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カール・マルクスコミュの革マル派に対する警察権力の殺人襲撃の証拠(左翼運動の歴史、12−A)。

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革マル派に対する警察権力の殺人襲撃の証拠(左翼運動の歴史、12−A)。

以上のように、国家権力者は、革マル派を「放置しておけば革命が成功」する可能性が高いという危機的情況を、いかに、乗り切ったのか。弾圧による乗り切りを主張していた田中角栄の子分=後藤田正晴が掌握していた公安警察は、革マル派系労働者、学生に対する謀略殺人という手段に訴えた。
 

 1970年代、80年代には、78名もの革マル派系労働者、学生、市民が虐殺され、数多くの者が、半身不随になり、頭脳を破壊されて正常な思考能力を失なった。青年労働者を中心とするランク・ランド・ファイルの組合員の反幹部闘争が高揚していた全逓東京地本は、「第二の動労」となることが予測されていたが、謀略殺人、謀略襲撃によって、革マル派の力は微弱なまま推移した。国労、全電通、日教組、自治労など、他の官公労における勢力拡大も壁に直面した。
 

 日本帝国主義は、革マル派系活動家に対する、残虐な謀略殺人によって延命することが可能となったと言っても過言ではなかろう。
 

 しかし、日本の警察は、これらの殺人のすべてが、革マル派と対立する極左集団(中核派、解放派)による犯行だと発表している。それに対して、革マル派は、殺人襲撃の一部が極左集団によるものと認めつつも、その多くは、国家権力の謀略部隊の凶行だとしている。
 

 まず、我々は、国家権力者が、放置しておけば革マル派による革命が「成功」する可能性が高いと考えていたことを想起すべきである。権力者には、革マル派系活動家を大量に虐殺、または、廃人にする動機が有ったのである。


 「極左集団」と言っても、そのメンバーの多くは学生である。殺人に関しては素人である。自衛隊の基地内部等で殺人の訓練を重ねたプロフェッショナルなテロリストである国家権力の謀略部隊との違いは一目瞭然である。襲撃を受けた革マル派系活動家が、中核派、解放派によるものか、国家権力の謀略部隊によるものかを識別できるのは当然である。しかし、第三者が、本当に、国家権力の謀略か否かを判断するためには、当初、革マル派が公表する情報は不充分なものでしかなかった。国家権力が放った職業的テロリスト集団であることを示す多くの特徴を、革マル派が挙げても、それが事実であるという客観的証拠は充分であるとは言いがたかった。革マル派が、謀略であることの根拠として挙げていることでも、それらは、革マル派の調査隊が調べたことであり、敵対する勢力が虚偽だと言った場合、第三者には、どちらの主張が真実なのか判断しえないことも少なくなかった。


 しかし、謀略であることが明白な事件が起った。1974年12月16日、マサカリ等の武器を持った襲撃部隊は、革マル派系活動家が住む東京都内3ヶ所を同時襲撃した。しかし、墨田区のマンションでは、全学連戦士は、襲撃者の一人を打ち倒した。このテロリストは、パトカーによって板橋区にある都立豊島病院に運ばれて入院した。この襲撃は、中核派が追認した。しかし、彼の同志であるはずの中核派のメンバーは、誰一人、一度も、現われず、警護には、刑事達が当っていた。革マル派活動家が現われると刑事はピストルを抜いて威嚇した。


 警察は、この男を、殺人未遂・凶器準備集合罪で逮捕したと発表した。しかし、12月25日、警察は、この襲撃者を退院させ、どこかへ運び去った。そして、この男の所在、正体は、不明となり、闇に葬り去られてしまった。殺人未遂等で逮捕された犯人が、警察の手によって隠匿されたのである。


 この犯人が、中核派のメンバーではなく、国家権力の謀略部隊の隊員だったからこそ、警察が、このような行動をとったとしか考えられない。犯人の身元が判明すれば、国家権力による謀略だということが明らかになるからである。

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