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淀川長治

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詳細 2022年9月7日 15:08更新

 淀川 長治(よどがわ ながはる、男性、1909年4月10日 - 1998年11月11日)は日本の映画評論家。兵庫県神戸市出身。旧制兵庫県立第三神戸中学校卒。→日本大学予科除籍。その独特の語り口から「サヨナラおじさん」として親しまれた。

 映画の天使です。蓮実重彦も山田宏一も彼の前では可愛い坊やです。

 以下、Wikipediaよりprofileを作成。 

 有名な芸者置屋の跡取り息子として神戸に生まれる。映画館の株主だった親の影響で子供の頃から映画に精通。
 旧制の兵庫県立第三神戸中学校(現在の兵庫県立長田高等学校)を卒業後、慶應義塾大学予科の入試に失敗し、日本大学予科に籍を置くが出席せずそのまま除籍となった。
 雑誌『映画世界』の編集者として活躍。その後UIP(ユナイテッド・アーチスト映画社)の日本支社、東宝映画の宣伝部勤務、雑誌『映画の友』編集長を経て映画評論家として活動を開始。
 1936年(昭和11年)2月、来日したチャップリンとの会談に成功している。その後日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われる。
 1960年代中盤に日本教育テレビ(現・テレビ朝日)で放送された海外映画『ララミー牧場』の解説で脚光を浴び、中でも、1966年から始まるテレビ朝日系長寿番組『日曜洋画劇場』の解説者として、番組開始から死の前日までの32年の間、独特の語り口でファンを魅了し続けた。特に「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」や番組末尾の「それでは次回もご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら…」は淀川の名台詞として語り草とされており、子供たちやタレントの小松政夫がこれをものまねするなど一躍お茶の間の人気者となった。かつてはその都度「さよなら」の回数が異なっていたが、何回「さよなら」と言うかが少年の間で賭けられている、との噂を淀川が耳にし、それからは常に3回とするようにした、といわれている。なお、回数が異なっていたのは、単に放送終了まで「さよなら」と連続して言い続けたからで、意図したものではないと本人が語っている。
 横浜市鶴見区に自宅があったが、晩年はほとんど赤坂の全日空ホテルで暮らしていた。生涯独身と言われていたが、正確には一週間ほど結婚経験があった。(一生涯独身を貫いたのは「結婚をしていないと映画の中の男の気持ち、女の気持ちの両方がわかる」という、映画が本当に好きであることからの選択であったと言われている。その一方、著書「私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない」の中では、「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに政略結婚させられた母が可哀相で仕方がなく、母に辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」という痛切な告白をしている)
 「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」などの言葉を残している。
 1998年11月放送の『ラストマン・スタンディング』の解説収録後急死した。
 (1998年11月11日午後8時7分、腹部大動脈瘤破裂が原因による心不全で死去。享年89。喪主は姪の編集者淀川美代子)

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