小山田 信茂の個人が無かったので作りました。
自由にやって下さい。
★最強の郡内国人。
甲斐岩殿城(岩殿山城)に居を構えた国人領主。
武田氏と友好的な関係にありながら、後北条氏からも他国衆として領地を認められていた。
信玄時代
天文8年(1539年)、小山田信有の次男として生まれる。
信玄の従兄弟に当たる。
天文21年(1552年)に父が死去したため、家督を継いだ。
弘治2年(1557年)の第3次川中島の戦いで初陣する。
永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いでは、上杉謙信軍に追い詰められた信玄の窮地を救うという功績を挙げた。
永禄12年(1569年)の小田原北条氏攻めでは、小田原城の支城である滝山城攻城戦の前哨戦で北条氏照軍を打ち破った(廿里古戦場)。
元亀3年(1572年)の信玄による上洛戦争においても、12月の三方ヶ原の戦いで徳川軍の石川数正隊と戦い、武功を挙げた。
勝頼時代
元亀4年(1573年)に信玄が死去すると、勝頼に仕えた。
勝頼のもとでも多くの戦いに参加している。
天正6年(1578年)に武田家と北条家の同盟が破棄となると、北条氏の抑えを務めている。
天正10年(1582年)2月、織田信長の信濃・甲斐への侵攻(武田征伐)が始まると、信茂は武田勝頼に新府城から自分の居城である岩殿山城に逃れるように勧めた。
しかし途中で裏切り、勝頼や嫡男の武田信勝らを天目山に追いやり、結果的に自殺へ追い込んだとされている(天目山の戦い)。
一方で、笹子峠から勝頼を攻撃したという事実は無いという説もある(笹子峠から攻撃したのは織田軍であるとも)。
甲斐が平定された後、小山田信茂は長男を人質として差し出すために信長に拝謁しようとしたが、信長から「武田勝頼を裏切るとは何たる失態」と咎められ、甲斐善光寺で処刑された。
享年44。
人物
信玄に従って数多の功績を挙げ、武田家中で随一の勇将・小山田と呼ばれた。
武田軍においては、投石部隊を率いて縦横無尽の活躍をしたとされている。
小山田氏の立場
同盟者説
戦国時代の武士団同士の関係を「同盟者」と「配下」の二類型に簡単に単純化できるかという疑義もある。
小山田氏は関東平氏の血を引く名門であり、信玄の父・武田信虎の時代である永正7年(1510年)までは武田家と争っていた。
そのため、小山田氏の歴代当主は、武田家と縁戚関係を結んでいるし、信虎との抗争も降伏ではなく、講和だったとされていることから、同盟者という説も否定できない。
小山田信茂は信玄の娘婿・木曽義昌や、信玄の甥であり、なおかつ信玄の娘を妻としながら勝頼を裏切った穴山信君同様、その評判は山梨県内では芳しくないが、小山田氏は前述の通り、武田配下というより同盟者の立場の国人だったのである。
先述の北条氏より所領を得ていた事、小山田領内には武田氏によって建てられた寺院等が少ない、小山田支配の郡内地方に武田氏発給の文書が全く無い事からも、それは確認できる。
当時の情勢を鑑みれば、自分の領土や家族を守るためには、裏切りもまたやむを得ない選択であったと思われる。
小山田氏よりも先に裏切った、より武田氏に近い血筋の人間も居たわけであり、歴史的な再評価が必要であると主張する者も存在する。
家臣説
武田氏に母親を人質に差し出していたこと、勝頼を攻撃した真偽はわからずとも、結果的に「主君を裏切るとは不届き者である」という理由で信長に処刑されていることから、武田氏の配下の枠に収まっていたとの見方もある。
信茂自身も信玄の従兄弟に当たる存在なのだから、武田家の親族衆であったことは確かであり、この点を考えると、他家からは「武田家の家臣」と見なされていた可能性もある。
☆徳川十六将
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