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ガブリエーレ・ダヌンツィオ

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詳細 2017年3月29日 11:15更新

此処は詩人、小説家、劇作家ガブリエーレ・ダヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio 1863-1938)について語り合うコミュニティです。
ダヌンツィオ(ダンヌンツィオ)は官能美、頽廃美にあふれる文学で「言語の魔術師」の麗名をはせ、鷗外や三島などわが国の文豪たちによって、屈指の名譯もうまれました。
図書館やネットで、探しやすいダヌンツィオを挙げてみます。

『海潮音』(上田敏譯・新潮文庫)
『上田敏全訳詩集』(上田敏 山内義雄、矢野峯人/編・岩波書店)
『死の勝利』(野上素一譯・岩波文庫上下巻 / 脇功譯・松籟社)
『秋夕夢』(鷗外全集5・岩波書店)
『聖セバスチァンの殉教』(三島由紀夫戯曲全集下巻 新潮社、決定版・三島由紀夫全集25 新潮社、三島由紀夫全集24 新潮社、クラテール叢書10 国書刊行会)
『快楽』(脇功譯・松籟社)
『罪なき者』(脇功譯・松籟社) 




トップ写真は、映画”D'Annunzio”(1985)。
ダヌンツィオを演ずるは『マーラー』『ルー・サロメ 善悪の彼岸』のロバート・パウエル。出演は『暗殺の森』『鍵』のステファニア・サンドレッリ、『サロン・キティ』『カリギュラ』のテレサ・アン・サヴォイ、『ルードウィヒ』のソニア・ペトロワ。
http://www.imdb.com/title/tt0092814/


サド侯爵やバイロン卿によって山賊伝説、ミンスキー食人公譚をうたわれた南イタリア、アプルッツィ地方の街ペスカーラにうまれ、蒼穹と碧海、暴力と迷信と本能とが綯い混った幼少をすごす。本名をGaetano Rapagnetta.

若干十七歳で首都詩壇に注目され、ディ・ガレーゼ公爵の娘と結婚した二十歳には、かずかずの華麗な詩集を上梓し天才としての地位を獲得した。ローマ社交界では恋愛と決闘をくりかえし、親友エドゥアルド・スカルフォリオとのサーベル勝負で生死をさまよった。
一八八九年に発表した長篇小説『快楽』は、ユイスマンスの『さかしま』、オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイ』とならんで世紀末頽廃文学の聖書ともてはやされ、ルキノ・ヴィスコンティの映画『イノセント』の原作になった長篇『罪なき者』がフランスの出版社から上梓されるとダヌンツィオの名はひろく世界に知られるようになった。

フリードリッヒ・ニーチェの超人思想への傾倒によって、『死の勝利』『巌の乙女』といった"言語の魔術"が横溢する、ダヌンツィオの散文作品の最高傑作が誕生した。

ダヌンツィオは一八九五年、ヴェネツィアで女優、エレオノーラ・ドゥーセと出会いたちまち意気投合すると、『春曙夢』『秋夕夢』『ラ・ジョコンダ』など、華麗な戯曲を続投し、スペクタクルな愛慾劇『フランチェスカ・ダ・リミーニ』で、その共闘の頂点にいたる。さらにドゥーセとならび、欧州劇壇に君臨していた”神聖な怪物”サラ・ベルナールのためにも名篇『死都』をささげた。これらはダヌンツィオの並はずれた快楽生活におとらぬ万巻の典籍読破と綿密な古典研究の昇華でみちみちていた。

一九〇九年、持ち家だったフィレンツェの古雅な邸、ラ・カポンチーナを借金生活のかたに召しとられ、ダヌンツィオはパリに渡る。
たちまちにして、パリ社交界の寵児になったダヌンツィオは「一九〇〇年のプリンス」、倣岸無比の大貴族、ロベール・ド・モンテスキュウ伯爵のサロンにまねかれ、千一夜冒険譚の体現のごとき、熱烈な歓待をうけた。
三島由紀夫によって、艶麗な日本語に翻訳された霊験劇『聖セバスティアンの殉教』はこの時期に執筆され、ディアギレフ・ロシアバレエ団の異端児イダ・ルビンシュテインのタイトルロールで上演された。

一九一四年に第一次世界大戦が勃発すると、当時最新鋭の水雷艇や戦闘機に乗って戦場を放埓にかけまわり、高揚したイタリア国民によって、英雄にまつりあげられた。ダヌンツィオの飛行隊はLa Serenissima(いと麗し)と名付けられ、ウィーン上空から”詩の爆弾”を無数のビラにして投下するパフォーマンスでやんやの喝采をあびた。

ヴェルサイユ条約での、イタリア政府の弱腰に憤激したダヌンツィオは、終戦の翌年一九一九年に、古代ローマ軍を模した「千人隊」をひきいてフィウメ市を占領、"ドゥーチェ"の称号で、ほぼ一年にわたり当市を支配した。

晩年には北イタリアのガルーダ湖畔に、途方もない広さの領地を買い占めて”イル・ヴィトリアーレ”と命名。耽美主義者の人工楽園をきずきあげた。帝政ローマさながらの円形劇場を建てると、その柿落としの招待客を六百人までふるいおとし、一人千リラの超高額チケットを売りつけた。
朝廷はダヌンツィオにモンテ・ネヴォーゾ公爵(il Principe di Monte Nevoso)の称号を下賜し、空前の贅を凝らした一巻一万リラで全五十巻の文学全集を刊行した。その美々しさにローマ法王が激怒したという。

イタリアは当時、サイレント映画の黄金期にあり、ダヌンツィオの作品はつぎつぎと映画になった。
ダヌンツィオの実子ガブリエリーノは映画界の役者、監督であり、父の戯曲『船』を一九二一年に、イダ・ルビンシュテイン主演でメガフォンをとった(日本公開時の邦題は『復讐の紅薔薇』)。
ジョヴァンニ・パストローネが監督した超大作『カビリア』は、ダヌンツィオの原作として、世界中で上映された。

ピエトロ・マスカーニは歌劇"Parisina"(1913。原作はバイロン卿の長詩『パリシナ』)を、イルデブランド・ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti)は、歌劇"Fedra"(1915)を、ダヌンツィオの台本によって作曲した。ピツェッティはダヌンツィオの戯曲『船』や『かぐわしき死』でも音楽をまかされ、映画『カビリア』では"炎のシンフォニー"と題した壮大な劇中曲を書いた。
リッカルド・ザンドナーイ(Riccardo Zandonai)は『フランチェスカ・ダ・リミーニ』を1914年に、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero)は『秋夕夢』(モノオペラ?)を1913-4年に、それぞれオペラにした。
グィド・アルベルト・ファーノ(Guido Alberto Fano)は、カルドゥッチやパスコリとともにダヌンツィオの詩を好んで歌曲にした。トスティ(Francesco Paolo Tosti )はダヌンツィオに心酔し、"A vucchella (かわいい口もと)"のような名作歌曲をのこした。
ピアニストで作曲家で理論家だった"超人"フェルッチョ・ブゾーニ (Dante Michelangelo Benvenuto Ferruccio Busoni)はダヌンツィオを、レオナルド・ダ・ヴィンチとならんで、その創造理念の霊源にしていた。未完におわったが、ロシア象徴主義の重鎮作家メレジコフスキーの長篇『レオナルド・ダ・ヴィンチ 神々の復活』をオペラにする際、ブゾーニはダヌンツィオに台本の執筆を依頼した。

一九三八年三月一日の死を、ダヌンツィオは予言のように自覚していたという。枝付きの大型燭台と鏡にかこまれた天蓋付きベッドの黄金とシルクにつつまれ、煌々たる松明のもと、薔薇に覆われたテーブルと、ポール・ポワレのデザインしたガウンを纏ったミケランジェロ『瀕死の奴隷』のレプリカを前に、ダヌンツィオは永眠した。
ワーグナーの『ジークフリートの葬送行進曲』が流れる中、ムッソリーニが弔辞を読みあげ、終日にわたる壮麗な国葬が営まれた。



本コミュニティではダヌンツィオの、わが国とも縁のふかい、藝術家としての豊醇・瑰麗な審美性を復権し、もって白玉楼中の詩客に報いる朝を願っております。

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