ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

『赤備え』〜朱塗の軍装〜コミュの真田幸村評伝

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
      大坂夏の陣における真田幸村とその軍勢への評伝

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■島津家士の当主:島津忠恒への書簡 『薩摩旧記』■
「五月七日、御所様の御陣へ真田左衛門佐仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち取り申し候。御陣衆三里づつ候衆は、皆々生き残られ候。三度目には真田も討死にて候、

真田日本一の兵。古よりの物語にもこれなき由。 惣別これのみ申す事に候。」

※御所様=徳川家康

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■東軍・細川忠興の書簡 『細川家記』■
「真田左衛門佐、合戦に於いて討死。古今これなき大手柄。首は越前宰相殿鉄砲頭取り申し候。さりながら、手負ひ候ひて草臥れ伏して居られ候を取り候に付、手柄にも成らず候」

※越前宰相殿鉄砲頭=西尾仁左衛門久作

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■京都町奉行与力:神沢貞勘(『翁草』著者)■
「真田信仍こそは、千載人口に残る奇策幾千百ぞや。
そもそも信州以来、徳川に敵する事数回、一度も不覚の名を得ず、
御当家の班猫なりと世に沙汰せり、ああ当世の英雄、信仍に非ずして誰ぞや。
絶等離倫、一世の人物、今に至りて婦童もその名を聞きてその美を知る。」

※真田信仍(のぶなお)=幸村
※御当家=徳川家
※班猫(はんみょう=毒虫)

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■難波戦記■
「彼処(かしこ)に現はれ此処(ここ)に隠れ、火を散じて戦ひけり。
聚合離散(しゅうごうりさん)の形勢、須叟(しゅゆ)に変化して、前にあるかと見れば忽焉(こつえん)、後にあり。」

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■山下秘録■
「五月七日、家康卿の御旗本さして、一文字にうちこむ、家康卿御馬印臥せさすること、異国は知らず、日本にはためし少なき勇士なり、ふしぎなる弓取なり」

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■大久保彦左衛門忠教 『三河物語』■
「みかた原にて一度御旗の崩れ申すより外、あとさきの陣にも御旗の崩れ申す事なし。いわんや七十に成らせられて、おさめの御ほうどうの崩れては、何の世にはぢをすすぎ成さるべきか」

※みかた原=三方ヶ原

             ◎◎◎
             ◎◎◎

■ヤソ会士日本年報■
「先頭には真田および他の司令官毛利豊前守勝永があり、言いあらわせぬほどの勇気を持って戦った。三,四回激しく攻撃したので、将軍(秀忠)は次第に敗退、その部下の多くが列を乱して逃げるのを見て、退却の準備をなし、自ら敗走者の後を追わんとしたことが数回あったがそのつど引き止められた。
また内府(家康)も失望に陥り、にほんの風習に従って腹を切ろうとした由、確かなこととして伝えられている。しかし大坂方が少し気を弛めたので、戦運はたちまち転じ切腹を取りやめた」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

『赤備え』〜朱塗の軍装〜 更新情報

『赤備え』〜朱塗の軍装〜のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。