マイスター・エックハルト/Meister Eckhart(ウィキペディアより)
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公式サイトです。
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M E トレジスタエックハルト(1260-1327/8)
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ドイツ語
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マイスター・エックハルト説教集(アマゾンより)
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評伝マイスター・エックハルト(アマゾンより)
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マイスターエックハルト(Meister Eckhart)という人物を知っているでしょうか?
日本では、あまり馴染みがないかも知れなませんが(これからの時代)きっと彼が求められる時がくるでしょう。確かに最近、マイスターエックハルトが、ときどき取り上げられるようになってきています。
21世紀は「心の時代」と言われています。
私たちが、今(いま)最も必要としているのは心理学や精神分析で(簡単に)片付くような「心の問題」ではない。もっと根元の根本的なレベルまで遡って《自分自身で結論を出しておく》しか片づかないことである。この先、必ずそのようなものが必要になってくる。
マイスターエックハルトは、1260年頃ドイツで生まれた。亡くなったのは1328年頃とされている。パリ大学神学部教授であり、また多くの修道院の建設にも精力的に活動した人であった。
これだけを聞くと(一見すると、 なるほど熱心な)正統派キリスト教徒だと思うだろうがところがどっこい)実際には異端思想で宗教裁判にもかけられている。
異端(インチキ)魔女裁判のジャンヌ・ダルクのように死刑(火あぶり)にならなかったのが不思議なくらいの人物であった。
特に晩年の思想は、キリスト教からすれば極めて「危険思想なのだが」深い瞑想体験と思索に裏打ちされた彼の発言は、単なる異端思想で処理できるようなものではなかった。
教会の内部の者でさえ『彼と同じくらい深い瞑想体験をしている者であれば、言っていることが真実であることは分かる』そのために処罰(死刑)できなかったのだろう。
しかし彼の死後、すべての著作物は焼かれてしまった(証拠物の隠蔽・いんぺい)隠し持っていた者は見つかると極刑(火あぶり)に処せられるくらい徹底したものであった。
これだけ厳しい「本狩り=彼の本を徹底的に焼き尽くした」がおこなわれても、真理の灯火(ともしび)を消すことはできなかった / 物としての書物は消せても、彼の発言力はエネルギーを持ち、連綿と生き続けた。
現在は彼の死後、約700年になるが(彼の言葉は)より多くの人々の心に繰り返し絶えず生まれ続けている。
日本では長い間「マイスターエックハルトは」一部の宗教学者によって研究されていたにすぎない / 残念ながら、そのような学者先生の書いた研究書などを読んでも《マイスターエックハルトの本質・精髄(せいずい)を理解することにおいては》ほとんど役に立たない。
マイスターエックハルトを分かろうと思えば(知識である知性)理屈ではなく・・・自分自身で(事実あるがままを)体験するしかない。
マイスターエックハルトは教会の内部にいながら、次のような恐ろしい言葉を説教の中でいっている。
『もしも私が存在していなかったらば、「神」も存在しなかったであろう。神が「神」である原因は私なのである』
私は、私というものがあってこそ、はじめて私というものになる(グルジェフ)
もし私が無かったら神という言葉は無い、神は「神」でなかったであろう(未知のものに人類の言葉は無い)
全部見てしまった人・宇宙の秘密を垣間(かいま)見てしまった人《もうここまでくれば》特定の宗教組織や神とは(なんの)関係も無い。
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