使徒パウロのコミュニティです。パウロは復活の主から使徒として召されました。
異邦人の使徒として有名なパウロは、もとはサウロという名であり、熱心なパリサイ派のユダヤ教徒で、初期のキリスト教徒たちを迫害していました。ステパノ(ステファノ)が石打ちで殉教したとき、彼は迫害する側であり、石打ちに賛成していました(使徒8章1節)。
しかし、復活のイエスにお会いし、劇的な回心を経験して復活の主イエスの証人となった(使徒9章)後は、迫害を受けながらも三回にわたる中東・東地中海世界各地への伝道旅行を行い、キリスト教会の指導者の一人になりました。彼が各地の信徒にあてて書いた書簡は新約聖書後半の多くの部分を占め、キリスト教の成立と発展に重要な役割を果たしました。
パウロが教会の中に新しい教理を持ち込む事によって、非教理的であった初代キリスト教会を改変した、と近代自由主義神学者は主張します。さらにパウロはナザレ人イエスとは別の宗教の創始者であるとさえ言います。そしてそれを示そうとする企てが多くなされました。しかし、パウロ書簡自体が、使徒パウロと直弟子たちとの間に根本的一致があったことを示しています。パウロは主の十字架と復活の前からイエス様の弟子として間近にいた十二使徒ではありませんが、復活の主イエスによって直接、使徒として召されました(ガラテヤ1:1,ローマ1:1)。またリベラルが非教理的説教の代表として持ち出す『山上の説教』は人間の罪を示すことにおいてもっとも教理的です。
歴史上最大の知性と呼ばれるパウロは、有能で教養があり、ガマリエルのもとで学問を究めた人物でありますが、説教において「すぐれた知恵を用い(Iコリント2:1-4)」ませんでした。「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(Iコリント2:4-5)」と語っています。
●自己紹介なぞ如何でしょう?
http://
※トピ立て・アンケート・お勧め等々御自由にお使い下さい。あれな問題があると管理人が判断した場合に限り削除します。
:::
***
(10月5日に管理人を交代させていただきました。よろしくお願い致します。)現管理人が引き継ぎました。
***
#参考書籍
『パウロ宗教の起源』メイチェン著
オススメゲーム
困ったときには