「彫刻の脅威或は彫刻の芸術的価値はその天然の模倣でないことはもちろんであるがそれと全く撰を異にし而も天然自然の実在性を確保する性質のもの即ち同じ石にも石であり乍ら石を解脱して石を超越した生命を持つ石そんな石が不可思議な魅力をでもって芸術的観念に働きかけてくる」(純粋彫刻論)
明治が生み出し、大正、昭和初期に活躍した彫刻家「橋本平八」。
彫刻のために泳法して溺死しかけたり、彫刻のために断食したりと現在のアーティストも学ぶところ多し!
「石に就て」は刮目してこれを見るべし。
38歳で死去!
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略歴
1897年 現在の伊勢市朝熊町に生まれる。
1915年 伊勢の彫刻師三宅正直に師事。
1919年 上京し、内閣印刷局につとめる。
1920年 佐藤朝山に入門。
1922年 日本美術院研究会員となる。
第9回院展に「猫」を出品。
1923年 関東大震災後、一時奈良に滞在。
1926年 第13回院展に「成女身」を出品。
伊勢に帰郷。
1927年 第14回院展に「裸形の少年像」を出品。
日本美術院同人に推挙。
1928年 第15回院展に「石に就て」を出品。
1930年 第17回院展に「花園に遊ぶ天女」を出品。
1931年 飛騨で円空仏を見て、強い影響を受ける。
1935年 11月1日、脳溢血で死去。
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