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CABIRIA、巨大サイレント映画愛

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詳細 2017年3月19日 12:08更新

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『カビリア』こそ、『イントレランス』『メトロポリス』といったサイレント映画"超弩級スケール"の美学と力学の嚆矢になった、記念碑映画である。

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◆◆◆◆◆◆◆◆『メトロポリス』の
モロク神殿がぱっくり口を開けて悪魔たちが這い出てくるシーンも
『イントレランス』バビロン篇の 大理石の柱頭象の群れも◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆ すべては『カビリア』から始まった ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「雷・・・その恐ろしさと美しさを、太古の人間たちは神の化身と崇めた。現代のわれわれにとって、雷は予想可能な自然現象のひとつである。しかしそのうつくしさと恐しさは依然変わらない。『カビリア』は、いわば映画の世界の"雷"なのだ」
マーティン・スコセッシ



『カビリア』(CABIRIA 1914 Itala film)

人影製作、監督、脚本: ジョヴァンニ・パストローネ
人影原作: ガブリエーレ・ダヌンツィオ
人影出演: ウンベルト・モッツァート
バルトロメオ・パガーノ
イタリア・アルミランテ・マンツィーニ
リディア・クァランテ
ジーナ・マランゴーニ
ダンテ・テスタ
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1914年に完成した『カビリア』は、トラヴェリング・ショット(移動撮影)を画期的に濫用し、映像のリズム、ディテール拡張に生かされた最も初期の映画である。監督で、プロデューサーのジョヴァンニ・パストローネいわく、

「立体的な効果を得るために、台車にのせたカメラを人物にむかって斜めに進ませたんだ。すると、次第に登場人物は群集から切り離され、最後にはクローズアップで捉えることになる。クローズアップでは、まばたきひとつ、ちょっとした顔の動作が非常に重要だ。こんなことは、演劇でも、絵画でも、文学でもなかった。他の芸術ではできないことなんだ」

『カビリア』の、トラヴェリング・ショットの劇的濫用を、ポール・ヴィリリオは自著で「見るのではなく、飛行する。それが映画だ」と、卓抜な表現で称えている。

パストローネは、1912年6月に『カビリア』の企画を発表すると、屋外撮影のために専門の気象観測所を建て、連日の天気を記録させた。綿密な時代考証が凝らされ、カルタゴ王宮の絢爛さセットや衣裳には莫大な費用が投じられた。わけても王宮の壁画装飾や壁画のデザインはすばらしく、巨象の柱頭彫刻がD.W.グリフィス『イントレランス』バビロン篇のセットのモデルになったことは有名である。
力持ちの黒人奴隷マチステを演じたバルトレメオ・パガーノはジェノヴァ港の荷下ろし人夫からえらばれ、アルキメデスに扮したエンリーコ・ジェメルリは、演技力よりも自分のひげをのばすことを命じられた。当時映画では、つけひげをもちいることが慣らわしであったため、『カビリア』は、本物の長いひげが世界ではじめて映画に映ったことになる。

そしてパストローネが、もっとも細心したのが『カビリア』の、原作者の選定であった。このころは、まだ監督や役者、スタッフというものが重要視されていなかったので、よっぽどの大女優でもでてこないかぎり、映画の評価や成功は、原作者の名前で決まったのである。そこで撮影所が、そうとうの肝いりでえらんだのがイタリアにとどまらず、世界的な名声に支えられていた”文豪”、ガブリエーレ・ダヌンツィオであった。

じつはダヌンツィオは、『カビリア』の原作も脚本も書いていない。それらはすべて、パストローネが書いたのである。
フィレンツェの古雅な自邸、ラ・カッポンチーナを借金のかたにとられ、パリに「亡命」していたダヌンツィオを、パストローネは訪れた。監督兼プロデューサー兼脚本家はダヌンツィオに、5万リラの契約金と、「原作者として名誉が傷つかない事」を約束し、契約書のサインを手に入れた。
ダヌンツィオは、パストローネが持参した脚本に目をとおすと、タイトルを『火の物語』から、火からうまれた娘を意味する『カビリア』に変更し、字幕をみやびな擬古典風に潤色、登場人物もマチステ、クロエッサ(カビリアの乳母)、カルターロ(カルタゴの、モロク神殿の大神官)など、ひびき良く改名した。

1914年、4月18日の夜、トリノのヴィットリオ・エマヌエーレ劇場で、完成した『カビリア』の、プレミア上演がおこなわれた。ダヌンツィオの戯曲『フェードラ』を歌劇にした、イルデブランド・ピツェッティによる『カビリア』のテーマ音楽”火の交響曲”が、80人のオーケストラと、バス独唱、混声合唱で演奏されて、上映がはじまった。記録では、ほぼ4時間かかったというが、これは当時の映写機の上映スピードによるものと考えられる。


「船の中にはフォルビオス、忠僕マチステ、そして愛らしきカビリアの三人の姿を見ることができました。
 船は行く、船は行く、三人を乗せた喜びの船は、ただあてどもなくカビリアの帰りをまつ年老いたるパトウ夫妻の住めるシシリー島の沖合いを、矢をいる如くに進み行くのであります。
 船は行く、希望の帆に幸福の風をはらませて船は行く。波のまにまに、時は今誰か昔を語りなん。回顧すれば十幾年、あの恐ろしき エトナの山の大噴火、続いて来たる大地震、モロック大聖堂犠牲の式と、いくた浮世の荒波にもまれしカビリアも、今は神の助けを得たり。あまたのキューピットのまもりを得て、喜びの港入りをすることができました。
 春秋ここに二千歳、いまなお行きかう旅人の、話題にのぼる物語。ダヌンチオの名作大カビリアの十二巻、これをもって全巻の終わりであります」
(『加藤泰映画華』P101、弁士の西川楽天がカビリアのラストをうたった名調子抜粋) 

日本では、大正5年(1916年)4月29日に、初上映され、大評判をよんだ。東京、帝劇では特別公演をひらき、特等席は5円(今の値段でほぼ1万円)であった。 淀川長治さんは幼稚園のころに観たという。



以上の文は、 『イタリア無声映画の黄金時代』(1988年)、『イタリア映画大回顧』(2001年)のパンフレットを中心に、参照・作成したことをおことわりします。



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