【ワンダーボーイ】
フットボール王国イングランドが輩出する恐るべき天才児。彼らは「ワンダーボーイ」というネームを継承しイングランドフットボール界に君臨し続けている。
■元祖ワンダーボーイ
『マイケル・オーウェン』
生年月日:1979/12/14
出身地:チェスター
ポジション:FW
身長/体重:175cm/64kg
代表デビュー:1998/2/11
18歳にしてイングランドプレミアリーグの得点王に輝いた天才児。当時その他大勢いるイングランドの若き才能の中にあって、このオーウェンこそがその先鋒だった。
1998年に18歳にしてプレミア得点王に輝きフランスワールドカップに出場。
宿敵アルゼンチンとの試合で、マラドーナの5人抜きドリブルを彷彿とさせる50mぶっちぎりドリブルシュートを決めて、世界にその名を知らしめたこの時、彼は「ワンダーボーイ」となり、世界に彼の名が轟くこととなる。
2001年には欧州最優秀選手バロンドールも取得している。20歳そこそこでバロンドールに輝いたのはロナウド以来の快挙と言える。
■2代目ワンダーボーイ
『ウェイン・ルーニー』
国籍:イングランド
生年月日:1985/10/24
出身地:リバプール
ポジション:FW,MF(OH)
身長/体重:176cm/73kg
代表デビュー:2003/2/12
17歳の1億円プレーヤーが誕生する。
19日のアーセナル戦で16歳360日のプレミアシップ史上最年少ゴールを挙げたエバートンFWウェイン・ルーニー(16)が、週給1万ポンド(約190万円)の3年契約を結ぶことで合意に達した。破格の収入を得るワンダーボーイが、スーパースターの道を歩む。
プレミアシップの規定により、16歳まではアマ扱い。ルーニーは、トップチームに帯同した場合に週給80ポンド(約1万5200円)を得ていた。
17歳の誕生日をもって、晴れてプロ選手となる。
エバートンでは、2年のオプション付き3年契約を結ぶ見込み。年間換算1億円の“先物買い”となるが、同副会長には「それだけの価値がある選手。それを証明したのが19日の試合だった」と迷いがない。
それほど、『アーセナル戦の印象は強烈だった』
ルーニーは1−1の後半36分から登場し、ロスタイムに25メートルの決勝ミドル弾。
イングランド代表GKシーマンの動きを読み、狙いすましてゴール左上に突き刺し、昨季覇者の連続不敗記録を30試合で止めてみせた。就任7季目の敵将ベンゲル監督が「私がイングランドで見た中で最も優れた選手」と激賞したほどだ。
なんというサプライズだろうか。2002年10月19日、アーセナルvsエバートン。
完成されたスペクタクルフットボールで2001/02シーズンのリーグチャンピオンに輝いたアーセナルを相手に、エバートンはなんとか同点に持ちこたえていた。後半35分に16歳の少年がピッチに立つ。
その10分後。少年の放ったシュートは美しい弾道を描きアーセナルのゴールへと吸い込まれていった。アーセナルの30戦連続無敗の記録を止めるファインゴールは世界中のメディアで幾度となくリプレイされ、そのシュートを放ったウェイン・ルーニーの名は瞬く間に世界中に広まった。
2003年3月にイングランド代表史上最年少でデビューを飾り、既に代表にとっても欠かせない存在となった。2004年欧州選手権ではイングランドのエースとしてデイビッド・ベッカムをも凌ぐ存在感を発揮、4得点を記録した。
ルーニーほど才能と運に恵まれた選手など、過去のサッカー史を紐解いたとしても数えるほどしかいないのだから。
■3代目ワンダーボーイ
『セオ・ウォルコット』
国籍 イングランド
誕生日 1989年3月16日
出身地 ニューベリー
身長 176cm
体重 68kg
前線ならどのポジションも無難にこなす柔軟性とフレドリック・ユングベリに似た俊敏な動き、ティエリ・アンリのような冷静さを持ち合わせる。100mを11秒4で走るといい、イングランドの将来を担っていく存在といわれる。
ウォルコット、アーセナルへ( サウザンプトン(イングランド2部リーグ)に所属するMFウォルコット(16)のアーセナル移籍が決定した。移籍金は1200万ポンド(約24億円)。
ウォルコットは3月に迎える17歳の誕生日までアーセナルとプロ契約を結ぶことはできず、その後正式に契約金の一部、500万ポンド(約10億円)がサウザンプトンに支払われた時点で奨学選手としてアーセナルに登録される。
イングランドの将来を担う選手として嘱望されるウォルコットに対してはチェルシーも獲得を狙っていたとされていたが、ウォルコットはレギュラーとしてプレーできる可能性と、チームが来季から新スタジアム、エミレーツスタジアムに本拠地を移すという理由や若手育成に定評のあるベンゲル監督とティエリ・アンリの存在が決め手となりアーセナルを選んだとされている。
まだプロ契約もできない年齢にも関わらず、モウリーニョ、ヴェンゲル、ファーガソンが獲得合戦を繰り広げるほどのタレントでその才能はあのウェイン・ルーニー以上とも。ウェイン・ルーニーと度々比較されるがそれもまたイギリス国民の期待度の高さだということだ。
代表デビューはワールドカップ直前の親善試合、ハンガリー戦。後半20分にマイケル・オーウェンに代わって出場し、後半43分には初シュートも放った。17歳75日のイングランド代表史上最年少デビューを飾り、ルーニーが持っていた17歳111日の記録を塗り替えた。