村井仁長野県知事(2006年9月1日就任)。
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長野県知事 村井 仁
生年月日 昭和12年(1937年)3月28日
出身地 長野県木曽郡木曽福島町(現・木曽町)
最終学歴 東京大学経済学部卒業
学位 経済学士
前職 衆議院議員
世襲の有無 無
在任期間 平成18年(2006年)
‐ (次期)
当選回数 1回(衆6回)
所属(推薦)党派 無所属
元防災担当大臣兼国家公安委員長(67代)。
来歴
羽田孜の側近として自由民主党・新生党・新進党と行動をともにしたが、後援会の要請により自民党へ復帰した。
郵政民営化の旗振り役で、党郵政民営化推進委員会の役員をしていたが、「政府案では、民業圧迫になりかねない」との理由で2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じた。9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られないため立候補せず。
2006年8月6日投開票の長野県知事選挙に自由民主党と公明党の県組織の推薦で立候補し、現職の田中康夫を破って当選。任期は9月1日から。
長野県知事選挙告示前日の7月19日に自由民主党を離党しており、現在は無所属。
長野県知事に当選当初は、前知事田中康夫の「脱ダム宣言」の見直しを言明していたが、その後『個々の河川の整備状況を見ながら考える』として性急なダム建設回帰には慎重な姿勢を見せている。
また、田中県政の象徴的存在であった、県庁舎1階にあった「ガラス張り知事室」と経営戦略局の廃止を表明するなど、田中色の払拭姿勢が見られる。
長野県知事選で現職を破って初当選した長野県史上初の知事である。
平成18年(2006年)8月6日
長野県知事選挙
(無所属・自民党および公明党の県組織推薦)当選。(※ 現職候補を破っての初当選は公選制に移行した1947年以来初である。)
長野県知事選挙 (投票率:65.98%)
当落 得票数 候補者 党派 前歴 推薦・支持
当 612,725 村井 仁 無所属 新人 連合
534,229 田中 康夫 無所属 現職
村井仁公式ホームページ
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「郵政民営化反対論者はテレビに出よ − 金子勝はブログを作れ」
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