四元康祐(よつもと・やすひろ)自筆年譜
たとえばドガの場合
1934年7月19日、イタリア系フランス人の銀行家を父としてパリに生まれ
1847年母を亡くし
1860年にはマネやピサロや日本の版画と出会い
1870年から二年間晋仏戦争で兵役につきその頃から次 第に視力が衰え
1874年には父が死んで銀行がつぶれて借金を背負う
1880−90「踊り子、歌手、馬にソネットを献じ、大量の古典および同時代絵画ーアングル、ドラクロワ、セザ ンヌ、ゴッホ、マネ、ゴーガンを含むーを収録」
1893年初めての個展を開き
1895年以降はもっぱらパステルで踊り子とヌードを描 くことに専念するが
1900年までにはほとんど全盲となる
そのあと1917年に没するまでの記載は無きに等しい。
翻って私の場合
1959年8月21日、サラリーマン家庭の一人っ子として大阪府寝屋川市で生まれ
1978年母を亡くし
1983年大学の同級生と結婚し
1986年には米国へ移って、日本語で詩を書き始め
1991年金関寿夫、大岡信、谷川俊太郎と会い、詩集「笑うバグ」を刊行するが その後詩壇から遠ざかり
1991ー2001年はドイツ・ミュンヘンへの転勤を挟んで 仕事と一男一女の子育てに明け暮れ
2002年以降「世界中年会議」「噤みの午後」「ゴールデンアワー」「四元康祐詩集」等を 発表して現在にいたる。
ふたつの年譜には父母を亡くし、
やがて自分も死ぬこと以外に全くなんの共通点もないが
今日空は悲しいばかりに晴れあがって
これと瓜ふたつの青空がドガの年譜にも隠されていることだろう
飛ばされた西暦の隙間に幾重にも畳みこまれて
綻びた折り目から光を漏らして
(「別冊 詩の発見 第2号より」)