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社会言語学コミュの方言と性差について

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ふと思うのですが
私の対人関係のデータからいうと
「男性の方が女性より 方言を意識して抑制をかける」という印象があります
地方から引っ越してきた方々の会話を見ていると
男性でめちゃめちゃ方言を使っている人は
同郷同士での会話  大都市圏からの移住者 くらいですか
女性に関しては 気にしないで話している印象が強いのに
男性は 気にしている感じがします
地位や威厳に関わるからなのでしょうか?
皆様は どのような印象をお持ちですか?
人による と言われてしまえば成立しないので
ご配慮の程 お願い致します

コメント(14)

確かに人によるといってしまうともともこもないですねえ。
ということで、
すこしご質問の件とは違うかもしれませんが、
前にとある鉄鋼会社に務め、50台半ばで
これからつつましくすれば暮らせるだけのお金をためたので
引退して大学院に入ってきた知り合いから聞いたお話をしましょう。
それほどたいした話ではありませんが。

鉄鋼会社と輸入、輸出を取り扱う会社では
A社と取引するときには大阪弁が扱えるやつが起用され
B社では逆に嫌われるというような話です。
M商事にいて、関西出身の彼は、うまく東京と関西の方言を
使い分け、時々は失敗しながら渡り歩いたとの話でした。

連帯関係と権力関係いずれの場合にも方言の使い分けは様々なのかもしれません。

さてさて、それはともかく
関西のことばに関しては、気にせず使う人は男女ともにかなりいると思いますが他の方言話者の場合どうでしょうか?

まず、性差と方言ということでもう一つ考えるべきは場面でしょうか

同じ場面でどう話すかという形で見るとどうなるかということです。
差異は出るのでしょうか?とすればどのようなことが関連するのか、やっとここで分析の可能性が見えてくるような気がします。

また、自分の方言がその人たちにどう評価されていると思うか
によって、自己を抑制する力は違うと思います。
東京弁、東北弁、名古屋弁、関西弁、福岡弁、鹿児島弁などなど、場所や地域によっては相手の評価が気になって使いづらい場面があるように思います。

さてさて、私の個人的な印象はどうかというと
東京で見た限りでは関西弁、(存在すれば)横浜弁以外の方言は、公的な場では仲間同士でも一様に抑制されているように見えます。
こういう意味で酒場(または郷土料理が出るところなど)という場所は人間が一番開放されている場所(?)なので面白いと思うんですが、あまり観察したことがありません。観察されているかはいらっしゃいますか?

性差で思い出しましたが、ものの教科書には女性は子供にできるだけ権威のある言語を教えたがるという記述があったような気がしますが、この辺は反論できそうですか?

なんかつらつらと書いてしまいましたが結論はでてません。
お許しくださいませ
>サマンダバドラ 様
有難う御座います
企業単位で方言に是非を問うとは 知りませんで
また新たな視界が開けた気分です

>自分の方言がその人たちにどう評価されていると思うか
ここから見出してみましたが
女性の場合 自分のことをより深く知ってもらう事で
連帯感を生み 繋がりが深くなる ということから
方言で話した結果通じなかったとしても説明しあう事で
自分のことを知ってもらうためのプロセスと考える

男性の場合 伝える情報が明確で説得力がないと
受け入れてもらう事が難しいので 地位が低くなることから
方言で話した結果 通じない言葉が出てきたとしても
それは障害として捉えられるので 制御をし
自分の色が出せないとしても皆に通じる言葉を選ぶ

このように考えてみましたがいかがでしょう?
どうなんかな…?無理矢理かしら

サマンダ様の仰っていた子供に教える言葉について
母親というものは少し男性的にならないと成立しないようで
父親の担う責任感も 親心として発しているのではないですか?
言葉を教えるという作業は 
ほとんど生活を共にしている母親の役目な気がします。
男性的な 権威のある言語 を教えたがる というのも 
子供に未来を託す 責任感が そうさせているのかも
社会の厳しい現状を見越して 説得力のある筋の通った人を
作り上げたいと望む 心から来ていると思います
               独説です

御言葉頂き 嬉しい限りです
討論の余地はまだまだ あるようですね
こんにちは。
興味深く読ませていただきました。

私(女性)個人の経験になってしまいますが、自分の茨城弁とイントネーションがかなり似通った相手にしか自分の方言は出さない(出ていない)ようです。
ただ、過去に仕事の関係で福島の固定取引先に電話するときなどは茨城のイントネーションになっていたと思います。

私は方言やイントネーションの件について、個人的な語学能力、聴き取りと再生の能力によるのかなと思ってました。対話相手の「音」にどれだけ影響を受けるかというのは、方言をどれだけ維持するかと関わってくるかなと。
アメリカで社会言語学を取ったのですが、それによるとここでの観察と逆でした。

日本語に限らず、往々にして、男性は方言に、女性は標準語に近い言葉を使う傾向があるようです(あくまで傾向でして、絶対的法則ではありません)。
これは標準語のほうが、社会的威信が高く、女性は男性より丁寧な言い方を求められるためという多くの研究とも合致します。標準語の方が「洗練」されて聞こえるから、女としてはそちらの方がいいということでしょうか。

反対に、男性にとっては、「粗野」「洗練していない」と聞こえる方言の方が、逆に威信があるということ。男性にとっては「丁寧」「洗練」よりも「男らしさ」をアピールできる方言が自分にもプラスということでしょうか。(もちろん、「」内の感じ方は私の主観ではありません)

日本語の研究でも確か男性の方が方言保持の度合いが高いというようなことだった気がします。

それにしても、メディアでも「共通語」なんかよりいろんな地域の方言をもっと出してもらって、東京在住者も方言聞き取り能力が育つようになったらいいなと思います。
方言話者だけがバイリンガルなんて、ズルイ!^^;
藤原紀香も関西弁のほうが素敵でした。
>こむを 様
有難う御座います
同じような話し方をされている人に対し
つい出ちゃった というような感覚は 聴き取りと再生に
関わってくると思います
こむを様は 性差は関係無く 個人的な要素にのみ委ねられると
いう考えであるという解釈でよろしいでしょうか

自分の土地方言 と 現在居住地の土地方言 と 共通語
この3つで 話し方を分けているとしたら
対話相手がどちらをも使用する方で無い場合に際し
どういう話し方になるのでしょう
対話相手の「音」に影響を受けるとすれば 
相手方の雰囲気に沿っての話し方になるのか
それはなかなか難しいかもしれません

よろしければ今度は 性差にも結びつけて 
考えてみていただけないでしょうか

ご意見大変感謝しております
ご検討の程 信頼の基に お願い致します
>れい 様
有難う御座います
確かに 島の方たちであったり
自分の方言がそのネットワークの中において美徳となっている
そのような地域に 生まれ育った環境において
(つまり地元方言の性比較の場合)
顕著に仰られたような性差は見られると思います
(このように考える理由は年代別比較・階級比較などその地域に密着した研究結果を基に定義が考えられたものだからです)

私が考えるのは引っ越してきた人たちの方言伝達の性差において
です
例えば大学入学に際しあらゆる地方からたくさんの人が
住居を移します
皆 次第に その土地方言調に言語変化を遂げるとは思います
その中で 地方出身者の男性と女性における地元方言の使用頻度は
女性の方が 多いという印象なんです

この側面からは 研究結果はございますでしょうか

専門としている方がいらっしゃって 大変心強い
お言葉を是非宜しくお願い致します
 
方言研究は専門ではなく、あくまでアメリカのある大学で学んだ時に学んだことという条件つきでお読みください^^:

あやぽんさんの着目点はおもしろいと思います。今、教科書類を引っ張り出してざっと見たところでは(他の様々なテーマと同様)、結論らしきものは見当たりませんでした。いい研究テーマになるのではないでしょうか(google scholarで検索してみてはいかがでしょう?)。なにしろ、これまでのところは、「女性のほうが標準語に近い言葉を話す」「女性の方が社会での顕在的威信のある言語を話す」という結果が出た研究が多いようですから、反例になるかもしれません。

ところで、私の関心事はジェンダーのほうです。最近のアメリカの研究動向として、特に「性差は作られるもの」という構築主義やポスト構造主義の枠組みから、性差を本質主義的二分法で捉えたこれまでの研究の限界が指摘されています(日本ではこの分野の研究は非常に少ない!)。

従来の性差の研究におけるその「性差」は、生物学的な性なのか社会的性なのかといった区別もしていませんでしたし、生物学的性を言語とじかに結びつけることはできないという理解です。

考えてみれば当たり前で、社会言語学の基本「誰がいつどこでどんな人と何のために何を話すかによって言語は異なる」というこれも一つの例ですね。性差という変数だけを取り出して数値化することは不可能なのですから、結局「科学的な」結論は出ないのかもしれません。

あやぽんさんの仮説は、男性・女性の言語の差を生物学的性差というよりは、文化の差と捉えている「文化差モデル」のようですね。

ちなみに、女性は母親として子供を教育するという役割からも標準語を選択して使うという説もありました。

また、コードスイッチングの研究に見るように、ある時に同じ人が同じ人と話している場合でも、何かがきっかけになって方言へとスイッチすることがあると思うので、あやぽんさんの仮説のように、相手のどんな音に反応するのかというミクロ分析の方法もありなのではないかと思います。

まだまだたくさん研究されていないことはありますね。
初めまして。YUKKYと申します。
とっても楽しく読ませていただきました。

私は今シドニーに在住しています。
こちらの大学で言語学を学び、その後大学院で日本語教師の資格を取りました。
今は日本語教師をしていませんが、とっても言語学が好きです。特にバイリンガルリズムとかsecond language acquistionにとっても興味があります。
このコミュニティーに参加させていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

本題に戻りますが、私の体験ですが、シドニーは男性のほうが女性よりも方言を使わないように抑制しているように思う。
しかし、これはまた、その男性が職業で何をしているのか、どこにいるのか、誰と話しているかによって変わってくる。
特に男性が営業とかお偉いさんとかの立場、地位にいる場合、もちろん、その傾向は強い。
が、お酒の席ではもちろん、方言をばりばり使っている。特に、この国は方言の国ともいえるぐらたくさん方言もあるし、発音も同じ国にいても同じ単語でも多少違ってくるのは実証済み。
私もサマンダバドラさんに同感です。

女性の場合、あまり方言を抑制する傾向にはないようです。もちろん、時の場にもよりますが、比較的丁寧語を使う傾向にあるのであまり方言を抑制するといったかんじではないのではないでしょか??

ただ、英語の場合、アメリカ英語、イギリス英語、カナダ英語、ニュージー英語、オージー英語、アイルランド英語とかって英語でも場所によっては同じで英語でも、え??これ英語??って思うほど違うので、方言よりもその人の英語でどこ出身かっていうほうがもっと気になったりもします。
ちょっと話それて申し訳ないんですけど。。。
>れい 様
申し訳ありません 遅くなりまして

ありがとうございます、
私はジェンダーの知識としては薄学なので難しいですが
基本的に男女の差による言葉の相違は 
社会的なもので位置付けるほうが明確なのではないでしょうか
結果女性の地位が低いのが決定的なダメージですが
そのようにわざと振る舞い 隙を見ていい所取り
女性の上手いテクニックですし 精神的思考が優れているからこその賛美を賜わえうる
がために 見せ掛けの低姿勢を通している とも考えられますから
(その辺は 憶測してもしなくても関係ありませんが)
未だに存在していると言う事は 残そうという意識があるから
かもしれませんので

社会言語研究には要らぬ概念ですが個人的には
一個人単位でもいろいろな性格を使い分けている
また言葉を交える相手方の自己内におけるポジショニング
そして 環境・年齢・体調・心境
全てを把握して声帯を発揮できる
そんな方いませんし
どこが基本で どこからが例外なのか という面からも
面白くもあり 定義に無理をきたすこともありますね
私の方言の語らいも こじつけに聞こえる方 いますでしょうね

それでも 研究結果に納得できるところに社会言語学の深さがありますよね   そして実生活ととことん密接ですし
自分が弱っている際に 助けられた事も しばしばです 

>yukky様
自分実は来年の4月からパースに語学留学をと考えております
お時間ありましたら是非 一度お会いしたい

そうそう!すっごく分かります
そしてオージーは本当に わかりづらい
タスマニアでホームステイしていた時
RPニュースできいて日本語を聞くようにほっとした経験があります

男性の意識の中に 無意識のうちに表れるその緊張感と切り替えを
女性は 自分色を消さないで上手く表現できる能力を保持しているのでしょうか
どうしても女性を持ち上げてしまいます

yukky様 ありがとうございます
こんにちは。はじめまして。
カナダの大学のESL advanced コースで、gender and languages を少しやりまして、面白いなぁ と思っていました。
このトピックの内容も非常におもしろいです。
また、同じように、言語のことに対して、いろいろ論じている方がいることを思うと、嬉しいです。

まず初めに、gender というときには、英語では、「社会的な性差」を強く意味します。生物学的な場合には、やはり、「sex」を用います。
まぁ、これは、みなさん、もう「社会的な性差」で話を進めてらっしゃるので、ただの確認の程度ですけども。汗

やはり、言語といえども、社会・文化の産物だと思っているので、社会と共に変化し、そのコミュニティによって、いろいろ差があると思います。
性差においても、日本社会の方が欧米社会よりも、男女差がある とよく言われたりするように、国や社会によって、男女の性差があると、また変わってきますよね。

さて、あやぽんさんの方言に対する性差ですが、
みなさんの意見が興味深く、印象が強すぎて、あまりたいしたことはいえないのですが、個人的な意見としては、あやぽんさんに少し同意です。

私の個人的な説はこうです。

女性の方が、男性より、より感情表現が豊かであり、コミュニケーションを重視することから、言語を操る能力に長けている。
従って、男性と同じ条件下で、標準語を喋ろうと思えば、男性より勝って、れいさんの言うように「女性の方が標準語使用度が高く」なるのかもしれませんが、元来、感情的であるので、感情移入した会話になると、自然と「方言」が出る。

とこんな感じです。

実際、普段の会話では、女性は、個人の体験や感情を重視した会話が多いと思います。そうなると、やはり、方言というのは自分の育った言葉ですので、そのほうが自分の感情などはしっくり表現できることの方が多くなると思います。
男性の場合は、日本社会においては、あまり感情を表現しないように育てられてきている面があるのではないでしょうか。
たとえば、「男だったら泣くな」と言われたりします。これは、自分の弱い感情面を隠さなければいけない という社会的なノルマがあることを意味していると思います。従って、表面としては、感情をさらけだすことはまず難しいのかもしれません。

が、yukky さんのお酒の席では方言を使う というのは面白いです。お酒の効果で、少し開放的になっているからでしょう。男性も、お酒をはさんだ会話になると、驚くほどに、強い方言で喋っていることは確かに多いです。(私の友人もその傾向があります。)日本の文化として、会社帰りに飲む というのは、会社という公の場で、封じられていた感情をさらけ出す一つの方法 という感じがあります。従って、言語も感情と共にさらけ出す方法として、一緒に出てくるのではないでしょうか。
 
またサマンダバドラさんの言うように、方言によっては、社会的にあまりよくない印象を持っているものがありますので、それらに対する批評を恐れていることも大いにあるでしょう。失礼を承知で言いますが、東北や九州の方言は、どうしても「田舎」というイメージが付きまといがちで、私の多くのその地方の友達は、彼らの故郷の言葉を使いたがろうとしませんでした。また、あまりに言葉が違いすぎて、会話にならないことを恐れているようでもありました。あの、吉幾三の「おら東京さ出るだ」の歌詞の内容も、かなり田舎のイメージを植えつけさせる印象となっているだけに、言語の持つイメージというものもありますね。

その点、なぜ、関西人は一向に方言を改めない傾向が強いのか といいますと、私自身が関西出身なのでちょっと代弁してみますが、それは、関西の文化からです。特に大阪の文化は、「かっこつける」ことは逆に「かっこ悪い」ことというか、気取っているようにみなされ、あまりいい印象ではありません。いいところも悪いところもありのまま全部さらけ出すのがいい とされている文化ですので、言語に対してもそのままの図々しさで標準語を押し切ってしまうところがあるようです。しかし、あまり方言すぎると通じないことも承知はしているので、言葉自体は普遍に通じる言葉を使っているものの、イントネーションだけは、一向に直そうとしないのは、そのせいだと思います。関西人に限っては、よっぽど、この図々しい関西の文化が嫌だという思っている人意外は、「うっかり」ではなくて、わざと包み隠さず堂々と喋っています。

引っ越してきた場合、となりますと、
引っ越した地域が、どれだけ言語的に自分の故郷と似ているか という点も大きく左右する気もします。
たとえば、四国から関西に引っ越してきた場合は、差が比較的少ないので、女性はかまわず方言を使っていることは確かに多いですね。(私の実家のご近所さんがそうです。)女性は、コミュニケーションをする際に、言葉を字面で理解するのではなくて、その言葉の意としているところ、つまり、感情などに重きを置いているように思うので、小さなところは、気にならないのでしょう。
男性はというと、字面から入るところが伺えなくもありません。もう少し、機械的に言葉を処理しようとしているというか、言葉の定義などにこだわったりしているところによく出くわしたりします。なので、方言が出てくると処理しにくいし、自分達だけわかる言葉の「あ うん」の雰囲気もなくなってしまうので、共通として理解・定義できる範囲として、無難に標準語を使ったりしているのではないでしょうか。
もし、あまりに言語的に差の開きが大きいところでも、女性が積極的に方言を話しているのであれば、この論は成り立ちませんが。その場合、女性は、とりあえず、その地域に認められようと自分をアピールすることから始めている とか?こうなると、よくわかりません。すいません。どんどんケース・バイ・ケースになっていくような気が。


ああ、やっぱり長くなってしまいました。すいません。
また、そういう研究をされている方の意見が伺えると一段と面白くなりそうですね!
久しぶりの書き込みを見つけうれしくなりました。

方言と性差は結局、まついさんのおっしゃるようにケースバイケースだと思います。あるデータを解釈する上で、「誰がどのコミュニティーに属しどういう背景を持った相手とどんな関係を持ち、何を目的にどのように離したいか云々」といったあらゆる変数を考慮してこそ説明ができるのだろうと思います。

性差につながりうる様々な要因についての皆様の仮説はとても興味深いと思います。どれも納得できる説明ですし、どれもそれを裏付けるデータを収集できるのではという気がします。そして、その説明が有効なのは限られたデータに基づいてのことでしかなく、「普遍的な法則」というべきものはないのかもしれません。

社会的性差と生物学的性差の件をまついさんが念を押してくださいました。ここでのお話では、どなたも生物学的な性差があるとはおっしゃっていませんが、(いまどき信じられないことに!)日本人の国語および言語学者の中には、男女の言葉の違いを生物学的性差から説明する人が実際にいるのです。それも一人ではなく。。。 

性差と方言および言語について、文化や社会を背景にした説明があたりまえになっているここでのお話にほっとしていました。

とりとめもなく失礼しました。
その言語が、その地域でa language for a dominant populationだったら、使うんじゃないですか。関西弁とか、その地域のアイデンティティの強い人たちのような。
3つのケースを挙げます。自分の職歴になりますが。

1つ目は、東北地方企業。私のほか数人、現地でない出身の人がいましたが、現地の人は現地方言、私たちは標準語でした。

2つ目は、関西の企業。ここでも関西でない少数新人は標準語でしたが、勤続の長い、私の同郷の上司は関西弁になってました。

3つ目。私の地元企業。ほとんどが現地人なのに、会社ではイントネーションまで標準語でした。ただトップは地元の人ではないです。

会社内を見るに性差はなかったですが、会社などに勤める人は方言抑制するのかもしれません。
男女差は、就業率の差にもよるのではと。

年齢差もあるかも。3つ目の、地元語を話す少数人は、年齢が比較的高いでしたし、自分も最近標準語出せなくなりました。

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