(1)真理、無常の認識と悟り
(2)悩み、苦しみ、悲しみ、絶望からの救い
僕個人は今現在このように考えていますが
みなさんの考えをそれぞれ語り合うコミュニテイです。(僕の考え方も刻々変化しますので、ここの文章もその都度変わります)
ぜひいろいろ御教授願います。
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咲く花はやがて枯れ、出合った者たちは
やがていつか別れなくてはならない(死)
人間や生物に限らず、鉄はさび、モノというモノは
すべてその形を永遠にとどめる事は出来ない
この地球も太陽もこの銀河もやがてその形を
現状を無くして(変化)しまう時をさけられない。
この地球上に誕生したありとあらゆる「シュウキョウ」と呼ばれるものは、
そういった過酷で無情な自然のありかたの
「(1)認識と覚悟」(←悟りの宗教)
「(2絶望からの希望とゆめ」(←救いの宗教)
たとえばバリの考えた
ネバーランドこそが「(2)救いの宗教」の目的だったはず
ではなかったのかと思います
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人間が持って生まれて持ってしまっている本能
習性を認識、止観する事、
覚悟する事が哲学であり、「悟り」だと思う。
そしてその後、
それにどう対処するかが「宗教」だと自分は思う
ニンゲンは、明日を妄想、空想をし、心配し
苦悩し、絶望し、また、
期待し希望せずにはいられないという「習性」を持つ
生命体であると思う。
そしてそれは無数の生命体の種のひとつに過ぎないと考える。
人間は生まれた以上「死ぬまで生きる」だけ。
ぐだぐだ悩んでも、所詮はたったそれだけの事。
キリスト教、イスラム教等のいろいろな宗教も
いろいろな宗派の仏教も、ある時釈迦やソクラテスのように 「世界の有り様(真理」に、気が付いた
そこで
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(1)「覚りの為の宗教」(修道僧,禅等)。
先人の気が付いたとされる
「真理」の世界を求める。たまたま悟ってしまう等の、
「覚りの為の宗教」
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(2)「救いの宗教」(イエス、親鸞、空海マザーテレサ等)
覚られない者、苦しすぎて、それどころでは無い者
或いは、悟った(気が付いた)がやはり無常の無情に苦しい者
等を全部、見捨てず救ってしまおうというのが
「救いの宗教」 だと思う
人間の妄想、空想から生じるとらわれによる
「苦」それからの解放の為
人間の期待、希望、夢の為に
それらの習性を逆に利用した方便を用いて
全て苦しみから救ってしまう道を選んだのが
「(2)救いの宗教」であり
たとえば親鸞、法然、他宗教ではイエス等 だと思う
それでしか迷える小羊は
救えない事が多い現実に実戦的であり
方便と自覚して、あえて使う親鸞やイエスだと僕は思う。
(これら全ては、あくまでも僕の個人的思い、想像に過ぎません)
*御自由にトピック立ててお楽しみください
(但し、むやみな場合と、当方が判断した場合は、勝手ですが、削除させていただく場合もあります事をご了承の方のみ御参加ください。
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◎人間という生物に生まれた時から持ってしまっている
「人間」として生まれ持った性質、個々に生まれ持ち育った性格
性質、については、「別コミュのトピ」参考
▼ コミュニテイ「人間という性質&性格」↓
http://
▲コミュニテイ「宗教の誕生と存在理由を考える」↓
http://
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*当コミュニテイは、
●「わきあいあい」や「いいひとぶる事」「参加人数が増える喜び」を
目的としておりません■
ので、率直な意見を出し合う場になればと思います。
初心者も上級者も真剣にさえ話せばOKという事で。
(ただし、むちゃくちゃはイエローやレッドカードが
こちらの判断だけで出ますからご了承ください)
*ここのコミュニティに限っては、長文おおいに結構!どんどん書いてOK!
*雑談&なんでものトピック
http://