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第244戦隊『飛燕』

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詳細 2023年12月10日 18:51更新

飛行第244戦隊(ひこうだい244せんたい)とは第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍の航空部隊の1つ。航空戦力を主として本土(特に首都圏)防衛の任務に当たっており(一時期防空任務を解かれたこともある)、特に禁闕守護(きんけつしゅご、=皇居の警護)を最重要任務としていたため「近衛飛行隊」と自他共に称していた。

昭和16年8月、陸軍飛行第144戦隊として編成される。昭和17年4月、西日本方面の防空専任部隊(近畿地区の飛行第246戦隊・九州北部地区の飛行第248戦隊等)新編に伴なって飛行第244戦隊と改称。

操縦者の錬度が非常に高かったと言われるが、本格的な本土防空戦が始まる頃には、ベテランパイロットの多くが他戦隊に引き抜かれ、錬度が落ちていたのが実情。太平洋戦争中に戦隊全体で100機を超える敵機を撃墜破(空対空特攻含む)し、対B-29戦では、陸軍航空部隊随一とも言われる戦果を挙げた。主な配備機は九七式戦闘機・三式戦闘機「飛燕」・五式戦闘機。戦隊長は戦争後期に着任し、当時陸軍最年少(24歳)の隊長であった小林照彦少佐(最終階級)が特に有名。

部隊編成時より調布飛行場を本拠として展開し、昭和18年7月に三式戦闘機が制式化されると全機機種改変し、不調の多かった液冷式発動機に悩まされながらも整備陣の努力により、同戦闘機装備の部隊としては高い稼働率を維持するに至った。

昭和19年11月初頭からは来襲するB-29に体当たりを含めた迎撃にあたり(震天制空隊)、244戦隊の活躍振りは連日新聞紙上を賑わせた。昭和19年12月頃から浜松・知覧等を転戦し、アメリカ海軍機動部隊の迎撃、中京地区の防空任務にあたるようになるが、艦上戦闘機が相手の戦闘はあまり得意ではなく、昭和20年4月頃からはB-29にもP-51が随伴するようになり、さらなる苦戦を強いられるようになった(244戦隊によるP-51撃墜の記録は0機)。

昭和20年4月下旬、五式戦闘機が制式化されるとただちに全機改変し、それまで苦手であった対戦闘機戦でも有利な戦いを展開した。20年5月〜6月には天号作戦に参加し、沖縄戦の特攻機援護等を受け持った。沖縄戦終結後は小牧〜八日市と転戦し、編成から一度も外地へ派遣されることなく終戦後の20年8月末に解隊された。

☆このように、帝都防空に大変重要な存在だった飛燕。
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