ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

戦国関東甲信越城郭研究会コミュのパーツで選ぶ中世古城10選【笹平城】

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
今に残る投石陣地と謎の「連続竪堀」&「畝状阻塞」

この城は「本庄繁長の乱」に際し、大葉沢城に拠る繁長に対抗すべく(距離3km)、上杉謙信が築いた「向城」だといわれている。「付城」というには大葉沢に匹敵する規模なので、しっくりこないし、長大なV字型の尾根の上に延々と曲輪を造成した典型的山城なので「陣城」という表現も当たらない。やはり「向城」というのが妥当なのであろう。
この城は純軍事的な目的で造られた城であり、乱集結とともに、その用途がなくなり、永遠の眠りに着いたようである。こうした戦術レベルの城は各所にあるが、当時のままパックされた状態で残っている城は極めて珍しい。その証拠に、この城には、各所に投石陣地が残る。つまり戦国期以来、ほとんど人が入っていないことを物語っている。
「埋もれた古城」で、私も参加したオフ会のことに触れている下りがあるが、「それにしてもこの大人数(9名)は恐らく廃城以来最高の入城者数だったのでは(笑)」と、うもちゃんが言っているが、まさしくその通りであろう。
この城の特徴は投石陣地だけではない。二ヶ所の想定登山道に畝状阻塞が築かれているのである。松井田城のものを思い起こしていただければいいが、地形的特長が明確な分、こちらの方がわかりやすい。
さらに、登られやすそうな山腹二ヶ所に、幅50cmほどの竪堀が連続的に築かれているのも、この城の特徴である。これだけ狭いと、敵の横移動をほとんど妨げられないと思われるが、用途はまったく不明である。敵影が見えたら、水や尿を流して滑りやすくしたのかもしれない(笑)。
これだけの深山に城があるというのも珍しいが、まさに戦国時代を真空パックしたようなこの城に行けたのは、まったく幸運だった。人と城も縁があり、何度も行ける城もあれば、何度も行くチャンスを逃してしまう城がある(私の場合、蒲原城)。そうした縁を思いつつ、いい城に行けた時は、一期一会の気持ちで接することが大切だと思う。
 さらに、この近くには、針鼠のような「見敵必殺の防御施設」畝型連続阻塞(『日本城郭大系』)を持つ大葉沢城がある。ただしこちらは、畝の形が等高線に沿って平行している笹平や松井田と異なり、垂直なのである。つまり、敵の横の動きを妨げ、畝と畝の間隔を絞り、その間から飛び出してくる敵を一人一人屠るという、まさに「見敵必殺の防御施設」なのである。それが約百メートルにわたり、五十以上の畝が連なっている様は、見事としか表現の仕様がない。下手をすると塹壕のような遮蔽物になってしまう等高線平行型より、こちらの方がキルゾーン化されている分、わかりやすい。こちらも異形の城として、ぜひ行っておいた方がいい城である。

写真は笹平城の投石陣地と大葉沢城

コメント(2)

笹平城と直接の関係は無い話題になってしまうのですが、幅50cm程の竪堀の遺構が笹平城より遥か南、津南町の今井城にもありました。
あまりにも畝が小規模なので、技術アピールの為なのか築城理論の演習目的なのか判断がつきませんでしたが、こうして他城でも存在することが確認できたということは、当時は何らかの有効な役割があると認識されていた施設だったといえるのかもしれませんね。
ホルニッセ様
いつも、貴重な情報、ありがとうございます。
こうした防御施設には、必ず何らかの目的があったと思うのですが、今となっては古文書にも残っていませんし、なかなか想像もし難いものです。
それもまた中世城郭の魅力なのかもしれませんね。
今井城も機会があったら行ってみたいものです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

戦国関東甲信越城郭研究会 更新情報

戦国関東甲信越城郭研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング