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アルトゥールルービンシュタイン

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詳細 2024年3月9日 20:22更新

アルトゥール・ルービンシュタイン( Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)は、ポーランド出身のピアニスト。


前半生はヨーロッパで、後半生はアメリカ合衆国で活躍した。ショパンの専門家として有名だが、ブラームスやスペインのピアノ音楽も得意とした。20世紀の代表的なピアニストの1人である。
ウッチのユダヤ人の家庭に生まれる。

ワルシャワで勉強し、ベルリンでカール・バルトに師事する。ヨーゼフ・ヨアヒムにブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏を聴いてもらい、その解釈を激賞される。1898年にベルリンでヨアヒム指揮の下、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏しデビュー。1904年にパリに行き、フランス人作曲家のサン=サーンスやポール・デュカス、ラヴェルらや、ヴァイオリニストのジャック・ティボーと面会する。アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール
で優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたと後に語っている。
1906年にニューヨークのカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。その後アメリカ合衆国やオーストリア、イタリア、ロシア、スペインで演奏旅行を行なった。特にスペインでは聴衆の圧倒的支持を受け、多数の追加公演を行った。1912年にはロンドンデビューを果たす。
第一次世界大戦中は主にロンドンに暮らし、ウジェーヌ・イザイの伴奏者を務めた。1916年から1917年まで、スペインや南米を旅行し、同時代のスペインの作曲家に熱狂して多くの新作を初演する。1932年にしばらく演奏生活から隠退して、数年のあいだ演奏技巧やレパートリーの改善に取り組んだ。この年に指揮者エミル・ムリナルスキの娘アニエラと結婚し、4人の子供をもうけた。娘エヴァは神学者・聖職者・反戦運動家のウィリアム・スローン・コフィン師と結婚し、息子ジョンは俳優となった。第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に暮らし、1946年に米国籍を取得。
1960年ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニ
であり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。1976年「飛蚊症」が原因による視力低下により引退。引退後、自伝「華麗なる旋律」を執筆。1982年、ジュネーブで死去。

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