「第三の読書会」は、2010年4月より福岡在住のヤナイチがコーディネートする新しい読書会です。
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(ロゴ、webサイトなどなどは準備中、ひとまずmixiコミュからリリースさせていただきます。)
さて、「第三のビール」が、麦芽以外の原料を使うことで別のカテゴリーを生み出したように「第三の読書会」では「読書」の定義を少し広い意味に解釈して、何も本を読むことにこだわらないでいろいろやってみようかと思っています。読むのは“人”だったり、“音”だったり、“空間”だったり。
読む成分を少し変えたりしてですね、まぁ、「第三の・・・」ですから、ライトで安価な感じです。
あ、もちろん、普通の読書会だってやります。たまには普通のビールも飲みましょう。
ビールといえば、エビスビールのCMで流れている曲(恵比寿駅の発車メロディでもお馴染み)がありますが、あれって「第三の男」(グレアム・グリーン原作)という古いイギリス映画のテーマ音楽なんです。
オーソン・ウェルズ演じる「第三の男」は悪いヤツですが、痛烈な文明批判、光と闇が印象的な映画です。
さておき、「読書会」というコミュニティは、自分にとって三番目(仕事やプライベートのその次=3rdプレイス)であるという不思議な立ち位置でありながら、今では結構重要な存在です。
福岡で2008年から始まった「博多非凡塾( http://
以前、読書会ポータルサイト( http://
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僕は個人的に、芝居を見に行くのが好きで、それを取り巻く様々な要素がとても好きなんですね
それで「読書」と「読書会」を取り巻くテイストがその好きな要素に似ていることにハタと気づいたんです。 読書は極めて「演劇的」で、読書会というものは極めて「劇場的」だな・・・と。
演劇とは
「主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマなどを、同じ場にいる観客に対しリアルタイムに提示する表現活動を言う。(Wikipedia)』
「演劇」というのは、舞台と客席のライブによるコミュニケーションといえますね。
本を読むという行為はといえば、「自分が読んでいる瞬間」こそがライブなんです。
そして、著者と読者である自分の内面によるコミュニケーション、ともいえますよね。
本というテキストを媒介にして、自分の頭の中だけでオリジナルな展開として進行していく芝居のようなもの。
読み手の中に「演者」であり「観客」でもあるという特殊な演劇的要素が絡まりあって溢れ出すのが「読書」のひとつの特徴ではないでしょうか。
そこには、瞬間を取り巻く要素も関係します、例えばその人の体調だったり気分だったり、社会的環境だったり。
だから、読書体験は、ひとつとして同じものであることがなく、常に唯一無二の内的な表現活動でもあるんです。
読むことがひとつの内的作業として成立している「演劇的要素」だとすれば、それを「劇場」へ持ち出す外的作業に変換するのが「読書会」ではないでしょうか。
劇場というのは、言うまでもなく、演劇・映画などを上演・観覧するための建物や空間を指します。
しかし、例えば「ロックンロール」は音楽の種類というだけではなく、そのスピリッツのことを指すように
ここでは「劇場」を、「日常に潜む出会いの“場”」と定義してみます。
寺山修司氏はこんな言葉を語っておりました。
「劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的出会いが生成されるための「場」のイデオロギーのことである。どんな場所でも劇場になることができるしどんな劇場でも劇が生成されない限りは日常的な風景の一部に過ぎなくなる」
読書会は、それぞれの参加者の持つ内的な演劇的なものが、放出され、出会いをもたらす場として成立し、それは再現不能な、一度きりのライブのような新鮮さを持つ、劇的出会いの場なのかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用ここまで
最近、僕らの周りに小さいのから大きいのまで「読書会」を開催する人たちがたくさん増えてきたんです。なかなかいい感じになってきました。
あなたの主宰する「読書会」が一番目、ちょっと別の会に出てみようかなあが二番目。
謙虚な姿勢で、「第三の読書会」は「あなたの三番目くらい」の軽い存在であってほしいものです。
ついでに「第三の眼」とか開いちゃってくださいな。
・・・と長々書きましたが、基本的にゲリラ開催です。マイナーメジャーでインディーズです。 そんなに深く考えていません、アイデア募集中。
とりあえず第1回目は4/6(火)早朝7:00〜8:15で開催決定です。
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