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禅と神の研究 コミュのいい宗教とは?

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コメント(36)

できれば、トピックを立てられる方は
まず、その提議に対して、御自分の御意見を述べられる事を希望します、
話が進みやすい。
読んだひとが、書き込みしやすいかと思います。
トピックたてる方は大変でしょうけど。
出来ればそうしていただきたいです。
悪い宗教は指摘しやすいけどねー
じゃあいいのはなんなのかとなると医療や行政・経済などとからんで宗教ってなに?と改めて考えてしまう。
それぞれの宗教の観点からすれば,自宗教でしょう.
社会から見れば,その社会の常識を乱さない宗教でしょうが,一流の宗教というのは,その当時のその地域の常識を覆して自分たちの価値観をむりやり常識にしてしまうものだし・・・
悪いことをしても地獄に堕ちないは
宗教というより悪なんじゃないかなぁ。。。
自分自身の判断による事になってしまうと思います。
そもそも、良いとか良く無いという判断は「人」である習性が
するふんべつにすぎませんから
「いい宗教」というふんべつもまた当然の事ながら、しかりです。

商売繁昌、家内安全、健康祈願、受験合格祈願という欲望が目的で
宗教を求めた場合、それを満たしてくれる宗教が「いい宗教」という判断になるでしょう。
ボランテイアとか、利他という考え方に共感を覚え、そこに宗教を感じた者が宗教を求めた場合、それを満たす宗教が、「いい宗教」なのでしょう。
自分だけは、修行して、空中に浮くようになりたい、
そういう「特別な者になりたい」と願って、宗教を求めるならば、
O-ム真理教等は、その欲求をちゃんと満たしてくれそうに見える
「いい宗教」と判断しても不思議でありません。

ソクラテスが求めたような「この世の有り様を知りたい」という欲求を満たしてくれるのが彼の場合は自分自身で解決した「哲学」でありました。
また、それは釈迦そのものも同じだったと思われます。
そ欲求を満たしてくれるものが、「哲学」と分別して呼称されようが、
「釈迦の教え(仏教)」と呼称されようが、どっちでも、どうでもいい事だけど、とにかく、それが「いい宗教」となるかも知れない。

愛する人を亡くしたり、自分が回復不可能なダメージを体に受けた場合、
また、この世で唯一愛する人から愛されなかった場合等、その絶望の現実から、救ってくれる「希望」を空想、想像させてくれて、それにより
その絶望から希望を見い出させてくれる宗教、
たとえば、仏教の一種(救いの仏教、たとえば浄土宗、真言宗)
そして。キリスト教等は、それを満たしてくれるので
それを欲するならば、それに答えるこれらは「いい宗教」だと言える。

いいと「ふんべつ」するのは己自身に外ならない。
お金を取っても取らなくても、利他行をしなくても、しても、
そんな事で「いいか、よくないか」を判断するのは、他人の入っている宗教の事。自分の欲求を満たす宗教なら、金を取ろうが取ろまえが、
それは「いい宗教」とふんべつしてしまうのである。

つまりは、「ふんべつ」に過ぎない事。
そしてその分別にふりまわされてしまうのが「人間」という種の特徴であると思う。
すごいな。隠れキャラは名前に勝ってるぞ。
メインキャラ食えちゃう隠れキャラだな
自分の欲求が満たされた結果、誰かに不幸が訪れたりするのは、やはりいい宗教とは言えない気がします。『いい宗教』と呼ぶべきもの、呼ばれるに値するものなら、どっからどう見てもいい宗教であるべきだと思います。
具体的に…といわれるとよくわかりませんが。
↑暴力的に長いよw中身の割に。

ローマ法王が亡くなりそうだけど、SGIの先生など亡くなったらどんな騒ぎになるのかと。
後楽園で割にメジャーな新興宗教の集まりがあった時に通りかかってすごいもんだなと思ったけどねー
本がたくさん売れてるとこ。
仏教の大物が死んでもたいしたニュースにならない気がする。
文化人だとそれなりの扱いはされるけど。
動機がなんであれ、集まる騒ぐというのは穏やかじゃないすな。示威行為になる。

チベット取材の番組でダライ・ラマの居る寺のそばで日本のレポーターが騒いで会いたがっても、地元の青年は冷静に「教えは本を読めば書いてある」などと言い、その後、車の中で何か自分の言葉で熱く語って、それまで温厚なだけに見えたのに意外だったらしく、レポーター女子の目に☆が出ていた。

まあ、こういう悟りというか諦観みたいなのは自然崇拝とか原始宗教のほうが強いかもしれない。教祖が目の前で同じ言語なんかしゃべると信者が興奮するのも無理はない。

救いは許すことと同義の場合があるけど、なんでも許しちゃ剣呑ですわな。罰のほうも同様ね。
現世利益でやってる宗教なんてあるのか?
実情はそうでもそうは言わないわな。滅多には。
日蓮宗とか現世利益追求じゃなかったっけ?
創価学会も日蓮の子孫。
麻原の祖先も大勢いるし
山本健ちゃんの子孫もいっぱいいるなぁ。
世も末だ
カルヴァン派もどっちかと言うとそっちよりかも
> カルヴァン派もどっちかと言うとそっちよりかも

「そっちより」が現世利益追求なら、教理上は正反対にちかいですね。

 カルヴァンの基本は、神は創造者であり主権者なのだから、どんな人間をどう扱おうと自由。 だから、悪人を天国にあげたり善人を地獄に落としたってかまわない。 これをいやがるのは、自分の行いに従がって神の反応をコントロールしようという不信仰・反逆( マックス・ウェーバー流に言えば魔術的思考 )だ、という。 人は、たとえ一生を信仰と善行とに行きたうえで地獄に落とされようと、「神よ、あなたはすばらしい方。 善にして義なる万物の創造主、わたしはあなたに感謝します」といいつつ地獄におちねばならない、みたいなことを言っています。

 ただ、神が個々人を嘉し給うているかどうかは、その人がいかにひたすら勤労しているかを目安とすることができる、ということから、勤労して(浪費しちゃいけないので)蓄財できたものはきっと神様に嘉せられているのだろう、つまり金持ちならば天国行きだ、という倒錯した俗流カルヴァン主義が成立してくることがあるのは事実です。
宗教と呼ばれるものはすべからく良くないと思っています。

ひとりで思索してればいいものを、群れるとろくなことがない。
たいがいバカになる。
: 雪男@春 さん
<<↑暴力的に長いよw中身の割に。>>
あのね、宗教、仏教、哲学を語るのに、これくらいの文面で
「暴力的に長い」なんて言うなよね。
短くて、まったく中身が無い文章にならないように必死で書いて
やっとこさ、こんなもんだ。
、ただ、ぱぱっと思い付きで書いただけなら短く書けるだろうけど、
それって、意味無いじゃん。
<<↑暴力的に>>って言うのはね、
<<長いよw中身の割に。>>
ってような言葉をむやみに使う事です。
文章が短くて暴力的なのは「いかん」でしょ。
くだらない批判してないで、自分の考えだけを語りましょう。
<<現世利益でやってる宗教なんてあるのか?
実情はそうでもそうは言わないわな。滅多には。>>

↑たとえば仏教等は現世利益云々というよりは
本来釈迦が「ブッダ(目覚めた人)」と言われるように、
「真理」に彼が気が付いたという所から始まるもので、
そのブッダが、いったい何に目覚めた(気が付いた)のか?
という事で、しかしそれは不立文字で
自ら悟るしかない。学問や文章もいいが、あくまでも助け程度にほかならない。
仏教はそもそも、「何か頂戴」「ほれ、やるぞ!」という宗教から始まったものではない。
人間がこの世に存在していなくても、存在しなくなっても、
なんて事なく在る、この世のありように気が付いた(1)だけの事。
それを説くだけの事。
ただ(1)では仏陀やソクラテスが気が付いた「事」に
だれもが気が付くとは限らないので、気が付く事が出来なかった者を
救ってしまおうという「救いの宗教(2)」が生まれた。
(1)に気が付いた者だからこそ(2)が必要だと思った。
それは仏教もキリスト教も同じ「救い」
実際の救いの本質は、
明日の事を思い煩う人間というやっかいな種の特徴を
方便で「だいじょうぶ!」と「思い込ませる」事なんだ。
だから、実はぜーんぶ現世利益といえば、現世利益だ。
「救い(2)の宗教(浄土真宗、真言宗、キリスト教等)」は
全部が実は「現世利益」だ。
だって、死んじゃったら、何かしてもらおうにも、何もならないじゃん。
もう人間の形も、なにもかも「変化」してしまっていて
もう、人の形すらとどめていなくなるんだから。
死んだ後「天国(あるいは浄土)に行けるからね、心配ないからね」って
信じる。
信じた者は、死後の事で苦しまないですむじゃん。
今苦しい生活していても、「死後は幸せだけだよ!」って言われて、
そう信じたまま、死ぬ迄生きれたら、苦しまなくて済むじゃん。
↓だから神は言ったとされる、、
「信じる者は救われる」と。
「信心深い」とか「信心が足らん!」とか(^.^; とも言うが、、
生きていく・生き残っていくならある意味現世利益というか
それでいいのだという肯定はしたいし、確信にまで高めるには
「社会的に建設的」であるほうがいいだろうけど
「他の宗教、思想、哲学に寛容であること」はどうかな?

まったく発生から異なると疎外も敵対もせずある種の理解をしたりもするけど経済的安定あたりが条件だとつまりある種の現世利益でもあるのよね。
オスマントルコなんかイスラムとキリストがうまくいってた。

逆に思想的にはともかく経済的対立と合わさると紛争の種になりやすいしね。聖地がどうとかいうのもアホくさいけど。

悟った「つもり」なだけかもしれないという不安は強いはず。日頃は元気で悩まないにしてもね。貧乏で社会不安も大きいと悩みっぱなしだろうけど。
カウンセリング、サービス業でも済みそうだけどね。日本は。
はじめまして。

現代社会に見るいい宗教の条件。私は以下に思います。
健全なマインドに似てるかもしれません。

?参加する本人が楽しんでいる。
 生命感あふれ笑顔に満ちて暮らせる。

?参加する本人が自分以外の全てのもの
 やことに、やさしく寛容である。
 
?唯一絶対を説かず、参加者の自発性や
 精進に重きを置く。
 
>生命感あふれ笑顔に満ちて暮らせる。

これ、外から見ると不気味ですけどねー。
青年部とか街頭で祈らせてくださいとかいう人たちも
妙に不必要に明るくて嘘とかごまかしを感じる。

「すべてに寛容」もいかがなものか。
怒ったりするのが自然なんじゃないかなー。

禅宗は面倒見悪すぎ。一般的に。
門ににんにく持ち込むななんて書いてるのが意固地w
> 禅宗は面倒見悪すぎ。一般的に。
> 門ににんにく持ち込むななんて書いてるのが意固地w

いや,長期にわたって修行まじめにしようとしたら強制強壮剤なんてあっちゃ困りますよ. 病気の時の治療に使ってもいけないかどうかといった話ならともかく. 通常時のにんにくのもちこみって,ほとんど,バイアグラやヨヒンピンの類を道場に持ち込むなって言うのと同じレヴェルの話でしょ・・・ それにあの臭いって( 禁欲時のような限界状況では )かいだだけでも性欲を刺激されるって話しもききますから,そうなると僧侶にポルノグラフィーを見せて回るな,というのにすら似た話なのかも・・・

まじめに修行しているかたがたのじゃまはよしましょう
>15
> ちょっぴり本気で新興宗教を作りたい今日この頃。

私がつくるなら

「自灯明,法灯明」
「人法二空・縁起空観」
「無菩薩」
「自力」
「自利即利他」
「悉有ハ仏性ナリ」

これだけでいいです.
(あー,上座部と竜樹と華厳と道元のいいとこどりだなぁ )
「薫酒山門入不許」でネギもダメですね。
「少林寺」という映画で小坊主たちが鶏を食べちゃったら
よしとした先生もいたんだったか、そんな話なら微笑ましい
けど、酒を隠して・・・という話は狂言にもなってたりして
そちらは偉いほうがやってるわけで、そうなると密室の…
という暗部も想像されてわやですな。

そんな話はともかく。
用語をどうするかというのはかなり根本的問題だな。
歴史的なのを使うのも新規に変な使い方をするのも問題ある。

クラシックと現代音楽の差、難しさなんかも連想する。
宗教だと名乗って税の減免なんか受けたらもう…
なんでそんなことになってるのかなしかし。国が保護してる
ということですな。
釈迦の仏教は、釈迦が後年二人旅だったことで解るように
徒党を組んでいませんし、仏教教団とは離れています事もそうですが、

「悟った」場合は、集団は必要ないです、仏教集団など属する必要は
釈迦の教えでは必要ないです。
<<悟った、あるいは悩まない人間に宗教は必要ないわな>>
↑その通りだと思います

「救いの宗教(2)」は全てに寛容ですが、
「悟りの宗教(1)(禅等)」では総てに寛容でありたくても
寛容とはいえない、自然そのものを止観する事ですから、
当然寛容であるかどうかなどには関係なく、事実のみを受け入れるしかないという事です。

まあ、このトピックの題である<<いい宗教>>という
<<いい>>という部分は、個人で判断するしかなく、
ましてや「悟りの宗教(1)(禅等)」においては
それは、「いい」とか「悪い」とかではなく
「事実」のみしかありません。
「救いの宗教(2)」のような、「希望も、期待も」関係ない。
それから、今さら新しい振興宗教などもう充分なので必要ないです、
ましてや仏教はもう充分出尽くしています。
あとは個人が理解するかどうかだけの問題で、集団なんて関係ないです。
宗派もどうでもいい事です。仏教という「呼び名」さえ別にどうでも
いい事です。そのような事にとらわれる事なく
止観すれば「ある事にただ気が付き」

それらが、どれもだめなら、「救いの仏教(2)」なり
救いの宗教(キリスト教等)で夢をみさせてもらうという手もあるし、
(1)で悟った者が、その後「ただ死ぬ迄人間を生きるしかないと理解し
「ただ生きる(1B)」か、
または(1)で理解した者が(2)の「救いの宗教」の手伝いをし、
人々に夢を見させるか。
仏教は大きくわけるとこの3つ.
(1B)も(1)も「仏教」に限らないし
(3)も、必ずしも「仏教」でなくてもいい。
東大寺や比叡山の僧兵という歴史もあるけどね
こういうのはどうなのかな
有効性とかね
http://www.mofu.org/risyo.html
まぁ見方は色々あるって事でw
議論はいいけどケンカは
端から見てみっともないよ。
宗教とか神とか禅以前の問題だ。
そんな宗教達が戦いや
争いを繰り広げてきました。
己が人間であることを見直す
いい機会かもね。
オウムが上祐派と麻原派に分かれて麻原派は正体を隠して
ヨガ教室などで勧誘しているらしい。

ポアを善とする思想自体は理解できなくはないが理解も同意
もない人々を殺すのは単なる殺人であり罪だ。

スピリチュアルなんとかにも怪しいのがあるけどねえ。
金で済むうちはまだいい。
宗教めいたNPOなどもいろいろある。ご注意あれ。
 
宗教を一つの学校として、
 それを学びつくして、卒業することを目的にするのがよいのではないかと思います。
  聖職者は知識を教える教師みたいなもので
   信者でなく、生徒、というか求道者みたいな感じで。
    (弟子とかありますが、その目標は聖職者になることなので、これと違います)
     悟ったら(各宗教マスター)、世俗で実践。決して修道院みたいにお隠れしない。
      と、なれば、宗教も役に立つ。というか
       でなければ、自己満足の域を全く出ないどころか、
        隠れてストレスがなければ、誰だって悟れるといえる。ニートオタク的に。
         社会も悟った者がどんどん増えれば、本当に良い現世に向かえる。
          、、、と、ふと、思いました。
           あの世とか言ってないで、今をよくすべきなのです。出来るのだから
 


  死のうと思う人は、自分の命をなにか善い事のために、
  死んだと思って捧げて見れば良いのです。
  失うものがない人は、このように、
  善い全てを受ける可能性に満ちて居ます。
 
  自分で見つけたなにか綺麗な事に。
   そんな時、カルトに捕まらないように。
    カルトはどん底の人の命までも汚して、
     始めはよくてもそのうち金に換金することだけを考えています。

       しかしすでに善に身を捧げて生きるものの視点には
       カルトなんかは、ちっぽけな汚物としか映らないはずです。 ▣
 
 

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