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カール・マルクスコミュの共産主義政党において東大など一流大学出身者が、高校卒の労働者を支配する事が許されるのか(左翼運動の歴史、7)。

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共産主義政党において東大など一流大学出身者が、高校卒の労働者を支配する事が許されるのか(左翼運動の歴史、7)。

レーニンは、労働者は「金が欲しい」「楽がしたい」という要求しか持たない、労働者の組織である労働組合は「賃金闘争」「労働時間短縮闘争」しかやらず、労働者は革命を実行しようとしないと述べた。

そこで、レーニンは職業革命家(労働をせずに革命運動だけを職業としている革命のプロ)の集団である前衛党は、労働者の外部から、革命思想を労働者に注入しなければならないという「外部注入論」を唱えた。

レーニンを批判して、革マル派は、前衛党は、自分が革命を実行する使命を有していることを自覚した「労働者の党」であるべきだとしている。

それに対して、日共(日本共産党)は、レーニンの「外部注入論」を墨守している。

また、日共の幹部のほとんどが、東大など一流大学出身者であり、労働者は下っ端の党員として、選挙運動に、こき使われているだけである。

労働者党員が、東大卒の幹部を批判すれば「規律違反」として除名されるだけである。

日共の組織は、最小の単位が「地区委員会」、その上に神奈川県なら「神奈川県委員会」、全国の組織を支配する「中央委員会」となっている。

このように、日共の組織は地域別に出来ていて、他の地域の党員と連絡を取ることは禁止されている。

中央委員会の命令は絶対であり、すべての党員は服従しなければならない。


1963年、革共同(日本革命的共産主義者同盟)は、分裂した。

その一番、大きな理由は、党組織を、日共のように、地域別組織にするのか、産業別組織を重視する党にするかにあった。

革共同政治局多数派は、日共と同じ、地域別組織にすべきだと主張した。

それに対して政治局少数派(黒田寛一、松崎明、森茂ら)は、産別委員会(産業別組織)の重要性を力説した。

国鉄委員会、全逓委員会(郵政労働者の組織)などの産業別の党組織が出来ると、国鉄や郵便局の高校卒の党員が、産業別に団結して、一流大学出身の最高幹部に反逆する事を政治局多数派は恐れたのである。

政治局多数派は、高校卒の労働者は、自分達、一流大学出身者に服従すべきだと考えた。

革共同は「帝国主義打倒!スターリン主義打倒!」(反帝反スタ)のスローガンを掲げていた。

「高校卒の労働者は、東大、京大、早稲田大学出身の職業革命家に服従しろ」ということでは、スターリン主義者=日本共産党と同じではないか。

政治局少数派は、このように考えた。

東大、京大、早稲田卒の「官僚」が、高校卒の労働者を、独裁的、官僚主義的に支配すべきだとしたのが政治局多数派の清水(東大卒)、北小路(京大卒)、本多(早稲田卒)であった。

政治局少数派は、日共のような官僚独裁の党ではなく、労働者が主人公になれる共産主義政党でなければならないと考えた。

そして、そのためには、産別委員会(産業別組織)が不可欠だとした。

政治局多数派は、少数派と、まともに議論しようとせず、少数派の意見を官僚主義的に圧殺しようとした。

そこで、少数派は腐敗した組織から分裂し、革共同革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派を結成したのである。

政治局多数派の組織は中核派と呼ばれるようになった。

最後に革マル派の議長・黒田寛一、副議長・松崎明のプロフィールを紹介しておこう。

黒田寛一は、東京都府中市の黒田外科の息子、父親の外科医は、市の助役を務めた名士であった。少年時代の黒田は、サッカーが大好きな元気な少年で、現在の東大教養学部である旧制高校に入学したが、皮膚結核という病魔に襲われ、高校を中退した。

そして、視力が衰え全盲となった。哲学者になろうとしていた黒田にとって「めくら」になることは、死ぬことより苦しい事であった。

黒田は、その「死の苦しみ」を乗り越えた。

黒田は、他人に本を朗読してもらって、学習を進め、東大教授よりも、はるかに優れた理論を身につけた。

そいて、ハンガリー革命をソ連軍が弾圧したこと、日本共産党が弾圧を全面的に支持した事に怒りを感じ、革命運動に身を投じた。

松崎明は、川越工業高校卒の田端機関区の機関助士であり、動労(国鉄動力車労働組合)の全国青年部長であった。

高校卒でしかない松崎を中核派の東大、京大、早稲田出身の幹部は馬鹿にしていた。

しかし、松崎明は、国鉄の中でも、最も優秀で意志強固な者である機関士、運転士の集団である動労の青年部長だった。

動労青年部員は、次々と、革マル派に加盟したり、革マル派の支持者になった。

青年部員が30才を超え「親組合の役員」になることによって、革マル派は動労全体の執行部を掌握した。

このようにして、日本最強の労働組合が、革マル派の指導下に入り、JR東労組を中心とするJR総連が、日本最強の労働組合となっている

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