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タイ東北弁 イサーン語研究会コミュのあいまいなことば

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最近、タイ語ってあいまいだよなって思うようになりました。

最初は、僕が、タイ語が良くわかっていないからだろう、と思っていたのですが、ちょっと違うような気がしてきました。 ひょっとしたら、僕の回りにいる人がイサーン人オンリーだからなのかもしれないのですが...。


例えば、代名詞です。 英語だったら、 that this it he she they ... と状況によって沢山あるし、a と the があるので、それが何のことを言っているのか、かなり、厳しく特定できるような気がします。

ロシア語だったりすると、数のほか男女中性の別まであってかなりバリエーションに富んでいます。 より、厳しく細かいことを表現できるような気がします。

日本語も、一瞬少ないような気もしますが、「彼」や「彼女」「これそれあれ」の他、「奴」や「こいつ」とか、口語的な代名詞が結構色々あって、英語やロシア語とはまた違った。細かなニュアンスを伝えることができるような気がします。


で、タイ語なんですがニー(これ)ナン(それ)ノン(あれ)のほか「カウ」(それ・彼・彼女・その他) しかないのです。それに、聞いている感じ、「ナン」「ノン」は あまり主語にはならないようで、ほとんど「カウ」の独壇場になっているような気がします。

そうすると、こんなすごい文章... 「カウがカウにあれして、だからカウは、カウに怒ったけど、カウはそう思わなかったから、カウに文句をつけた」 とかそういう感じの文章になることが、極めて多いような気がします。

これって、当事者じゃないと、カウが全部で何人居るかすら判別不能です。 (例えば、この文章だと、カウは、最大6人まで考えられますが、2人かも知れません。 でも1人はありえなさそうです。)


普通に、おしゃべりをしている分には、全然オッケーだけど、お金が絡む話とかになると、いつもこれにイライラするので、最近は、必ず「カウっていうなよ!」って言うようにしています。



参考資料にもあげた「正調イサーン語」のホームページを書いている方は、僕なんかより全然本格的に勉強している方で、イサーン語もタイ語も詳しい方ですが、やはり、日記で「タイ語はあいまいだ」と書いていたのを見たことがあります。 タイ語は、全ての形容詞が後ろについて名詞を修飾する言語だから、区切る位置によって意味が全然変わってしまう文章が出来上がってしまうというのです。

法律的な文章なんかだと、意味が分散してあいまいになってしまうので、とても困るそうです。 また、おかしなことに、法律専門家に電話して聞いてみたりすると、人によって回答が異なったりするそうで、更に輪をかけて困るそうです。



そのあたり来ると、日本語も、結構、あいまいな言葉な様な気がしますが、古くからの「やまと言葉」に加えて、中国語や韓国語から、積極的に言葉を輸入し、足りないところを補うことで、より厳格化した感があります。

そんな厳格化した日本語に対して、タイ語は、厳格化するよりも、敢えてそのまま、あいまいさの中で発展することを選んだのではないか、と僕は思うのです。


そういう気風は、例えば「座禅」の考え方なんかに表れているような気がします。

日本の座禅は、もちろん、色々な見方があると思うのですが、比較的、哲学的なものと結びついているのではないでしょうか。 そういう内面の探求から始まって、それが最終的に「宮本武蔵も座禅を武術に取り入れていた」とかいうような、極めて実践的な応用にも結びついているような気がします。


タイの座禅の目的はずばり「温和になるため」なんだそうです。 僕は、これは、すごく言葉と結びついているように思えました。 あいまいな言葉の世界で、いろんなな人が、いろんな違った解釈をしてしまうわけですが、その違いにいちいち目くじらを立てて怒ったりしないで、そのひとなりの解釈を尊重しよう、と言う柔らかな気風が、僕には感じられました。

(実は、正確を期すために書くと、「怒りを納めるため」と言う風に言われたのです。でも、これは、日本の座禅で言うような「怒りを納める」とはかなりニュアンスが違うのを感じました。だから、温和になるためとここでは書きます。)



国によってそういう風に言葉を「厳格化」したり「柔軟化」したりするように思うのですが、そんな言葉を厳格化した国に、イギリスがあるんじゃないか、と言う気がしました。

僕は、イギリスと日本には、意外と共通点があるよな...と感じる事が少なくないのですが... 今、日本でいじめが問題化しているのと同じ様に、イギリスでもいじめが問題化しているそうです。


恐らく日本もそうだと思うのですが、言葉が厳格になり、論理的な思考を人と人のあいだでやり取りできるようになると、逆に人と人の関係は疎になっていくのではないでしょうか。

厳格になった言葉を駆使して社会は経済的に発展していくんだと思います。 それは、すなわち、綺麗な建物が沢山出来て、道が清潔に保たれて、街が綺麗になって、おしゃれな喫茶店が出来て、色々なサービスが充実していくのだと思います。

でも、往々にして、こういう国というのは、なんというか... 人々の『理想像のスイートスポット』が異様に狭くなるような気がするのです。

男性なら ...「年収が700万円以上あって、背が高くて、学歴はxxx以上で、髪の毛はxxx風で、都内在住、残業はxxx時間以内で...」と言う風に...。 もちろん男性に限らず、女性にだってやはり同様以上に厳しく残酷な理想像が求められていような気がします。

厳格に発展していくと、その理想から少しでも外れると、忙しいばかりで、全然幸福でなくなってしまうという、なんともいえない、本末転倒が発生するような気がするのです。 ひいては、どうせ、こういう状況では、子供を作っても幸せじゃなくて可哀想だ、ということで、少子化にもつながっていくような気がします。


要するに... 言葉が厳密化することで、社会でもたれている価値観が画一化していくんじゃないかな、という風に感じたのです。 画一化した結果、多くの人は、あまり幸せではなくなるような気がするのです。


なんか、こうして、タイにいる西洋人を見ていると、漠然と共通点を見つけてしまいます。 いじめられっこだったり、家庭が複雑だったり、ハゲだったり、体のどこかに欠落があったり ... そんな、自国にいても一抹の居心地の悪さを感じてしまう人たちが、不幸の原因を厳格に追究せずに、あいまいにやさしく包んでくれるタイに惹かれてやってくるのではないでしょうか。


そんな『厳密な言葉』ですが、実は、人の気持ちについて語る単語は、ほとんど持ってないのかもしれないですね....。

コメント(17)

タイ語は厳密でない、論理的でない言語だ、という話は日本人のタイ語のプロ、セミプロ、素人などから、しばしば聞きます。とりあえずタイ語で飯を食っている私としても、そう思わされることがあります。
まあ、厳密だ、論理的だ、っていうのは、約束事とか、契約とか、科学で必要な概念なので、当然近代化と結びつくのですが。
で、その様な厳密さ、論理性をもって、近代化に遅れている人たちが食い物にされるのですな。なんせ、タイ国も近代国家の一員なわけで、そうすると当然法律があって、厳密さ、論理性を振り回す連中はそれらを武器として、つまり国家権力にしっかり庇護されて、前近代を淘汰していく。
そこで、前近代を固守するか、それとも負けじと近代の理論で武装するか。
残念ながら、前者で成功した例を、わたしは知らない。
習う側からすると、タイ語のあいまいさ、例えば未来だろうが過去だろうが
動詞が変化しない、てのはすごくありがたかったですね。
法律では困るんですか。
なるほど、それは困るでしょうね…

タイ語のほうが細かい、と思ったのは、「おじさんおばさん」が
自分の両親より年上か年下か父方か母方かで変わってしまうこと位でした。
(それによって同僚の子からの呼ばれ方がパーとかアーとかナーとか変わる)
まあ、困るほどのことではなかったですが…

タイが居心地よかったのは、こちらのタイ語力が乏しくても
周りのジョークで一緒に笑える、ということで、
これもある意味タイ語のあいまいさのおかげかな、と思います。
ひとつ憶えているのが(だいぶ古いですが)、
国王様がTVで言ってた話、ていうのを聞いたんですが、
ある片田舎に視察に行かれたとき、案内の者が
「もうすぐ”ディスコ通り”ですから」と言った。
こんな田舎にディスコ通りとは?と思っていると、
件のデコボコ道にさしかかり、車の中で皆踊るようであった。
これぞまさしくディスコ通り、という話でした。
案内人に座布団3枚!
自分でフォローしておきながら、実はタイ語が曖昧である、という意見には全面的には賛成できないのです。
会話や文でそう思える場面にしばしば遭遇しますが、それはタイ語自体の問題ではなく、その使い手の表現力、文化から来ていると思える。で、厳密に表現しようとすればタイ語はその力を持っていると思います。だが、日常生活ではなかなかそれを使うことがない。使わなければ、使えなくなる。てなところかしら…、尻切れトンボですいません。
すみません、意見を書くのは遅れました。ちょっと文章が長いので、辞書を開きながら、2-3回繰り返して読みました。(笑笑笑)やっと何となく解ると思いますが、
やはり国によって文化が違ったり、理解するのはどきどき、楽しいですね。
>で、タイ語なんですがニー(これ)ナン(それ)ノン(あれ)のほか「カウ」(それ・彼・彼女・その他) しかないのです。。。。


それは、当事者は一人の時に言うと思います。


>。。。 そうすると、こんなすごい文章... 「カウがカウにあれして、だからカウは、カウに怒ったけど、カウはそう思わなかったから、カウに文句をつけた」 とかそういう感じの文章になることが、極めて多いような気がします。

>。。。これって、当事者じゃないと、カウが全部で何人居るかすら判別不能です。 (例えば、この文章だと、カウは、最大6人まで考えられますが、2人かも知れません。 でも1人はありえなさそうです。) 。。。

そういう文章はタイのギャクで言うかもしれませんが、実際に当事者が多いときは「カウ」の代わりに他の言葉を使うと思います。
>味気ないかもしれません。 でも、ちょっと乱暴な言い方ですが、僕的には「楽だなぁ」と思うことも少なくないです。 日本語はそのあたりかなり面倒ですから...。

同感です。でも、面白いかも。
「明日はどうしますか?」「エー、マー、いいですけど。そのー、ちょっといろいろあって。じゃあそう言うことで…」。ファランあたりが聞いたらなんと思うかしら。
民族ごちゃごちゃのアメリカだから、というより、キリスト教的契約社会だからかしら。
一方の日本はムラ社会、ということで、手を打ちませんか。
肝心のイサーン語でもなんとか言えそうな気がするのですが。サイさん、いかがですか。
中部タイ語でも、こんな感じで煙に巻かれた記憶がある。
「で、かれは結局来るの?」
「今、来ないって言ったじゃない」
「…」
僕の意見では、日本人は相手に傷つけないためにそう言う文化になるでしょう。タイ語でもそういう人もいると思います。
お勧めのDesert Flower、読みましたよ〜
英語本に挑戦するつもりが、図書館に「砂漠の女ディリー」て
和訳があったんで、つい易きに流れてしまいましたが。
おかあつさんの言う、異なるバックグラウンド間の理解ができたかはわかりませんが、とにかく、元気をもらえました。
ありがとうございます。
そうですね。おかあつさんの意見は僕も賛成です。あげた例、僕にそっくりです。友達や親友にもお金を貸したら、自分から直接に聞くのは言ったことありません (−−)”なかなか言いづらいです。

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