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好田タクトふぁん倶楽部コミュのタクトハウス

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 引越し魔のベートーヴェンは生涯に八十回以上引越し、そのため、いたるところに「ベートーヴェンハウス」がある。

ベートーヴェンに限らず世に認められた偉人達だからこそ、その生家や住んでいたところも博物館になったり観光地になったりして後世でもあがめられている。
ぼくみたいにどこの馬の骨かわからぬ輩は、その住み家も「さよか」扱いである。でも日記やBBSはある意味、自己顕示欲の吐露だから自分の住み家も少しはスポットをあててやろうと思う。
「タクトハウス」のエピソードを書いてみた。

ぼくは家を持ったことがない。すべて借家だ。
兵庫県の明石時代は生家も含めて3箇所に住んだ。最初の山下町と小学4年生まで住んだ人丸町の貸家は、もう家はなくて駐車場になっている。父はぼくが生まれる前は刑事だったらしいが、張り込みのために明石港で淡路島からきたヤクザ数人を捕まえた(表彰もされて新聞にも出た)ときに、血を見てビビッて警察を辞めたそう。母はいつもそのことを笑っていた。だからぼくは八百屋の子。とはいってもなんでも売っていた。よく父は「発明や」とか言って、食パンの余った耳を揚げて砂糖をまぶして、10円で店でお菓子として平気で売っていた。が、それは全然売れなくて、いつもぼくら兄妹が食べさせられていた。背中がトゲトゲの亀やトカゲ、犬や猫などなんかいっぱい家裏で飼っていた。
 あんまりボロイので、立ち退きを迫られ近所のアパートに移った。そこは今でも母が借りていて、平日は妹夫婦の東灘で一緒に住んでいるのだが、土日になると嬉々として明石のアパートに帰る。
「お母さん一人のために、土日だけ住むなんて効率悪いから、もう引き払ったら」とぼくや妹が言うと、
「地元には友達がおるねん」
と、明石のアパートを出るのを嫌がる。まあ、理解できるわな。
しかし最近、長期入院することが多くなって、母も真剣にアパートを出ることを考え始めている。
 
 お寺に住み込んで毎日ムカデに悩まされたり、新聞奨学生で浜村純さんとこへ朝刊配りに行ったら、ある日、そこの棟入り口で飛び降り自殺者を発見したりして暗い青春時代を送った後、お笑いの世界に入った。
阿倍野で1万3千円の4畳半のボロアパート「三福荘」に住んだ。

ある日、吉本の社員から「好田くん、明日全国放送に出したるわ」と言われ、
「それお笑いですか?お芝居ですか?」
「いや、貧乏・・・」
なんかいやな予感するなと思いながら、母親に電話で、
「お母ちゃん、明日、全国放送のゴールデンの生番組に出れるで。フジテレビの「さんまのテレビの裏側全て見せます」という奴や。いつもみたいに、うどん食べてドテッとコケてるのとちゃうで」
「じゃあ、親戚中に言うとくわ」
で、当日、司会のさんまさんが、
「今、吉本にはこんな悲惨な芸人がいます」
続いてぼくが住んでいる阿倍野のアパートがドアップで映し出され、
「ここが大阪で一番安いアパートです!こっちが共同トイレ、こっちが共同炊事場、家賃はなんと1万3千円!」
テレビのスタジオから、「おおっ、今にも潰れそうだ!」
翌日、同じアパートの住人から、
「あの番組見たけど、あんたが恥じかいたんちゃうで。私ら全員恥かいたんやで」と言われ、親戚から責められた母親は、
「誠一君にもうそんな世界やめさせって責められたわ」
とひんしゅくを買いまくり、しかもギャラが振り込まれていない!
会社に文句を言いに行ったら、
「あほ! お前を映したんやない。お前のアパートを映したんや」

「貧乏数珠つなぎ」という番組(貧乏芸人がさらに貧乏な芸人を紹介していく)では、僕で数珠が切れたこともあった。

ある時、近くの不動産で「6畳、3畳、キッチン3畳、3階。日当たり良好。2万6千円」という「丸山住宅」の空き部屋の告知を見つけ、そこに移ることにした。昔、NHKの朝ドラ「ふたりっ子」の舞台になったとこで、近くが天王寺村があるし、高台に丸山住宅が建っているので、夕方になると住んでいる部屋の窓をあけると西に夕日が沈むのが見えたりして、いたく気に入ってしまった。
そこでは炊事場にある湯沸かし器で、流し台に乗って頭や体を洗うという荒業も覚えた。もちろん時々は風呂屋にも行ってたけど。
ある夏の日、いつものように中型バイクで帰ってくると、家の前の草むらから「みー、みー」という声が聞こえる。見ると目が見えないぐらいの赤ちゃん猫がよちよちしている。
「親は? 親と離れたんか? 腹減ったるの?」
その白黒猫があまりにかわいいし、おなかもすいているみたいなので、部屋でミルクをあげた。おいしそうに飲んでいる。
しばらくすると、ぼくを母親と勘違いしているのか、わきのところをペロペロなめておっぱいを吸いたいみたいにまさぐってくる。
しばらく自由にさせていたら、ぼくは疲れていたのか眠ってしまった。
ハッと目が覚めたら、子猫がわき下にいる。なんかぐったりしている。

下敷きにしてしまったらしい…。

近くの公園でお墓を立てて、弔った。
「ぼくと会ったばっかりに、ごめんな…。化けて出んといてな…」
シベリア文太がよくぼくを「猫殺し」と言うのは、この事件があったからだ。
丸山住宅はいたく気に入っていたのだが、東京に行くことにしたので、半年ぐらいしかここには住めなかった。


中野坂上の宝不動産で見つけたのが、中野本町の2万5千円のアパート。中野坂上に引っ越してきて、地下鉄を出るとお祭りみたいなのを駅前でやっていた。
「さすが東京。にぎやかやなあ」
そのお祭りで踊っていたきれいな姉ちゃんたち、頭に象さんの帽子を被っている人たちから、カレーの無料券と漫画をもらった。家に帰ってその漫画を読んだ。ストーリーは男前のひげをはやした男性が、超能力で世界を変えるというものだった。オウム真理教だった。
アパートの2階にぼくは住んでいて、大家さんが下の階に住んでいる。老人なので、寝るのが早い。ぼくが夜8時半ごろ電話をしていたら、戸をコンコン叩かれて「好田さん、今、何時だと思っているの!」と怒られ、朝3時ごろには大家さんがうたう詩吟を聞かされる。
しかし家賃が安い、生活費がかからないというのは、思わぬメリットもある。
東京へ来て3年目ぐらいにNHKの「あしたもげんきくん」という新番組のオーデションを受けた。課題と自分のネタをやった後、スタッフが質問してきた。
「タクトさんの生活状況はどうですか?」
「家賃が2万5千円、健康保険とか合わせても4万円で生活できます」
「あっ、それなら大丈夫だ」
えっ? 何が大丈夫なん? と心に思いながら、しばらくして「げんき君決まりました」。
そしてギャラをもらった時に、言われた意味がわかった。

「げんきくん」の一回あたりギャラが安いとはいえ、週に2回全国放送されると小さい子供達中心に知られるようになり、営業が入るようになった。それでぼくは風呂付のアパートに引越しすることができた。家賃は6万8千円。けっこうきれい。28歳の時。場所はやはり中野。だって中野は生活しやすいんだもの。
ちなみにそれまで住んでいた中野坂上のアパートは、今はもうない。

しばらくしたら、シベリア文太、本名が玉村なのでぼくは彼を「玉ちゃん」と呼ぶのだが、その玉ちゃんが九州吉本を離れ間寛平さんの付き人をすることになり、中野にあるぼくの目先にあった「八郎食堂」の2階、4畳半の安アパートに引っ越してきた。
お風呂も洗濯もぼくのところでできるからだ。
合鍵を渡していたので出入り自由にしていたのだが、玉ちゃんはぼくに悪いと思ったらしく、「風呂や洗濯するときは、100円払いますわ」
「じゃあ、これに入れて。玉ちゃん資金にしょう。僕は手をつけへんから、もし玉ちゃんが生活に困った時にこれを使うことにしよう」
と2人で約束したのだが、だんだんルーズになってくる。
玉ちゃんは、100円の代わりに付き人で取ってきたテレビ局の弁当を持ってきて、
「これでええやろ。あ、汁がもれてるがな」
と言いながら、幾つもの局の弁当を持ってきてくれる。ぼくも
「しゃあないなあ」
「東京のテレビ局の弁当は違うわ」
ぼくは「げんきくん」のロケは4泊5日なので、金曜日に帰ってくるのだが、時々早まって木曜日に帰ってくる。
夏の時期にロケ先から一日早く帰って来て家の鍵を開けたら、中からすごいクーラーのきいた冷気とともに、ぼくのベットで気持ちよく寝ていた玉ちゃんがガバッと起きて、
「明日帰ってくるんとちゃうん!」
その玉ちゃんは東京に来てからも、貧乏芸人を扱った特番にしょっちゅう出ていた。普段はそんなこと絶対しないのに、公園の蛇口で水を飲んでいる映像がテレビで流れて、スタジオではワハハの久本雅美さんがそれを信じて「かわいそう」と泣いていた。

阪神大震災を機に「げんきくん」を辞め、少し神戸でボランディアをしたあと、海外に行くことにした。日本での空家賃を払うのは痛いので、倉庫代わりにと安アパートを探した。
野方に2万8千円というのを見つけた。不動産屋さんが「あんたも芸人? 前まで住んでいた人も落語家だよ。快楽亭ブラックさんと言う人で、子供ができたから引越したみたいよ」
実際に見に行ったら、なんかアパートにオーラというか、怨念が漂っている感じがして躊躇していたら、中野の方の大家さんが「ヨーロッパに行っている間、5万円でいいよ」と言ってくれたので、引っ越さないことにした。
木下ほうかとこみたいに前の住人がサザンの桑田佳祐だったら、もっと興味もったのだけどね。
2年ほど海外と日本をうろちょろしていたら、芸人の仕事がほんとうになくなってきた。そしてさらに1年、ここに閉じこもって「クラシック音楽夢レース」の原稿をずっと睡眠3時間で1年間書いていた。原稿をしあげたが出版社が決まらない。とにかく家賃を稼がなくてはいけなくなり、サラリーマンと芸人の2足のわらじを履くことにした。
収入が増え、芸人活動はおろそかになった。
西新宿にある会社の前のビルの中に、住都公団の説明案内所があった。もう中野のアパートに住んで8年もたつし、アルト君が住んでいた住都公団がよかったので、冷やかし半分でそこへ行った。
何人かいたカウンターの女性の一人が、「次の方、どうぞ」と言われ席に着いたら、その女性が、
「史ちゃんのお兄さんでしょ!」
「えっ!? 誰?」
「わたし、タケダです。史ちゃんと同じ陸上部やった。でも確か、NHKのお兄さんやってましたよね。なんでネクタイしているんですか?」
状況を説明して、希望の高い階を言ったら、
「高い階ね…。ここどうですか。一回、見てきてください」
「わっ、ちょっと家賃きつそうやなあ」
でもじっさいに見にいったら、すごく気に入って結局そこに引っ越すことにした。
小松川にある住都公団33階建ての29階に住んだ。ま上の階はプロレスラーで格闘家の藤○和之が住んでいた。びっくりしたのは、高山戦。テレビで生であれほどの激闘をやっていたのに、その夜中にガチャンガチャン、ベンチプレスをやっていた。
会社の人たちもよく遊びに来た。
「すごい夜景ですねえ。好田さんはどうでもええけど、この東京の夜景が一望できるのは価値ありやわ」なんて言われ、何時間もベランダから眺めている子もいた。
しかし自分にとってはここは贅沢。いつまでもこんなのが続くわけはなかった。芸人中心の生活に戻そうと、会社を辞め、ちょうどその頃に中学生の同級生が、「神戸は仕事がない。好田とこいくわ」ということで、しばらく一緒に暮らすことになり、今の墨田の一軒家を借りたというわけだ。それが約4年前。
その同級生も今は人生建て直しをなんとか果たし、今は違うところに住んでいる。

今住んでいる一軒家は少し構造が変わっていて、同じ家なのに住所が2つある。30−3と30−4だ。前が寮だったらしく、貸家にすることで中をぶち抜いたからそうなったみたい。だから玄関も2つあり、ひとつは完全に閉じきっている。風呂も前は部屋だったので、広さが4畳半もある。2階が2部屋、1階が6畳2部屋に台所と風呂。これを一人で住むのはちょっと持て余し気味。みーこがノビノビ走り回っている。冷蔵庫マンさんとこみたいに、家でお笑いライブやろうかしら。部屋をつらねて寄席にできないかな。なんか、いい使い道ないでっしゃろか。

「タクトハウス」。ぼくは必ずしも引越し魔ではないと思うけど、けっこういろいろなところに移ってきたかも。でもほんとうは雨露さえしのげればそれでいいんだけどね。ただ、前に住んでいた所がなくなって駐車場とかになっていたら、やっぱり寂しいね。

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