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スピリチュアリティーの学際研究コミュの心療内科の原稿最終にしたいけど、まだまだかも・・・

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解説:「スピリチュアリティー」Spirituality
所属:意識情報研究所Institute for Consciousness Information Research
氏名:尾崎真奈美 Manami Ozaki
Key Words: Spirituality, Spiritual Health, Mind-body Medicine, Model, Existential Depression, NBM, EBM, SOC,Will,Joy,Sense

1. はじめに

スピリチュアリティーを日本語に翻訳すると「霊性」となるが、「霊性」は非科学的、神秘的、あるいはオカルト的なイメージまで連想させるため、適切な訳語が定着しないまま、わが国においては「スピリチュアリティー」というカタカナ表記が広く用いられている。スピリチュアリティーは、WHOの健康憲章改定案として、肉体的、精神的、社会的健康に新たに加えられたスピリチュアルな健康概念として登場して以来、医学界で注目を浴びるようになったが、その概念はまだ採択にはいたってない。その背景には、やはり宗教的、非科学的なイメージがあること、さらに、スピリチュアリティー概念が価値観や国民性などの文化的背景によって規定されうることなどから、コンセンサスが得られていないという状況が推察される(1)。
しかしながら、米国NIHのトップであるドッシーによる、心と体を超えた非局在的意識の癒し効果の研究(2)なども含め、スピリチュアリティーの健康に及ぼす影響に関する研究報告は、年々数を増している。MEDLINEを含む科学論文の世界最大のデータベースとして知られるSCOPUSでSpiritualityをキーワードに検索すると、ここ3年間で2000件以上もの科学論文が、医学を始め、心理学、教育学、経営学の分野などでも出版され、宗教や哲学的概念を超えた研究対象として扱われてきた領域であることがわかる。
本稿では、医療におけるスピリチュアリティーに限定して解説を試みる。まず、誤解されがちなスピリチュアリティー概念を明確化したうえで、スピリチュアルヘルスとは何かを説明する。その後に、健康生成論や道徳性とスピリチュアリティーの関連を論じ、さらに、EBM,NBMを統合する試みとしてのスピリチュアリティー概念を提案することとする。

2. スピリチュアリティーに対する代表的な誤解

この節においては、スピリチュアリティーに関する代表的な誤解を6つリストアップして順に説明していくこととする。
まず第1に、スピリチュアリティーと宗教は同義ではない。スピリチュアリティーの中には信仰,信念といった宗教的態度と同一視される概念が見られるが、スピリチュアリティーは個人の内面に関るものであり、宗教団体への所属、公的な参加とは別ものである。スピリチュアリティーは普遍的な現象であり、どのような宗教の介入なしにもありえる。エルキンズは、スピリチュアリティーを「自分の魂を養い、そして自分の霊的生活を発展させる過程およびその結果である。」(3)と定義し、宗教はそのためのひとつの道になりえるがほかにも多くの道があると述べている。
最近の医学分野におけるスピリチュアリティー研究においても、普遍的なスピリチュアリティーを,宗教と区別して記述する報告が増加している。中でも、健康に寄与する要因は、宗教的規範や宗教行事への参加、宗教的コミュニティーにおけるソーシャルサポートと独立して、個人的な態度としてのスピリチュアリティーが大きいという報告が注目に値する(4,5)。
第2に、スピリチュリティーは「精神」と訳されることもあるため、スピリチュアリティーを精神に還元してしまう傾向も観察される。スピリチュアリティーが精神的な態度として観察されるのは事実である。しかしそれは、直接観察することができない、ブラックボックスとしての心を行動によって観察する方法論と同様に、スピリチュアリティーを精神観察で推測するという方法論的な要請の結果である。つまり、行動が心を反映しているとはいえ、心そのものではないのと同様に、精神はスピリチュアリティーを反映しているが、精神とは異なったものなのである。したがって、WHOの健康憲章定義改正案のように、精神的健康から霊的健康(スピリチュアルヘルス)を区別しようとする試みは意義のあることである。精神的健康と霊的健康の違いについては、うつにおけるスピリチュアルな健康度の違いを例にとりながら、節を変えて説明することとする。
第3に、心的成熟度として観察され、セリグマンの提唱するポジティブ心理学では愛他精神、許し、受容、平安などと表現されることがあるが(6)、究極にはスピリチュアリティーはいわゆる道徳意識そのものとも異なるものであり、善悪の基準を超越した概念である。コールバーグの道徳性発達段階説によると、スピリチュアリティーは、その最高の第6段階である、「普遍的な原理原則に従う」段階に対応すると考えられるが、この段階に達することはまれであることがコールバーグ自身によって指摘されている。スピリチュアリティーを道徳性と翻訳することにより、低次の規範に還元されてしまう危険があることを覚えておく必要がある。
第4に、ライヒの「からだのスピリチュアリティー」という概念もあるように、スピリチュアリティーは身体性として現われる側面も存在するが、身体そのものに還元されるものではない。そこでいう「からだ」とは、いわゆる物理的な身体ではなく、主観的な痛みや気づきを感じる意識上の「からだ」を扱っているように思われる。スピリチュアリティーは、プロセスワークでいうエッセンスの身体、村川のいう「一人称のからだ」(7)に近いもので、個人を超越したものと考えられる。
第5に、スピリチュアリティーは個人の資質として観察されうるが、本質的には個人を超えた概念である。ドッシーの提唱する非局在的意識という概念は、個人を超えた関係性や場の意識といった、グループ・ダイナミックスの視点や、さらには時空を超えたつながりまでも視野に入れたものである。そのような意識,たとえば祈りといったものが、プラシーボではなく癒しに関連しているという報告が蓄積されている2。
第6に、自然や他者とのつながりというエコロジカルな概念(水平方向)と同時に、スピリチュアリティーは垂直方向の実存的つながり、さらに、自己を超越した大いなる存在(神、宇宙、秩序、サムシンググレイト、などと呼ばれる)とのつながりをも強調するものである。この考えを元に、筆者はスピリチュアリティーの心身医学モデルとしてbio-psycho-socio-spiritual モデルを提出した。(8)(fig.1)

3. スピリチュアルヘルスとメンタルヘルス

スピリチュアリティーが、精神とは異なる概念であることを先に言及した。ここでは本号のテーマである「うつ」を例にとって説明しよう。
うつ状態は、さまざまな心身疾患に関連して観察される精神症状であるが、中枢神経機能により分類すると、脳が全体的に活動低下している状態と、一部過活動になりながらも他の部位が低活動である、二つの状態に分類できよう。つまり、古典的なうつ病のような、日内変動があり心身のエネルギーが枯渇して動けない状態と、ネガティブな考えや感情に激しくとらわれて、むしろ衝動的に活動性が保たれているような状態である。非古典的なうつ状態に関しては様々な説があり、更なる議論が必要であるが、メンタルな問題とスピリチュアルな問題を分けて論じると整理されることがある。
どちらの場合にも脳の機能が正常ではなく,介入が必要な精神状態であると考えられる。しかしながら、抗うつ薬にも反応が悪く、あるいは患者自身が症状を自覚しながらも治癒への大きな抵抗が見られる,難治性のうつ状態(摂食障害,リストカット症候群ほか)が知られている。このような、スピリチュアルな健康が損なわれていると推測されるケースには、通常の認知行動療法といった伝統的な精神療法ではなかなか効果が見られない。AA(アルコール依存症者の自助グループ)では12ステップのような、スピリチュアルな介入によって治療効果が報告されている。これは、病を治そうとするのではなく、むしろ弱い自分を認め受け入れ、大いなるものに信頼して任せるという姿勢が特徴的である。
また、ネガティブな感情や考え方にとらわれてしまう「うつ」のタイプは、患者の自我の成熟度、あるいは道徳性により大きく二種類に分類できると考える。すなわち、ひとつは、自己愛的でうつ状態を示すが比較的活動性が保たれ、衝動的な行動化が観察されたり人格障害が疑われたりするケースである。外罰的でコンプライアンスも低く、治療契約を遂行するのも困難である場合が多い。
もうひとつは、過度に良心的な人たちに見られる症状である。これは、フランクルが実存的うつ状態と呼んだり、キリスト教神秘主義の伝統の中で「魂の闇夜」と呼ばれたりするケースである。こちらは、成長や変容へ至る産みの苦しみという症状の意味を、患者も自覚していることが多い。
これら二つを対比させると、前者はメンタルヘルスというよりスピリチュアルヘルスが乏しい状態であり、後者はメンタルヘルス的問題を抱えているものの、スピリチュアルには健康であると捕らえることができる。
スピリチュアルヘルスをこのように道徳性や良心,人格の成熟度ととらえると、うまく適応しているケースの中に存在する、邪悪な人々のスピリチュアルヘルスの危機9も説明可能となる。これを図で表すと次のようになる(fig.2)。
このモデルを臨床に応用するため、スピリチュアルヘルスを、「普遍的原則に従う高い道徳性として現われるもの」と定義すると、適応を中心概念とするメンタルヘルスとの違いが明確となる。


4. 健康生成論、道徳性とスピリチュアリティー

アントノブスキーの提唱する健康生成論は、ホロコーストといった非常に悲惨な経験をしたにもかかわらず、驚くべき健康さで適応していく少数者に注目してその資質を探ったところから提唱された概念である。彼は、健康な方向に向かう資源として、首尾一貫感覚(sense of coherence)を見出した。それは、ストレス対処能力といった自己効力感によるのではなく、むしろ、外界がどのようなときでも現実をしっかり把握し、何とかやっていけるとの見とおしを持ち、それに意味を見出す、いわば流れに身を任せる信頼感のような、個人の内的感情に基づく概念である。
筆者はこの概念に見られる「大いなるものに対する信頼感」がスピリチュアリティー概念と類似していることに着目し調査した。スピリチュアリティー測定尺度SBAS-TESTと首尾一貫感覚尺度との関連を調べた結果、スピリチュアリティーの下位概念「意志の働き」「内的喜び」と、首尾一貫感覚の「把握可能感」を中心とした概念との関連性が見出された(10)。
「超越的次元への気づき」というスピリチュアリティー因子と首尾一貫感覚との関連は見られず、高い道徳性を表す「意志の働き」、心理的成熟度を表す「内的喜び」と首尾一貫感覚との関連が見られたことは、健康生成に寄与するスピリチュアリティーは、成熟した精神的態度で観察されるうることを示唆する。
ただ、道徳性の高いものが健康的であると単純に結論することはできない。
筆者が行った調査によると、ある宗教的背景の強い学生たちは一般学生に比較して高いスピリチュアリティーと道徳的高さを示したにもかかわらず、「内的喜び」得点はむしろ低い傾向にあったことが見出された(11)。ここでいう「内的喜び」とは、困難の中にあっても内から湧き上がってくるような深い安心感、確信に基づいた喜びを意味する。それは、達成感や、愛情欲求といった外的欲求が満たされた喜びというよりむしろ、マズローがB価値と呼ぶ実存的な喜びをさす。主観的幸福感とは概念が異なるが、それも含んだ概念である。
認知行動レベルの「意志の働き」を支える「内的喜び」があってこそ、エネルギーにあふれた健康が実現されると考えられる。その意味で、健康生成論的に寄与しうるスピリチュアリティーの中心概念は、「内的に湧き上がってくる喜び」であると推察される。これは、個人が意図的に達成しようとする意識を超越した、向こう側から投げかけられるような、恩寵(grace)あるいは,他力という概念で説明することも可能である。

5. スピリチュアリティーのEBMとNBM

EBMとNBMは、もともと患者のために良心的な医療を提唱する、相互に補完しあっていく概念である。しかしながら、対立する概念であるといった捉えられ方をすることが多い。EBMは疫学データのような客観的根拠を求める、NBMは統計や検査数値で見えてこない主観的なストーリーを重要視するという点で、まるで、一方が科学主義を擁護し、他方がポストモダンを代表して科学主義を否定しているような印象を与えることが多いためであろう。
スピリチュアリティーという目に見えないものを扱うとき、EBMは重要な視点である。EBMでいう証拠とは、自然科学的方法論で明らかになったもののみを意味するものではなく、EBMは経験や意味における証拠をも、臨床上生かしていくために尊重していく立場とされている。また、NBMの立場で発言すれば、EBMも医療における一つの有力な物語りであると理解される。(12)。
ストーリーが良質であるための条件、言葉を変えると証拠として重視される度合いは、グリーンハルによると,次のようにある。
1) Aesthetic appeal(審美的魅力)
2) Coherence(一貫性)
3) Authenticity(信憑性)
4) Reportability(報告価値)
5) Persuasiveness(説得力)
6) Explanatory value(説明的価値)
7) Diagnostic and therapeutic value(診断的・治療的価値)
8) Transformative value(変容的価値)(13)
グリーンハルの掲げた上位3条件は、物語自体の価値を問う基準であり、ほかの条件は臨床実践に有効な基準と考えられる。筆者によるスピリチュアリティー3因子モデルの理想である「真・善・美」は,順にグリーンハルの提唱する一貫性・信憑性・審美性にあたる。(fig.3)すなわち、スピリチュアリティーの3因子「意志の働き」「内的喜び」「超越次元への気づき」を探索して行くことが、NBMの1つの有力な方法になりえることを意味しているといえよう。
スピリチュアリティーと健康にアプローチするときにも、もちろん,EBMとNBMの二つの立場が尊重されなければならない。
スピリチュアリティーは、ガンの自然退縮のような例外的なケースに関与していることが推測される。そのような癒しは、EBMで最も信頼できる証拠である疫学データでは捨て去られる例外的な情報である。しかしそのケースは、スピリチュアリティーの検討を行なうことにより、普遍性を持つ情報として臨床的に意味のあるものとなる。

6. まとめと展望・課題

誤解されがちなスピリチュアリティーに関し、医療で扱うときの意味や位置づけを論じた。スピリチュアルヘルスを,適応を中心概念としたメンタルヘルスと区別することの意義をうつを例として説明した。またスピリチュアリティーが、EBMとNBMの統合にも寄与する概念であることを示した。
スピリチュアリティーは、宗教や主観的,非科学的なものとして切り捨てられるべき概念ではない。これを合理的に扱うことによって、多次元の医療を統合して行くキーとなり得る重要な概念である。
合理的に扱おうとするとき、当然ながら非論理的現象や証拠のないものが捨てられる可能性がある。トランスパーソナル学では、スピリチュアリティーはそもそも目に見えない、語り得ないものとされている。それを医療の現場で扱うために操作的に定義していくことの重要性と、その限界を認識する必要がある。本稿は、医療において応用価値のあるスピリチュアリティーを語るというスタンスであった。筆者自身が、スピリチュアリティーは還元できないものであると論じながら、一方では還元してモデル化していくという論理的矛盾も含んでいる。この論理的矛盾をメタレベルで解消していく視点こそが、質的変容(transformation)の起きたスピリチュアルな視点である。医療におけるスピリチュアリティーの研究が、サイエンスとアートを統合して真の健康追求への一助となることを期待している。



















文献
1)WHOQOL SRPB Group.A cross-cultural study of spirituality, religion, and personal beliefs as components of quality of life. Social Science and Medicine 2006;62(6):1486-97.
2) Dossey L. Prayer and Healing: Reviewing the Research. Australia:HarperCollins; 1993.
3) エルキンズ DN.(大野純一訳)スピリチュアル・レボリューションーポストモダンの八聖道.東京:コスモス・ライブラリー;2000.
4)Doolittle Brand Farrell M.The association Between Spirituality and Depression in an Urban Clinic. J Clin Psychiatry2004; 6(3):114-118.
5))Laub,eier KK,Zakowsky SG,Bair JP.The role of spirituality in the psychological adjustment to cancer:a test of transactional model of stress and coping. Int J Behav Med 2004;11(1:)48-55.
6) Snyder C. R. and Lopez S. J. (Eds.),.Handbook of positive psychology. London: Oxford University Press; 2002.
7)村川治彦. 一隅を照らす光を集める:オウム事件以後の一人称の「からだ」の探求に人間性心理学はどう貢献できるか.人間性心理学研究 2003;21(1)
8) 尾崎真奈美、奥健夫.心身医学におけるスピリチュアリティーの位置づけ−トランスパーソナル心理学的接近からみたBio-Psycho-Socio-Spiritual Model. 心身医学2006; 46(9)827−9(10)915−8 .
9)M.スコット・ペック. (森英明訳)平気でうそをつく人たち. 東京 :草思社 ;1996.
10)尾崎真奈美,奥健夫,坂野純子. 健康生成に寄与するWillとJoyで表されるスピリチュアリティー. 心身医学2006; 46(12)1029−35.
11)尾崎真奈美. 人格成熟は必ずしも精神的健康を約束しない?:スピリチュアルヘルスとメンタルヘルスの次元の差異. J. Intl. Soc. Life Information Sci. 2007;25(1): in print.
12)斉藤清二.ナラティブ・ベイスト・メディスンとはなにか.In斎藤清二,岸本寛史著:ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践. 金剛出版,2003;32.
13)Greenhalgh T.What seems to be the trouble. Stories in illness and healthcare. Oxon UK: Radcliffe Publishing Ltd; 2006.9-15.









図1.スピリチュアリティーモデル
尾崎真奈美、奥健夫.心身医学におけるスピリチュアリティーの位置づけ−トランスパーソナル心理学的接近からみたBio-Psycho-Socio-Spiritual Model. 心身医学2006; 46(10)p913より







(これは、図2です、失礼)
















図3.スピリチュアリティー3因子モデルと物語の良質性・発現場・さとりの対応

コメント(8)

図が載せられなくてごめんなさいね。
一応差し替えました。
まだ誤字とかみつけたけど・・・
大作ですね。

大変勉強になります!
どうもありがとうございます。

とてもまとまっていて読みやすく感じました。


ただ、一点だけ、
とても細かくてどっちでもいい。。
(^.^;)のかもしれませんけど・・・

「アントノブスキーの提唱する健康生成論は、ホロコーストといった非常に悲惨な経験をしたにもかかわらず、驚くべき健康さで適応していく少数者に注目してその資質を探ったところから提唱された概念である。」
というのは、諸富さんの
http://www.amazon.co.jp/dp/4795223637/
によると、もしかしたら違うかもしれないんじゃないかな?
と思いました。
彼の理論は、ホロコースト前に既にあったものを、ホロコーストの経験において 実証 できたことが自信となった。
というような説明の方が事実に即しているのかもしれません。

失礼しました。
ナイトさんありがとうございました。
確認してみます。
原典に当たるのが筋ですが、ドイツ語読めないのでね・・・ま、英語のがいくつかありますね、アントノブスキー。
あ、、

アントノブスキーさんでしたね。。
健康生成論やSense of Coherenceはこのままでいいと思います。

わたしの話はフランクルさんの理論のお話でした。。
夜と霧の原作者として有名でロゴセラピーの元となる
Meaningfulnessの大切さを提唱していたことについてで
実際のホロコースト経験者(夜と霧)としてのお話でした。
ごめんなさい。。m(_ _)mm(_ _)m
ええ、フランクルは確かにそうです。
アウシュビッツ体験以前にすべての理論を構築してました。
わざわざありがとうございました。
こんごともどうぞよろしく・・・
結構、かなり書き直しましたけど、最終原稿は著作権もあるから、まず、出版されてから公開ということで、恥ずかしいまま載せておきます。
皆様貴重なディスカッションをありがとうございました。

面白かったから、ほかの書きかけ、書きなぐり論文も載せてみますね。
感謝です〜
ご意見お待ちしてます。
バトル大歓迎!

これは、「心療内科」3月号にのるはずです。
アンナさん 素晴らしい!
まさに私もスピリチュアリティーに相当する、日本語がなくて、非常にこまってました。

いい訳語がないので、くどい言葉になってしまいます。
「無神論者は、宗教や霊性がなくても、スピリチュアルだけで、トランスパーソナルにいたる。真善美だけで利他愛にいたれる」などとなります。(これ私自身のことですけどね)

カタカナのまま使っていた時もありましたが、最近は、スピリチュアルという言葉が、ものすごーーーーーく、薄汚れてしまい、使いたくなくなってしました。

最近のスピリチュアリティーにコビリツイタ意味。
最近のカタカナのスピチュアリティーの本の見出し読んでも、
「私」がセレブになるには?とか
「私」の金運が上がる「オーラ」とは?とか
徹底した、利己的利益、現世利益の為の精神論ばかりです。
トランスパーソナルな視点が皆無の場合が多いです。
薄汚れたスピリチュアリティーという言葉は、このままでは彼らにより死を迎えるでしょう。
っと言っても、世界的に使われている言葉ですから、違う英語を創作するのも妙ですし、まずスピリチュアリティーという言葉を救ってあげてください!

(シックス・センスという言葉も汚れてしまった)

*適切な日本語をトランスパーソナル心理学会あげて作ってください!切なる願い。
そもそも日本人のスピリチュアリティーは外人と違うので、やはり日本語は必要と思います。
もしかしたら、「モッタイナイ」とか「道」「旅情」(プロセス語)が適切な外国語で理解されにくいように、元々の日本語には、存在しないかもしれませんが・・・。

---あいまいなところがメリットと考えられなくもないです。いろいろな人を巻き込めますし、排除されにくい。
訳語が見つかっても、また、変な商売にケガサレテしまうし。
汚されたくない。



私は、利他愛、心的、真善美などを使って、説明してます。

最近は、「聖徳性」なんて使ってます。
神道と仏教をインテグラルし、科学的思考も兼ね備えて、現実社会をインテグラルした聖徳太子にあやかって。真に含んで越えた人。日本人向けで、且つ非常にケガサレにくい言葉だと思いませんか?神も無神論もインテグラルできて、スピチュアリティーももてると思います。
日本人にしか通じない、日本語では、やはりまずいかなぁ?
(固有名詞みたいで属人的すぎる?)

日本語だけど、グローバルな語でないと、とすると・・・難しい・・・。

漢字の母国、お隣の中国でなにか見つけられたら報告します。
(実は私は、あるときは中国語の通訳でもあります)
四字熟語になったりしてね・・ハハ

たかがアルファベット26文字だ!
日本語はひらがなとカタカナだけでも112文字+漢字数千文字。
なんかあると思います。(決まらないのは、決め付けられたくない!という気持ちがみなにあるのかも。自分だけの造語をつくってそこに引きこもる。)

すみません、また長文!
どうもです〜
中国語ですか・・・
またおしえてくださいね。

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