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仏教が好きコミュの寺から無所有の世界に出家した友人

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ヤマギシ会の実顕地(いわば集団農場みたいなところ)で暮らしている知人がいる。

ヤマギシ会というのは、農業・牧畜業を基盤とした理想社会を作るコミューン団体で、無所有の原始共産社会のような生活が行われている。

その彼は、浄土宗の寺に生まれた。
そのまますんなりと寺を継ぐことに抵抗した。

若いとき禅の老師を求めて、アメリカにわたった。曹洞宗の鈴木俊龍師など、ロサンゼルスの禅センターで指導されていた時代だ。
だず老師はすでに亡くなり、ついに納得のいく師に出会うことはなかった。

そうして帰国した。

あるとき、彼はヤマギシ会という共同体の存在を知った。
村人と出会い、その「無所有」の生き方に触れたとき、自らのありように気づかされた。

そこに、いまの日本にはありえない「無所有」の生き方があることを知って驚いた。


「いまの坊さんたちの〈出家〉とは、まさに名ばかり。自分にはどれほどたくさんの所有物があるかと、気がついたんですよ。
寺がある、家がある、土地がある、車がある、財産がある、家族がある。──それではたして、〈出家〉といえるだろうか、って」

日本の仏教の礎を築いた祖師たちは、ほとんど無一物のような生き方をされたのではなかったろうか。
法然上人も、親鸞上人も、一遍上人も、日蓮上人も。

なにより、お釈迦さまがそうだったろう。
お釈迦さまは王子としての地位も財産も、妻子も捨てて出家した。終生、無所有の生き方をしたにちがいない。

彼には、この寺の生活よりも、ヤマギシ会の生活にこそほんとうの「無所有の生き方」があると思われた。

そうして、彼は「寺」からヤマギシ会に「出家」したのだった。

「わたしの持ち物といえば、メガネ、歯ブラシと、下着、手ぬぐいなど、風呂敷に収まるだけのものしかありませんよ。なんの持ち物もない生活って、清々として心配のない日々なんですよ」

そう彼は言う。

ヤマギシも洗脳だとか、子どもの教育のこととか、いろいろと問題はある。
ともあれ、彼には、いまの寺の暮らしよりも、ヤマギシでの「無所有」の生き方のほうに価値があると思ったのだ。

これは自ら、体験してみないことには、わからないことであるが、無所有の生き方には、なにか人を安心させるものがあるのだろう。
わたしには、できないけど。

コメント(1)

確かに寺にいると所有というか所有以上にお檀家様の寺や墓地を預かっているという責任というか重いものはあります。
所有物は少ない方が精神的には良いでしょうね。
ただ、寺や家(住職の居宅)土地あたりは基本的に法人のものなので所有物と考えると少し変わってきてしまいますね。
今ある状況を受け入れつつ、心は自由でいたいものです。

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