ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

哲学が好きコミュの相対主義は自己論駁的か?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
別トピでこの問題に言及した人がいますので、意見を募集したいと思います。
表題の意味は、大体下に引用したようなことです。
言ってることは至極もtっともな感じですが、相対・絶対・真理などいろいろな問題を含んでいると思われます。
あと、このことが全体としてどんな意味をもっているのか、ということも検討に値すると思います。

ウィキ「相対主義」から引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

(以下引用)

相対主義への絶対主義的立場からの批判

相対主義について絶対主義的立場から非常に頻繁に持ち出される古典的な批判は、それが自己言及のパラドックスに陥るために、立場として矛盾を含んでいる、あるいは完全ではない、というものである。古くはプラトンが『テアイテトス』にて指摘した。
批判の概要は次のようなものである。相対主義は典型的には「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」というような主張を含んでいる。しかし「『いかなる命題も、絶対に正しいということはない』という主張自身は果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか」という点をめぐる矛盾が発生する。もしも相対主義が正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはなく、したがって「絶対に正しい命題」が存在するはずで、それは相対主義の基本的な主張と矛盾するため、相対主義は間違っているというものである。

コメント(183)

>>[143]

>「普遍の真理はない」と主張しても、それはその人の基準だ


ああ、なるほど〜。「普遍の真理はない」と主張しても、それはその人がそう言っているだけであって、「普遍の真理はある」と主張する人だっているのだから、ほらみろ、普遍の真理はやっぱり無いじゃないか
というわけですね。
「真理なんて無い。これこそ真理である」と言ったって、別の人は「ほら、あなたは真理があると、はからずも言っているのだ」と言ったりするのだから、やっぱり真理は無い。これこそ真理だ、
ということでしょうか。
>>[145]

このトピックの表題に即して言うなら、
「真理の相対主義こそ絶対的真理だ」というわけですね。
それとも、「真理の相対主義も実は絶対的真理というわけではなく、私にとっては絶対的真理だが、私の反対者にしたらそうではない。ということはまさに真理の相対主義は正しい。真理の相対主義を唱える者こそ絶対的真理を見出した者だ!」ということでしょうか。

ほら、絶対的真理って言ってるじゃん、とツッコまれたとしても。
>>[147]

こんなのはどうでしょう。

「真理なんて無い。真理だと主張するいかなる言説も実は相対的なものであって、絶対的な真理などどこを探したってありはしないのだ。
えっ? 『そういうあんたこそ自分の言う真理相対主義こそ真理だって言っているようなもんじゃないか』って?
いいや、違うね。
私は私の真理相対主義を絶対的真理だなんて思っちゃいない。そんなに真面目に受け取らないでくれ。私は真理を言った覚えなんかないのだ。
確かに真理なんて無いとは言ったよ。しかしそれが真理だなんて思っちゃいない。ただ、口をついて言っただけなんだから、『お前はそれが真理だと思っている』なんて、鬼の首でも取ったように言わないでくれ。
真理になんて関知しちゃいない。
言いたい時には何かを言う。それが俺の唯一の主義だ。」
>>[149]

>相対主義は絶対的真理ではない


だとすると、「相対主義は相対的真理に過ぎない」あるいは「相対主義は虚偽である」ということでしょうか。
>>[153]

僕はそもそも「真理はすべて相対的なものに過ぎず、時と場合次第で真理だったり虚偽だったりするものだ。絶対的真理をどこに探そうと、そんなものは決して見つからないのだ」という考えには与(くみ)できません。
>>[154]>>[155] ラピュタさん

仏教においては、相対的真理としての世俗諦と、絶対的真理としての勝義諦の二諦を明確に意識しており、
相対的真理しかないと思い込むことも、絶対的真理しかないと思い込むことも、ともに排すべき極端論とされていると思います。
ただ、相対的、絶対的というのをどのレベルで考えるかという問題もあるので、上記は大雑把に言ったことに過ぎません。
むろんこのトピで提起していることは、相対主義を宣揚する意図ではありません。
相対主義の帰結はニヒリズムですし。

ただ相対主義的であることは哲学上の問題として常にあるものではないでしょうか?
仏教でも「無記」や「筏の比喩」は一種の相対主義です。

対して「絶対」といえばそれはドグマと支配なのだから、相対主義をそれに対する闘争の武器とするのは理屈の立つことだと思います。
ソフィストなんかはそういう一面があったのではないでしょうか。
図解化するとなにかわかるんじゃないか
という立場から、相対主義ってどういったモノの見方なのかということが
一番わかりやすそうな図を。

一旦超越的視点を採用した結果超越的視点の消去をとる
という点で他の見方と異なっております。
消去、即ちなかったことにすることでありますが
人間にとって超越的視点はあくまでも人間自体の視点とはなり得ないため
消去が卑怯というほどでもなく、ある意味「第二のリアリズム」とも言えるのではと考えます(・×・)


入不二基義「ほんとうの本物」の問題としてのプロレス」(『現代思想臨時増刊号』第30巻第3号)p. 91
※ただこの図↓では絶対主義が描かれてませんので・・・※
※管理部です。


>>[167] くまのみπハイエルさん


謹慎処分対象者が書き込んでも、スルーして下さい。


管理に協力をお願いします。


以上です。
>>[170]


くまのみさんがすべきは、パンドラさんの謹慎処分解除を求めて運動することです。

それなら話は解りますが、管理部による決定を拒否する権限はメンバーにはなく、どうしても嫌なら、コミュニティを出ていけばいいだけですよ?



コミュニティ注意事項
コミュニティの趣旨やルールが、参加時とまったく異なるものに変えられてしまった
参加しているコミュニティの趣旨が参加当時のものと変わってしまったり、管理人が独自に設けているルールに対して納得がいかなくなった場合は、そのコミュニティから退会し、改めて別のコミュニティに参加したり、新たにコミュニティを作成することをお勧めします。
>>[162]

入不二基義という先生は私の尊敬する人です。
普通の人が諦めるところでさらに粘る忍耐強さに感心します。
『相対主義の極北』をあらためて読んでみたいと思います。現代思想のその記事も。
>>[176]


指示に従えないということは、了解しました。

では次回からは、管理防衛ならびに荒らし行為に対する燃料投下行為として、該当コメントを削除します。

協力をお願いします。
>>[175]
入不二さんて「相対主義の極北」のヒトでしたねえ(・×・)うっかり

相対主義を読み解くにあたり「相対主義の極北」読もうかどうかと過去吟味してた時期がございましたが
結構評判よろしいようで(・×・) ただ
相対主義とは絶対主義を反証できうる主義主張か
というよりは、相対主義を徹底するとどのような結末になるのか がメインっぽいですよね(・×・)

さて、また考えるか(・×・)←w
>>[175]

入不二さんのその著書を私も読ませていただいている所ですが、とても丁寧、精緻な考察と、それを支える言葉と論理のたくみな駆使がとても魅力的で、久しぶりに読みごたえのある著者に出会うことができたという印象です。
名前の挙がった著書の中で入不二さんはプラトンの『テアイテトス』におけるプロタゴラス批判を皮切りに、相対主義というものにとても丁寧かつ精緻な検討を加えていますね。
「真理なんて一人一人において相対的なものでしかなく、絶対的な真理なんて無い」と言ったなら、個人の思うところがそのままその人にとっては真理だと決定しかねないおそれがあるし、
また共同共通の真理はついに成り立ちえないものとして排斥されるおそれもある。
これを避けるために、個人ごとではなく「認識の枠組み、視点次第で真理は相対的で絶対的な真理など無い」と言い換えた時、個人の思い込みを乗り越えて認識を磨いたり、同じ認識枠組み、視点を持つコミュニティ内部では共同共通の真理とされるものが成り立つかもしれないが、認識枠組み・視点の多数性に応じて、やはり絶対的な真理はつかみえないのかという問題はある。

ログインすると、残り168件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

哲学が好き 更新情報

哲学が好きのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング