためである。
レトリックの研究家は独創的な表現を集め、分析した。
そしてレトリックの技法を体系化しようとした。
レトリックの研究家はその体系によってことばの表現を支配できると錯覚したのである。
だが20世紀以降、修辞学が急速に見捨てられたことによって新しい問題がおきつつある。
レトリックを排除することによってより正確な命名や率直な表現できるという信仰である。
ことばは便利なコミュニケーションの手段だと信用されてきた。
だがこの世界では名前を持たない事柄が圧倒的に多い。
つまり一対一対応のような正直なことば遣いで表現できることには限界がある。
説得と芸術的表現力というレトリックのふたつの役割は広く認識されてきた。
だがレトリックには、わたしたちの認識をいまある言葉で当てはめてしまうのではなく、出来るだけありのままに表現する手段という第三の役割があるのではないか。
困ったときには