ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

スピリチュアリティーの学際研究コミュのスピリチュアルヘルス概念の提唱

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


1.問題
 
肉体・環境の物理的相互作用を扱う医療モデルに、Engelは心理・社会的側面という第3の視点を付け加え、包括的な医療モデルが発展してきた。わが国心身医学においては、身体・精神・社会的側面にさらに第4番目の環境・倫理的側面を加えたモデルも提出されてきた。一方では、スピリチュアリティや魂の事柄に関し、様々な分野で討議されるようになり、海外ではスピリチュアリティに関する医学会分科会も行われるようになってきた。このような時代の要請に応え、スピリチュアル・ヘルス概念について整理しておくことは重要であると考えた。
健康のスピリチュアルな側面に関して、スピリチュアル・ペインやスピリチュアル・ケアという概念が注目されるようになってきたが、現状ではまだ末期患者の死の準備に限定して捉えられる傾向がある。スピリチュアリティの問題は、宗教や倫理観といった価値観がかかわってくるデリケートな領域であるため、討議するのに慎重な姿勢もうかがえる。
スピリチュアルな成長を遂げたと考えられるイエス・キリストや仏陀などの人物を歴史的に概観すると、スピリチュアル・ヘルス概念が明らかになる。彼らのように、気高い信念に向かって家族や命まで投げ打って普遍的な愛の実践に貢献した偉人たちも知られている。彼らは、WHOにおける現行の健康定義によれば、精神的・社会的・肉体的に必ずしも健康とは言えない場合もあり得る。しかし、彼らの生き方にみられる卓越した健全性がある。本稿では、それを、スピリチュアル・ヘルスととらえて論を展開することとする。
スピリチュアリティという言葉は宗教的・神秘的概念を含み誤解される恐れがあるとして、Franklは自動的に起きる心理作用と区別して自らの意志によって選びとる気高い精神作用を実存的、あるいはノエティックなと言い換えているが、彼自身、その意味するものはスピリチュアリティであると述べている。そのFranklはKlingerの調査1に言及して、神経症の20パーセントは実存領域の問題であると記している。それから30年たった現在、薬物療法や認知行動療法などがメンタルヘルス向上に効果をあげてきた半面、実存レベルに関する問題の検討は研究報告の数から判断する限りあまり進んでいないようである。本稿では、健康の実存的側面を含むスピリチュアル・ヘルスを「本来の自己と一致することで現れる健全さ」ととらえ、メンタルヘルスと対比させることにより、その特徴を記述していくこととする。

2.健全な苦しみ

スピリチュアリティの高い個人の実存的苦しみが「魂の闇夜」として知られている。精神科医Peckは、The Road Less Traveledというベストセラーのなかで、「愛の欠如は怠惰であり成長を回避することである、成長に伴う苦しみを除去してはならない」と訴えている3。
楽観的な対象者のほうが、悲観的でうつ傾向のあるものよりもちろん精神衛生は良好で生産性も高い。楽観性やポジティブ思考は適切なストレス対処法を可能にし、健康促進的なライフスタイルを促し、その結果心身の健康に貢献する。しかし、悲観主義者のほうが楽観主義者より現実認識が妥当で客観的である、とする見解もある4。楽観的で希望に満ちた態度は確かに健康促進的ではあるが、それが現状否認に基づいている場合には認知のゆがみが問題となる。否認といった原初的防衛機制は不健康であり、解離などの精神症状を引き起こす可能性がある。また、ゆがんだ認知による「あるがまま」も病的な自己愛を生み出し、やはり問題となる。
医療の目的を心身の症状改善、つまり苦しみを取り除くこと、楽観的で希望にあふれていることを単純に目指すことは、このようなゆがみを生じさせる可能性があることを認識しなければならないだろう。

3.スピリチュアルな渇望
心身の健康状態はかつてに比較して飛躍的改善されてきた。メンタルヘルスに対する治療法も進歩して来たが、その裏で実は新たな問題が浮上してきているように観察される。それは、単純に精神的な苦しみを取り除くことを目的とした、言葉を換えれば、スピリチュアルな次元が軽視されたメンタルな癒し行為である。ここで、スピリチュアルな次元を説明するために、心身症を例にして説明することとする。
心身症の問題を次の3つに整理してみる。1番目は精神的な問題が関与しており、それを無視しての治療は効果が上がりにくいこと、2番目は身体症状の治療のみに専念して症状が消失したとしても他の症状が現れてくる場合があること。3番目は心身症に限ったことではないが、治療そのものが自然治癒力を妨げてしまう場合もあり得ること、である。スピリチュアル・ヘルスが関与している病態にも同様な特徴がみられる。つまり、スピリチュアル・ヘルスを無視しても効果が上がりにくいこと、心身の症状消失に成功したとしてもほかの症状が現れてくること、さらに、心身の治療そのものがスピリチュアル・ヘルス発現を妨げてしまう場合もあることである。身体的回復とともに精神症状が発症したり、メンタルヘルスが回復しても身体症状となって現れるケースが知られている。病や症状は健康状態を回復するための警告であるという考え方がある。スピリチュアルなレベルにおいて症状の必然性があるときには、患者自身が深いレベルで治療に抵抗しているため、どのように優れた治療を施しても治癒は困難であろう。疾病利得などの条件も考慮する必要があるが、それを除いたとしても、不可解なケースが存在する。このようなケースの在りようが、スピリチュアル・ヘルスの観点から説明できる可能性がある。
 スピリチュアルなレベルが問われる前に、まず身体・社会という物理的側面から次にメンタルなレベルでの検討が必要なのは言うまでもない。従来のアセスメントによってなお不明なものを探るときに、スピリチュアル・ヘルスの視点がヒントをもたらすと考えられる。


文献

1.Klinger E: Meaning and Void. University of Minesota Press,Minneapolos,1977
2.Frankl V:The Unheard Cry for Meaning: Psychotherapy and Humanism, Simon and Schuster, N Y, 1978.
3.Peck MS:The Road Less Traveeled, Simon and Schuster, N Y, 1978.
4.Carver CS and Scheier MF:Optimism. In Snyder C. R. and Lopez S. J. (Eds.), Handbook of Positive Psychology, Oxford University Press, London, 366-381, 2002.


4.スピリチュアル・ヘルスの位置づけ

WHOの健康憲章改正案にスピリチュアルな健康という軸が提唱されながらも、まだ採用にいたっていない。スピリチュリティを精神と訳したり、測定観察できる面を強調して操作的に「成熟した心理的な態度」と定義することもあるため、スピリチュアリティを心理的過程そのものや一部であると還元してしまう誤解が、現在でも医学や健康科学の中で観察される。
スピリチュアリティという概念がもともと主体を超えた概念であるために、スピリチュアル・ヘルスも本来的には超越的な概念である。しかしそれがたち現れてくる個人の態度を、観察可能な現象として医科学的に捉えることによって、はじめて臨床的に有意味なものになると考える。
心身医学モデルにも、自然環境とのつながりや実存的な意味を健康問題の重要概念として提唱していくというスピリチュアルな概念が一部含まれていた。しかしながら、大いなるものとのつながりという超越的なスピリチュアリティ概念は、池見がSと表現してはいるものの5、一神教的な宗教性を連想されるためか、あまり論議されることはなかった。
筆者らは肉体的・精神的・社会的側面に加えてスピリチュアルな健康側面を健康概念に入れ、環境・倫理的側面も包括したモデルを提出した6。このモデル全体を包括しているのが広義のスピリチュアリティであり、ホリスティック・ヘルスと言い換えることができる。本稿で扱うのは垂直方向の狭義のスピリチュアル・ヘルスである。

5.狭義のスピリチュアル・ヘルス

垂直方向のスピリチュアリティ、自己とのつながりという下方向は、人生の目的尺度など、実存的な立場からいくつか測定が試みられてきた7。しかしながら、上方向、超越的なものとのつながりは、形而上学的概念であり科学的測定を受け付けない領域であるために、測定を考えること自体が、カテゴリーエラーとされてきた。確かに超越したものと主体とのつながりを測定し記述することは不可能であるが、主体側の態度を記述することは可能である。心身医学モデルで「倫理的」という言葉で説明されようとした側面が、この大いなる秩序・宇宙などとのつながり表す狭義のスピリチュアリティに関連していると考えた。
大いなる秩序とつながることがすなわち「本来の自己との一致」であり、本来のあり方は同時に普遍的な高い道徳意識に従うことであり、それは倫理的な在り方と言い換えることも可能であろう。したがって、スピリチュアル・ヘルスが「本来の自己と一致することで現れる健全さ」と記述できると考えた。
WHO健康定義改定案で提出されたまま留保されているもうひとつの概念は、「ダイナミックな」という視点である。健康をダイナミックな視点でとらえると、たとえ今ここで問題を抱えていても、成長や発展といった積極的な方向に向かっていると判断できる場合には健康であるということになる。宇宙的視野でとらえれば、すべての営みが発展や進化の方向を示す再生への営みであるという視座も存在する。「本来的な自己と一致すること」は実は不可能であり、有限な人間はその方向性のみしか問うことはできない。どのような状況であっても、個人が前向きな態度を選択することは可能である。スピリチュアル・ヘルスを提唱することは、健康のダイナミックな側面の明確化にも貢献する。

6.メンタルヘルスとスピリチュアル・ヘルス

心身相関のように、スピリチュアル・ヘルスとメンタルヘルにも相関がある。
現状ではスピリチュアルな問題がメンタルヘルス分野に持ち込まれているために見えにくくなっているが、スピリチュアル・ヘルスはスピリチュアルなレベル、メンタル・ヘルスはマインドのレベルにおける健康と考えると整理しやすい。メンタル・ヘルスにおいては、現実適応がひとつの重要な要素であるが、スピリチュアル・ヘルスはそれを超越した視点を持っている。社会的にうまくいっているように見えながらも、人生の目的や価値が見いだされず空しさを感じる状態は、適応を中心概念としたメンタルヘルスでは見逃されるが、スピリチュアルなレベルでは問題となる。また、本来の自己や生きる意味を模索する成長プロセスの中で見られる苦悩は、メンタルヘルス的にはうつ状態として症状が観察されるものの、内因性やストレス反応として起きるうつ状態とは原因も治療法も異なっている。これは原初的防衛機制や非合理的信念も観察されず、薬物療法も認知行動療法も功を奏しないことで鑑別可能である。
これらの論考を基に、メンタル・ヘルスとスピリチュアル・ヘルスの領域を図のように示した(図1)。左側がメンタルヘルスの、右側がスピリチュアルヘルスの比重の大きい領域である。両者を明確に分離することは困難であり、メンタル、スピリチュアルをひとつの連続したスペクトラムと考えるほうが理解しやすいかもしれない。このような比較によって、従来メンタル・ヘルスの中で扱われてきたスピリチュアル・ヘルスの問題が明確化され、したがってそれぞれに適切なアプローチも整理されると考えた。
スピリチュアル・ヘルスに関する問題がメンタルヘルスから区別されることにより、心身医学で扱うべき問題の所在が明らかになってきたと考える。つまり、脳機能や感情障害といった精神科領域で扱うものよりむしろ、人間性の根源にかかわる、心身を超えたスピリチュアリティにかかわる問題、スピリチュアル・ヘルスの問題である。
心身症のうち難治性のものは、かなりの割合でスピリチュアル・ヘルスの問題がかかわっていることが推測される。以上を実証するための臨床報告・実態調査研究が待たれる。


文献

5.Ikemi Y: Integration of Eastern and Western Psychosomatic Medicine.Kyushu University Press,1996
6.尾崎真奈美・奥健夫:心身医学におけるスピリチュアリティーの位置づけー心身を超越しかつ内在する非局在的な意識として、心身医学46(9)827-829,2006
46(10)915-918,2006
7.Lukas ES: Zur Validierung der Logotherapie, In Der Wille zum Sinn,3.erweiterte Auflage, R.Piper Gmbh and Co. KG,Munchen,1991(意味による癒し、山田邦夫訳、春秋社2000


図1.メンタルヘルスとスピリチュアル・ヘルスの比較






















7.スピリチュアル・ヘルスと社会的健康・肉体的健康

スピリチュアリティには、成熟した人格というイメージがあるために、スピリチュアル・ヘルスが、対人関係の良好さとして現れるという印象があるかもしれない。しかしスピリチュアル・ヘルス「本来の自己と一致することで現れる健全さ」に従うことは、日本社会のような集団の規範に価値を置く社会においては、協調性がないと観察される場合もある。また、普遍的倫理観に目覚めた行動をすることによって、スーチーの例を出すまでもなく、属する社会によってはその規範からの逸脱、すなわち不適応が起きてしまう場合もある。このように、スピリチュアル・ヘルスは必ずしも社会的健康を増すとは限らない。
一方では、「健全な身体に健全な精神が宿る」と言われるように、肉体的健康が増すことは健全な精神・魂、つまりスピリチュアル・ヘルスを増すことにつながることが予想される。ヨガなど心身を調整する技法がブームになっているが、実は肉体的健康とスピリチュアル・ヘルスが必ずしも比例しないことは、末期患者のスピリチュアル・ヘルス研究で明らかである。つまり、肉体的健康が衰えたときにこそむしろ自己と対峙し、スピリチュアル・ヘルスが増す可能性があることが観察されている。
ただ、そのような危機的状況において気づきが起きる場合が多いとしても、その事実から、苦難や逆境がなければスピリチュアル・ヘルスの向上が望めないということは意味しない。Franklは、「意味を見出すために苦悩が必要不可欠だというわけでは決してない。苦悩にもかかわらず意味が可能であると主張しているにすぎないのだ」と述べている8。スピリチュアル・ヘルスに至るために病気になることを待つ必要はない。肉体的に危機状態にあることがスピリチュアリティーを高めることがあるという事実から各種宗教的修行も存在するが、それによって健康が崩壊するケースも存在することを考えると、慎重にならざるをえない。健全な身体に宿る健全な魂を追求していくことが、まず第一に求められるべきであろう。
このように、スピリチュアル・ヘルスは他の健康概念と分離してそれ自体の健全性を検討することが臨床上有効である。身体的・精神的・社会的健康に「本来的な在り方に一致している」というスピリチュアル・ヘルスの視点を加えることにより、包括的な健康観となることが期待できる。

6スピリチュアル・ウエルビーングとスピリチュアル・ヘルス

スピリチュアル・ウエルビーイングはスピリチュアルに良好な状態という意味でスピリチュアル・ヘルスに最も近い概念である。
Fisher等は,個人的・連帯的・環境的・超越的な4領域からなるスピリチュアル・ウエルビーイングモデルを提出し9それをもとにしてGomezらはスピリチュアル・ウエルビーング質問紙(SWBQ)を開発した10。このモデルは、著者が心身医学におけるホリスティックなスピリチュアリティとして提出した ものとほぼ同様な軸を持っている。つまり、スピリチュアリティの水平垂直双方の広がりを含んだモデルとなっている。また、このモデルにおけるスピリチュアル・ウエルビーイングは、理想的な在り方を示している。
すなわち、Fisher等の提唱するスピリチュアル・ウエルビーングは、ホリスティックとも言い換えられる広義のスピリチュアリティに関連する概念であり、スピリチュアルに良好な状態という理想・目標・達成地点を表す静的な概念であると言えよう。
筆者らの提唱するスピリチュアル・ヘルスは、「本来の自己と一致する」という狭義の垂直方向に限定するものである。またダイナミックな方向性を問題にする点で、スピリチュアル・ウエルビーングと異なっている。

9.スピリチュアル・ヘルスと従来の健康観の比較

以上の議論を基に、スピリチュアル・ヘルスと従来の健康観とを比較してみた(表2)。
まず扱う対象であるが、従来の肉体的・精神的・社会的健康においては、あくまで個人が対象である。取り巻く環境や社会をも視野に入れるが、それは個人の健康に及ぼす影響という観点からの言及である。それに対してスピリチュアル・ヘルスは個人と一体化した地球環境全体を対象とする。また、従来の健康観においては健康自体が目標であったのに対し、スピリチュアル・ヘルスは、日々外的事物に没頭し集中して生きることにより自然に達成されていく健康であり、スピリチュアル・ヘルスそれ自体が目標とはならない。
また、従来の健康観におけるアプローチは、意識的努力によって病を克服して到達しようとするものである。スピリチュアル・ヘルスにおいては、健康生成論的に連続した健康状態の方向性に注目し、しかも大いなるものに信頼して任せるという他力的なアプローチが付け加えられる。
それぞれの健康観に特徴的な態度は、従来の場合には、忍耐・訓練・理想であったのに対し、スピリチュアル・ヘルスにおいては、開放・遊び・現実(あるがまま)と表現される。すなわち、従来の健康観は西洋的自我に基づいたものであるのに対し、スピリチュアル・ヘルスは、東洋的無我、あるいは大いなる信頼感や流れに身を任せるといった視点が強調されるものであると言えよう。ホリスティックな健康を考えるときに、この両者がともに重要なものとなる。
スピリチュアリティの重要さが科学的エヴィデンスの中に取り込まれようとする時代背景の中で、両者の統合こそが真の健康実現であることを明記しておきたい。


文献
8.Frankle V:The Unheard Cry for Meaning: Psychotherapy and Humanism, Simon and Schuster, N Y, 1978
9.Fisher:
10.Gomez:




表2.

コメント(12)

書き直してみました。コメントいただけると幸いです。
せーいちさま
ご丁寧に感謝いたします。
文献はそうですね、付け加えます。
防衛規制に関しては、MacWilliams(1994)のprimary Defensesによりました。アメリカでのスタンダードだと思いましたが日本では違う使われ方をすることもあるんですね。防衛規制がより不健康な状態への防波堤になってることはおっしゃる通りです。だからdefensesというのでしょうね。

ソレとスピリチュアリティですか。ここでスピを自己一純粋性ととらえると、defensesが強いことはスピ不健康となります。スピは、ありのままの現実をそのまま知覚し、クリアに受け止めることだろうと思うので。

本来の自己に関しては本当に大変です。宗教的文脈から言えることがあるのですが、アートマンなんて言ったところで医療現場での理解はほど遠いですし。せいぜい自分で自分らしいと意識するありかたくらいになってしまいそうですね。いろいろ調べてるのですがポジティブ心理学でも、Authenticityの概念で偽りでない、つまり自分の気持ちに正直に、言いたいことが言える、みたいな概念が近いと思って調べてましたが、日本文化の本音と建前の世界で小レヲどう解釈したらいいのか、非常に微妙です。
意識的な自己ではなく、無意識的自己、なんて言ってしまうと分けわかんないですしね。アサジョーリのトランスパーソナルセルフ概念はどうかと思いますが、正統派の主流でこういう概念使っていいのかどうか。お師匠様にお伺いしないと。
トラパはだめだと言われておりますの。
せーいちさんのおっしゃるとおりですね、はいはい。
文献文献、はいはい。
文献で埋められない部分は推論で論理的に構築していけばよいということでしょうか。
でも、
みんながそうだと思い込んでることって、集団の幻想にすぎないことが多いじゃないですか。例えばみんなこの肉体が固まりだと思ってるでしょうけれど,量子的に厳密に言えばただの波でしかないとか。みんながそういってるからそうだなんて絶対言えないはずです。
権威があるから正しいとも言えない。
科学の歴史をみればそのことはよくわかりますよね。
スピを科学することは,ほんと,めちゃくちゃ大変な作業です。
今までの常識を変えるような真実を追究してるのだから。
せーいちさんごめんなさい。
あなたのおっしゃってることは正しいし、それ自体が気に触るとかではなくって,ただ自分で自分にいらついてるだけです。すみません。
むしろきちんとお答えしてくださることに本当に感謝しています。

地道な努力というのが昔からできない人なんで,求められると,私の役割じゃないわって感じなのね。そういう意味で学者は向いてないと思う訳です。
じゃあ,論文なんかかかないでブログやってればいいじゃないかっていわれると,実はそれも悔しかったりするんですが。
こういう道にきてしまった以上、ある程度はやってみないといけないんだろうなと思いながら,思ってたような楽しいわくわくドキドキの世界だけでもなさそうで、ちょっとなえちゃったという訳です。
まなみんから一番遠い言葉。地道にコツコツ。
一番近い言葉。きまぐれにぴょんぴょん。
そういうことのようですね。
実は無い物ねだりであこがれの世界なんです。
どこまで迫れるか,楽しみです。
よかったら、研究会の方にもぜひおこしくださいね。
リックン、鵜呑みはどういう場合にも危険だよ。
自分ではどう思うのか感じてるのか。100人のうち99人に当てはまることでも自分にはあてはまらないことがあります。
天才は凡人のアドバイスはあまり役に立たない。
自分で解決していくしかない、という意味で大変だよね。
そういう天才仲間結構知ってるよ。
応援してるよ。
からだの言うことのほうが絶対正しいんだから。
まなみんの言うことも鵜呑みにしないように。笑

ドクターマッキーに見てもらうのもひとつの手だな。
予約していってみてごらん。近そうだし。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

スピリチュアリティーの学際研究 更新情報

スピリチュアリティーの学際研究のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング