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国分寺跡など遺跡めぐりコミュの国分寺跡、国分尼寺跡のトピ

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国分寺跡、国分尼寺跡に関することは、こちらで


国分寺(こくぶんじ)とは、聖武天皇が741年に国状不安を鎮撫するために各国に国分尼寺(こくぶんにじ、こくぶにじ)とともに建立を命じた寺院である。正式名称は国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)である。

各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府のそばに置かれた。多くの場合、国庁とともにその国の最大の建築物であった。大和国の東大寺、法華寺は総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられた。

律令体制が弛緩し、官による財政支持がなくなると、国分寺・国分尼寺は廃れた。その後再建され、当初の国分寺とは性格の異なる寺として現在まで維持しているところがある。かっての国分寺近くの寺で国分寺の遺品を保存していることがある。国分尼寺も同様だが、復興を受けなかったところが多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%B0%BC%E5%AF%BA

コメント(24)

若狭へドライブに行ってきました。国道沿いに若狭国分寺跡があるので見てきました。ここは何回も行ったけど国道沿いなので寄り道してしまいます。

塔跡、南大門跡
 江戸時代の国分寺跡  現在の金堂跡    跡の航空写真

東京都府中市に住んでいますので、「武蔵国分寺跡」の写真を。
「武蔵国分尼寺跡」も整備されていました。
国分寺の西、歩いても近くです。
遺跡全景      七重の塔     

お盆休みに岡山県備前国分寺跡に行ってきましたが、
まだ発掘前でした。
ゆき☆彡 さん
(ところで、ここ記号「彡」はどのようにすると出てくるのですか?)

私は「若狭」、「備前」にはまだ行ったことはありません。備前の「七重塔」は面白いものを作ったものですね。
全系図       塔跡       中門跡と回廊跡

岡山へ寄り道がてらに姫路市御国野町の播磨国分寺跡に行ってきました。遺跡は整備されて築地塀も一部復元されてました。
美作国分寺跡
国分寺跡の上に天台宗国分寺があります。境内内の巨石は、かつて国分寺の礎石と伝えられてる。
播磨国分寺跡は1992年に行った時は整備されていませんでしたが、もう立派に整理されているのですね。
美作国分寺跡は昔と同じですが、説明板は書き換えられているようです。
こんど播磨に行ってみなくちゃ。
今日は、163号線(伊賀街道)を通り沿線の宿場跡を寄り道しながら伊賀国分寺跡を訪ねました。遺跡は整備はされてましたが、資料館も復元もありませんでした。礎石の痕跡の窪みがある程度でした。周りは住宅なのに誰もいない静寂の空間でした。
今さらな質問なのですが、国分寺ってなぜ国を分けると書くんでしょ?
そこが国の中心だったってことですかね。。
なんて、さりげに質問です。
sicksevenさん
国分寺は聖武天皇の詔では「僧寺には20僧を置いて金光明四天王護国之寺と称し、尼寺には10尼を置いて法華滅罪之寺と称する。」と書いてあるだけなのですよね。
「国分寺」という言葉をだれが何時使い出したか、意味はということを国分寺趣味の仲間で探したことがあります(歴史的初出を研究者がまとめたものを)。でも判りませんでした。但し仲間といっても歴史専門家はおらず、歩き回るのが趣味だけだったもので。。。。
もっとちゃんと探せば何処かにあるのでしょうけど、突込み不足です。
いやあ、奥が深そうですね。
こういったことだけでも歴史を感じてしまいますね。
国分寺を探すなら山川出版の歴史散歩シリーズがいいですよ。
NETで国分寺後を探すのであれば
 http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/tomonokai.htm
で探せますよ。
 特に上の二つは全ての国分寺後を網羅しています。

ついでなんですが、この中の友の会報告NO.6には「ゆき」さんも参加されていますね。
   ゆきさんの伊賀国分寺跡   5年前の跡

ゆきさんの写真と私の5年前と並べてみました。草が枯れただけの違いでしょうか?
弥勒さん
友の会報告NO.6に何時の間にか撮ったのでしょうか、私の後姿が写ってる(・_・;)。私が神社の階段で撮った写真も写ってますね。
もう10年も前になりますが、出羽国分寺に行きました。
薬師堂のみ確認できました・・・場所は、山形市内
駅の北東方向で周りは寺町になっています。
町名も薬師町で国分寺薬師堂が古くからあったことを偲ばせました。
Benji@充電中さん
出羽国分寺は、まだ行ったことないです。

礎石とか残っていたのでしょうか。
ゆき管理人さん

出羽国分寺は礎石等の確認はされていないようです。
薬師堂の北側は薬師公園として整備されていますが
薬師堂以外は国分寺の名残を残す物はりませんでした。
国分寺市の主催で開かれた武蔵国分寺金堂跡の発掘現場見学会に行ってきました。

金堂跡の礎石(柱を支える石)に関する説明が中心でした。

古代の瓦は現代のものに比べて重かったので、まず版築という方法で地面を突き固め、その上に更に根石という小さな石を敷き詰め、更にその上に礎石を置いていったようです。礎石は多摩川の河原から運んだのだろうということでした。柱1本建てるのも一苦労で、駆り出された農民は大変だったろうと思います。

金堂は8世紀中頃に創建された後、規模を拡大して9世紀後半に再建されたようです。再建された金堂は桁行7間(約36メートル)、梁行4間(約16メートル)の壮麗な建物だったそうです。

また、豊島郡を示す「豊」などの字が書かれた瓦も出土したとのことでした。瓦を作った郡の名を書いたのだろうという説明でした。
今後は史跡公園として整備されるとのことですが、史跡を分断している道路などの問題もあり、完成は平成40年頃までかかるそうです…。

バレッタさん
発掘現場見学会なんてそうありませんよね。

礎石の設置の基礎工事の説明なんて興味深い話ですね。

遺跡や併設の資料館に歴史説明があっても土木についてまで詳しく説明ないですね。
 念願かなって、この程武蔵国分寺跡に行って来ました。
 なるほど、僧寺は、金堂、講堂基壇のスケールが大きく、すばらしいです。
 しかし、なぜ回廊がないんでしょう…。当時の僧達は、回廊を巡って仏事をしており、回廊は必須の施設だったと聞きます。中門に取り付いている築地塀が回廊の代わりならば、鐘楼、経蔵、僧房が回廊内なのはなぜ?
 塔は塔院などもなく、堀のみ囲まれ、ただ建っていたんでしょうか?
 第2の塔跡の性格は?
 標準的な古代国分寺からすると、判然としない部分も多く、興味深い遺跡でした…。

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