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戦国時代に興味ある人集まれ!?コミュの本能寺の変の真の黒幕は・・・

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皆さんが考える本能寺の変の黒幕を教えてください!
ちなみに私は豊臣秀吉だと考えています。
その理由は・・・
?偶然迷い込んできた密使について
この話が書かれているのは主に「太閤記」など秀吉よりの資料。この密使は光秀から毛利氏へ送られた者ではなく純粋に秀吉に対して送られた者であると思う(それに敵陣に迷い込むようなアホな奴に光秀も密書を託さんでしょ・・・)
?毛利氏と早急な講和が結べたことについて
講和前の時点で小早川秀隆と安国寺恵珪は秀吉に取り込まれていたと考えるべきであると思う。だからこそ小早川隆景は秀吉追撃を主張する家臣を必死で宥めたのだろう。そののち豊臣政権となってから隆景に筑前五十万石と大老の地位、恵珪も僧侶でありながら伊予六万石を得ている。私としては隆景が大老の地位を得ていることがこの陰謀に加担しているなによりの証拠だと思う。「隆景は有能な武将だから抜擢されても当然ではないか」という方もいらっしゃると思うが、本家の毛利輝元が選ばれているのでわざわざ親類家から選ばずともよいと思うのだが・・・
?秀吉が高松〜山崎間を高速移動できたことについて
通説では光秀が謀反を悟られないように中国の秀吉へ送りつける予定だった物資を利用したためとされていたが、私はこれは始めから秀吉の帰還を手助けし山崎付近に陣を張れるようにするための物資であったと考える。なぜなら山崎は京都の守りの生命線である。謀反が知れれば西国から長宗我部・毛利・大坂の四国征伐軍が攻めてくるであろう。そのためそれに対し防衛しなければならないからだ。
これらの理由から秀吉が黒幕であると考えてます。
皆さんの考えも是非教えてください。
あと気が向いたら、僕が書いたこの駄文に関する批評・批判・けなしもよければ書いてください(ビシバシ厳しくお願いします)

コメント(12)

 確かに秀吉黒幕説にはそれを証明する様な出来事はありますね。実際、光秀の首を本物であるとしたのは秀吉ですからね。光秀の首は地中に埋められていたりして容貌が変わってしまっていたらしいですから。
 ただし、この点を除けばあまり秀吉を黒幕とする理由が見つかりません。

 ?に関しては、密使は織田方の人が秀吉の元に派遣した人物であるという説もあります。

 ?については、毛利は早くから講和を結ぼうとしていましたから早急に講和を結ぶ事は簡単な事だったのではないでしょうか。

 ?については、どうして中国大返しができたのかについて当時の史料に書かれていないので分かりません。

 最後に、秀吉に信長を殺さなければならない理由が見つかりません。
僕も秀吉黒幕説が有力だと思いますが更に付け加えるとすれば徳川家康もこの一件に絡んでいると思います。
家康は妻子を信長の命で殺めていますし。
>弥勒成聖さん
徳川家康が築山殿と松平信康を殺害した事件についてですが、先日谷口克広氏の『目からウロコの戦国時代』という本を読んでみたところ、従来考えられていた「信長の命で前途有望な息子を泣く泣く殺害した」というエピソードは家康よりの資料である『三河物語』に沿ったものであり、より信頼できる徳川関係の記事を載せている『当代記』という資料には「信康殿は父家康公の命に常に反対し信長公も軽んじられ、家臣を情け容赦なく扱うので、先月酒井忠次をもって信長に相談したところ『そのように父や家臣から見放されているのでは仕方が無い。家康の思い通りにするがよい』との返答があった」とされており信康殺害は信長の意思ではなく家康の意思であったと推測されると谷口氏は書かれていました。
仮に本能寺の変に家康が関わっていたとするならば怨恨という線でなく甲斐・信濃を狙っていたという領土欲の線で考えたほうがいいと思います。政変の直後落ち延びる途中に甲斐・信濃に関係が深い穴山梅雪も殺害されてますし・・・
>まことさん
日光東照宮に桔梗の紋があるのは南光坊天海の家紋だったからではないでしょうか?
桔梗の紋は江戸時代には逆臣・明智光秀の家紋として敬遠されていますが、当時としてはそれほど珍しい家紋ではなかったようです。
日記で本能寺の変の(勝手な)真相を書いてみました。
興味がある方は見てみてください。日記なんで前半かなり余計なこと書いてます。
近頃、考えが変わってしまったのでトピック冒頭に書いているコメントと内容がまったく別物となってます。
毛利元就が“謀反人”陶晴賢を討って旧主大内氏の領土を奪った経緯と
秀吉が光秀を討って信長の覇業を受け継いだ経緯が
似ていることが気になります。
単なる憶測にすぎませんが…
自分は光秀のストレス爆発じゃないかと思います。

偶然迷い込んだ密使というのも本当なのだろうかと…。

自分は密使が毛利方に無事たどり着いたのではと推測しています。

その上で毛利方が三頭会議の末、人質を伴い秀吉軍と会談したんじゃないかと考えています。

<毛利側のメリット>
 ・広がりすぎた領国経営の限界
 ・これ以上信長軍(秀吉軍)との交戦しても自滅すること
 ・仮に騙されて形でも審議を貫く姿勢を世間にアピールできる点
 ・秀吉が勝てば恩義を売れる点
 ・光秀が勝っても同盟(?)している秀吉を支える形で、防波堤として活用できる点
 ・光秀は確か将軍の名の下の天下泰平を手始めとしていたはずなので、領国に将軍を囲っているから交渉の切り札になる点
 ・代々の保守の伝統

といった感じです。

つたない自論ですいません冷や汗
『黒幕ありき』の前提での討論ということでいいですか?(^_^;)

皆さん興味深い見解をお持ちですが、朝廷論者がいないですね(^_^;)

敢えて黒幕が存在するという前提なら、私は朝廷を推します(^-^)
僕も朝廷を推します
光秀は以前は朝倉、足利氏に使え、恐らく朝廷とも何らかの関わりがあったでしょうし後にそこから信長と朝廷との確執がやがて光秀に信長暗殺の命を受け他のではないかと思います
俺も朝廷だったと思います。光秀と信長は源氏流と平氏流の流れを汲んでいて、光秀はかなり朝廷と親しかった。光秀もかなりの手傷を負っている事から計画したというよりは、そこまで状況は差し迫っていた。

信長は秀吉の応援で本能寺に寄って本能寺の変が起きた。ならば優勢だった毛利は秀吉の和睦を受け入れる必要はなかった事から天下を手にできる事を知っていた秀吉は毛利の安泰を約束したのでは?

光秀の首が偽物であるにもかかわらず、秀吉は光秀だと言い張り、哀しむ演技をした。あらかじめ光秀から聞いていたなら和睦も早過ぎる中国大返しも説明がつく。

そして光秀と天海の筆跡鑑定の一致。つまり秀吉は光秀を討ったふりをして家康に託し、光秀は天海として家康に仕えた。逃す事で、黒幕の朝廷を出し抜いたのではないか?

と、かなり自分流の解釈ですが、以上により黒幕は朝廷だと思います。


が、実は信長は生きていて大陸に渡っていたと言う説もあるみたいで、いまだに歴史上最大のミステリーですね。

でも大陸に渡っていたなら、勝手な想像ですが秀吉の晩年の朝鮮出兵も筋の通った行動なんですよね。

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