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クリスチャンへの疑問質問!コミュの遠愁さんの、遠愁さんによる、遠愁さんのための、E氏を表テーマとした質問トピ

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旧題「イリア・エレオス氏という巨大な知性の塊を考究するトピ」

《管理人より》名指しで挙げられたご本人のご意向により、ご本人の名前がそのままトピックには挙げてほしくないとのことと、トピ名の変更希望とのことで、内容から、上記の題といたします。

 削除すべき、という声も上がっていますが、これまでも(こちらの管理以前及び移行期に)これと同様な事例はあったものの、そのときは、テーマとなった方からの依頼が無いこともあり、そのまま、皆様の「良心と自由」とにお任せしておりました。

が、もしも、もっと管理しろ、ということでしたら、申し訳ありませんが、こちらも時間に限りがあるため、可能な範囲で、かつ、これまではマタイ13:24-30に基づいた対応としていたのを、箴言22:10での対応に変更させていただきます(多分)。

悪しからず、ご了承ください。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽三角(左)

(以下、遠愁氏によるトピ文面です)
イリア・エレオス氏。

良くも悪くも抜群に目立ちまくっている不滅の存在感を放つmixi界きっての人気者です。

私自身、イリア氏とのやり取りの中で、これまで実に多くの事を学ばせていただきました。

イリア氏の内なる世界に存する、おびただしい質と量の広範囲にわたる膨大な知識群。

イリア氏の思索の営みたるや、まことに深くて拡いものがあります。

私のように、イリア氏との関わりの中で、有形無形の恩恵を受けたmixiユーザーは数多くおられることでしょう。

そんな皆様方に、イリア氏にまつわる「とっておきの、ここだけのエピソード」や、イリア氏にたいする忌憚のない意見ないし感想などがあれば、ぜひとも披露していただきたいと思います。

ただしイリア氏の人間性を誹謗中傷するような書き込みは厳に慎んでください。

あくまでこのトピックの目的は「イリア・エレオス氏という知の巨人を考究するために掲げられた」主旨に基づくものですから、イリア氏の人間性を茶化したり愚弄するような言動は一切認めるわけにはいきません。

コメント(456)

ロシア側動画に自作自演の跡 SNSで拡散、フェイクか

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFH231ER0T20C22A2000000/
ウクライナ侵攻の裏で陰謀論が怪しく渦巻く理由
火のない所に立てた煙を巡り争う人々を生む構図
https://toyokeizai.net/articles/-/582572

ウクライナ危機以降、「別の世界」を生きるようになった人々が増えている。

どうやら「その世界」では、プーチン大統領はネオナチの暴力と支配からウクライナの人々を解放する英雄であり、ブチャをはじめとする民間人の虐殺はウクライナの自作自演であり、アメリカはウクライナと致死性の生物兵器・化学兵器を開発しているという……。

ロシアのディスインフォメーション(故意に流される虚偽の情報)がじわじわと効いている証拠だ。個人が持つ世界観や思想信条を補強するために使われている場合が多く、日本でも海外と同様、反コロナワクチン運動の人々に訴求している。

戦争を虚構と主張するデマも
また、「どっちもどっち論」を正当化する格好の材料になっている面がある。驚くべきことではあるが、ウクライナ侵攻そのものがVFX(視覚効果)やクライシスアクター(被害者を演じる役者)によって作り込まれた虚構であり、西側のマスメディアがこれに加担しているという荒唐無稽なデマすらも、一部では真実の物語として受け止められている。

BBCは3月初めの段階で、「戦争はでっちあげだ、メディアの捏造(ねつぞう)だ」というメッセージとともに拡散された動画を検証し、警鐘を鳴らしていた。

荒廃した街中で若い男女が血糊を顔に塗っている動画が、「クライシスアクター」の姿を捉えたものとして複数のソーシャルメディアで数百万回も再生されていたのだが、それは2020年にウクライナのテレビドラマ「コンタミン」の制作セットで撮影されたものと判明した。

大勢の人々が広場に集まって、映画監督から逃げたり叫んだりするよう指示されている動画が、同じくソーシャルメディアで大量にシェアされていた。これは英バーミンガムのヴィクトリア広場でロケを行った英仏合作のSF映画『2020 世界終焉の日』(原題Invasion Planet Earth)の撮影風景であることがわかった(【解説】 ウクライナ侵攻は「でっちあげ」というネットの偽情報/2022年3月8日/BBC)。今もなお、戦争の信憑性を問う画像などの投稿は後を絶たない。
首都キーウ近郊のブチャでの虐殺についても、自作自演説が出回った。ロシア政府が遺体は露軍撤退後置かれたものと主張し、「遺体が動いた」などとする動画も併せて拡散されたからだ。

米紙ニューヨーク・タイムズは、宇宙技術会社マクサー・テクノロジーズの衛星写真と動画を分析し、ブチャの民間人殺害がロシア軍撤退前に行われていたと伝えた(Satellite images show bodies lay in Bucha for weeks, despite Russian claims./2022年4月4日/The New York Times)。英調査報道ウェブサイト「ベリングキャット」も、「動く死体の神話」について「フロントガラスを移動する水滴」「反射のゆがみ」で簡単に説明できると一蹴した(Russia’s Bucha “Facts” Versus the Evidence/2022年4月4日/bellingcat)。

その後もさまざまな機関が検証を進めているが総じてロシア側の主張を否定しており、遂に国際刑事裁判所(ICC)が戦争犯罪の容疑で捜査を開始した。しかし、ロシアのディスインフォメーションにどっぷりと浸かってしまった人々は、「西側の情報だから信用できない」の一点ばりで「虐殺はフェイクだ」と息巻いている。

とりわけマスコミと名が付くものを一律に軽蔑し、敵視してきた「マスゴミ論」者の一部が取り込まれており、コロナ禍でワクチン陰謀論などにハマった人々も網に掛かった。さらに、世界中で起こるすべての戦争や紛争、クーデター、内戦などにアメリカ政府の工作が関わっていると考える反米イデオロギーの持ち主や、国際金融資本が新世界秩序を築こうとしているとみる反グローバリストが焚き付けられ、アシスト要員として見事に動員されている。

争点のないところに争点を作り出すロシア
ロシア側の意図は、子どもだましの陰謀論を広げること以上に「争点のないところに争点を作り出すこと」だ。公式見解からソーシャルメディアまでを駆使して争点を作り出すことができれば論点ずらしとして機能する。一般の人々への波及効果を踏まえればそれで十分だ。

国際政治学者のP・W・シンガーと米外交問題評議会客員研究員のエマーソン・T・ブルッキングは、かつてマレーシア航空17便撃墜事件でロシア側は最低でも6つの説を創作したと述べ、「この集中砲火の狙いは、疑念を植え付けること――相反する説が入り乱れるなか、どれが最も『正しい』のか、迷わせること――だった」と強調した「(『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』小林由香利訳、NHK出版)。
ファクトチェックによる疲労で真相究明の動機づけを減退させることを狙った「認知の消耗戦」ともいえる。アゾフ大隊をめぐるネオナチ論争が典型だが、論点をずらせばずらすほど「主権国家が主権国家を一方的に侵略した」という重大な事実を遠ざける方向に作用する。前述のようにブチャの虐殺でもこれが繰り返された。

イラク戦争などアメリカの過去の汚点を持ち出して「どっちもどっち論」を展開したり、「アメリカがウクライナを利用してロシアを侵略している」という代理戦争図式で語りたい人々、もっと言えばアメリカをロシア以上の悪玉として批判の対象にしたい人々にとって、膨大なディスインフォメーションは自らの世界観や思想信条を満たしてくれる甘言と化す可能性が高い。例えば、アメリカがウクライナと化学兵器を開発しているというデマは、アメリカこそが本物の悪者だと信じている認知を整合化してくれるからだ。

陰謀家は信じがたいほど有能
陰謀論研究家のロブ・ブラザートンは、政治史家のリチャード・ホーフスタッターが記述した陰謀論支持者のスタイル「敵は、歴史のメカニズムを決定し、実際につくり、あるいは歴史の通常の流れを歪めようとする」「決定的な出来事は歴史の流れの一部ではなく、誰かの意思の結果だと受けとめられる」を引用し、「陰謀家は信じがたいほど有能だ」と指摘する。

陰謀論どおりの世界では、物事はずっと単純に思える。(歴史家の)ダニエル・パイプスが言うように、陰謀論者は「敵の能力を驚くほど信頼して」いるようだ。少なくとも、彼らは、陰謀家が出来事を引き起こすとき、一見するどい洞察力で物事がどのように展開するかを予測できると提示している。陰謀家は、陰謀に完璧に従い、1つのチームとして進んで協力する。自分個人の野心、罪の意識、家族、趣味を持つ人間の集まりというよりは、ほとんど1つの生命体であるかのように。
もっとも極端な場合、陰謀家は事実上全能者であると述べる。(『賢い人ほど騙される 心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべて』中村千波訳、ダイヤモンド社)
カトリック信徒の方々に質問。

ご自分の信仰と、一部のカトリック聖職者が犯した、未成年者に対する性的虐待事件との間に「精神的な軋轢ないし葛藤」のようなものはありましたでしょうか?

とにかく被害の規模が甚大で、全世界的な広がりを見せた一大スキャンダルでした。

この事件が明るみになったことで、カトリック教会の権威と信頼は地の底まで落ちましたが、それでも依然として現在も教団の面目は保たれているようです。

どうか心あるカトリック信徒の方々の本音を聞かせてください。
>>[422]
精神的な軋轢や葛藤などない。
なぜならカトリックはあくまで神を信仰しているわけであって、聖職者を信仰するような属人的な組織ではないから。
それに一部の人間が不祥事を起こしたからといって組織全体を否定するような人間など所詮単なる視野の狭いお子様に過ぎん。。
例えば日本の政治家や官僚が不祥事や犯罪を起こしたからといって、あなたは自分が日本人であることを恥ずかしいと思ったり、日本の権威や威信は地に堕ちたなどと思ったりするのか。
知の巨人、すなわち、
イエスキリスト
みたいな

よくわからない人、、
反発か、。保留か。でしか?


知の巨人?
>>[422]

私のカトリックとしての信仰と、一部の聖職者のあほんだらな行為に「精神的な軋轢ないし葛藤」は、ありません。「しょせん、人間だな」と呆れはしますが。

カトリックは、初代教皇とするペトロにイエスが「教会を導け」と命じたときから、代々、その命令を受け継いで、それが現教皇まで続いてきたと信じています。教皇はその下位の聖職者を任命し、その聖職者がそのまた下位の聖職者を任命するんだったかな。とにかく、イエスの命令を聖職者が受け継いできているはずなので、聖職者である神父を敬います。一般信徒と聖職者の大きな違いのひとつが、これです。

ですから、聖職者はイエスにならって清く正しい行いをするべく努める義務があります。それでも、イエスは人でありながらも神、聖職者はただの人間。初代教皇ペトロが、「こいつ、十字架のイエスの仲間じゃないか ?」と一般人に詰問されたときに「知らない」と裏切ったように、イエスの直弟子ですら、弱いのです。

ましてや、直弟子でない現代の聖職者は、心では「イエスの教えを守ろう」と誓っていても、やっぱり人間、誘惑に負けてしまいます。

もちろん、「人間だから、しかたない」とは言いません。してはならないことに手を染めた聖職者には厳罰が下されるのが道理だと思っています。

身内の不祥事を隠したくなる心理も、人間。ですから、カトリック教会は不祥事を隠し続けて、問題がこんなに大きくなるまで隠して、根本的な治療が遅れました。

被害者の救済、当該聖職者の処罰、再発防止策など、きちんと取り組んでほしいと願います。
心あるカトリック信徒、の方々の本音、
建前はダメなのか?
なぜだ?

なぜ?

身内の不祥事、負傷時、サマリア人、ユダヤ人、
よきユダヤ人、わるきユダヤ人、
?律法的に、アウト?せーふ?

教皇になったら、知らされて、ショック、とか、
二人だけの秘密、とんでもない、言うに言えない問題、

思ってても言うなよ、
めんどくせーなー、

本音は、すぐ来ます、

本音、書けない、書ける?
あなたは?
>>[423]

率直なコメント有り難うございます。

「それに一部の人間が不祥事を起こしたからといって組織全体を否定するような人間など所詮単なる視野の狭いお子様に過ぎん。。」

犬神博士は被害を受けた当事者ではないから、たとえカトリック教会の聖職者がこのような不祥事を起こした事が明るみになっても、引き続き信徒としてミサに出席し続けることに、さしたる抵抗は感じないのかもしれないが、当の被害を受けた本人とその家族はカトリックに対する生理的嫌悪感に蝕まれてしまい、組織との関係を断つ方向へと傾斜していくのはやむを得ないのかもしれない。

ただしだ、自分のような部外者が感じるのは、しょせん聖職者もただの人間であるならば、教会も単なる箱物、である所に“聖なる何を”見出し得るのかという事だ。

唯一、神だけが聖なる存在で、それ以外の人や物は単なる付属品でしかないのだとしたら、なおさら組織に従属し続ける意味など殊更無いとすら言える。

「例えば日本の政治家や官僚が不祥事や犯罪を起こしたからといって、あなたは自分が日本人であることを恥ずかしいと思ったり、日本の権威や威信は地に堕ちたなどと思ったりするのか。」

では聞くが、今の日本人で「日本の政治家や官僚を尊敬してます」と答える人の割合がどれほどいるだろう?

ほとんどいないのではないか。

それほどまでに日本の政治家と官僚の名声は地に堕ちていると言っても過言ではない。

腐敗にまみれた政治家や官僚と、片や自分が日本人であることに誇りを持つことは、また別次元の話だ。

結局のところ、問題の根っ子にあるのは、数々の性的虐待事件を引き起こしてしまった聖職者個人の資質と、わけても、どうしてそのような性癖を持つ人間が聖職者を志願するに至ったのか、その辺りの精神的な経緯と根本的な動機を詳らかにしていく作業を丹念に行なう必要があるという事だろう。


>>[427]
>ただしだ、自分のような部外者が感じるのは、しょせん聖職者もただの人間であるならば、教会も単なる箱物、である所に“聖なる何を”見出し得るのかという事だ。

これは違う。
カトリックの司祭は使徒継承性というものを受け継いでおり、しかもミサを挙行できるのも司祭だけ。
極端な話、司祭はミサを行うための道具のようなものだからその人間性などどうでもよい。
では聞くが?
イリア氏は巨大な知性の塊なのか、?
知の巨人を考究するとは、ひぼうちゅうしょう?ではないのか?
クリスチャンへの疑問質問なのか?
>>[425]

率直なコメント有り難うございます。

もしも私がカトリックなら、このような事件が明るみになった時点で教会に通うのをやめます。

根っ子から腐敗した組織に留まる理由など、どこにも見出せません。

どこまでも自己の真実に忠実であろうと願うなら、それに反する嗜好を内包する教団など「もはや預かり知らぬも同然」と切り捨てます。

しかし、それでもなお「教会にブラ下がっていたい」と思う人は「神と個人の関係」を確立するだけの勇気に欠けてるのだと感じます。

今回の性的虐待事件に関与してない大多数の聖職者の方々は大変な迷惑を被ったであろうと想像します。

世間から「おまえらにもそのケがあるんじゃねえの?」と疑いの目で見られるのは避けられないから。

ただ不思議なのは、どうしてこんなにも膨大な人数に及ぶ聖職者が加害者の側に立ってしまったのか?

カトリック聖職志願者に限って、小児性愛者がこぞって集まるような、何か特殊な事情でもあるのか?

併せて、カトリック聖職者は生涯独身である事を義務付けられていますが、その裏で自慰行為に及んでいては意味がないと思います。

建前だけ「自分は清らかな人間であり、嘘のない生活を送っている」と装っておいて、その実、心の中でいやらしい妄想を日夜膨らましているようでは、それこそ偽善者の誹りを受けても致し方ないでしょう。

だから、これは私からの提案ですが、聖職者は罪を犯さないためにも、ひとり残らず去勢すべきだと思います。

それくらいの覚悟と実践の裏付けがあって、はじめて聖職者と名乗るべきではないでしょうか。

私がクリスチャンなら、?
離れても戻る、かも?
セカンドチャンス、ハンターチャンス?
どーでもいい牧師なら、そのまま、神父なら、、?
知らんけど。
基本?
ななのななじゅうばい許しなさい。?。
すぐに離れるってどーなの?
クリスチャンとして。?
聖書理解できてなくなくない?
>>[430]

カトリックは、納得できるキリスト教を初めて私に示してくれた教会なので、今のところ離れるつもりはありません。教会を介さない神と私とのつながりは、子どものころの日曜学校で確立されています。カトリック的には、教会が仲立ちするのが正解ではありますが。教会経由より、直接話す方がいいもん。

性的虐待のニュースで、その他多勢の聖職者にも偏見の目が向けられるようになったでしょうね。迷惑でしょうが、身内の不祥事を防げなかった、そしてときには隠蔽した聖職者たちにも連帯責任があると言えます。

聖職者になって貞潔の誓いを立てても、性欲は人間の三大欲求のひとつ。たやすくおさまらないもの。簡単におさまるなら、産んで殖えて地に満ちることができません。自己処理も禁止されていると耳にしたことがあります。運動したり冷たいシャワーを浴びたりして紛らわすそうですけれど、紛れるのかしら。食欲に匹敵する欲求を満たせなくて、小児性愛に走るのでしょうか。

カトリックのミサで司祭たちのお手伝いをする子どもを「侍者」と呼びます。ときどき女の子が交じることもあるものの、女性聖職者を禁じているカトリックですから、原則は男の子なのでしょう。女の子を相手にすると貞潔の誓いを破るから男の子...? 旧約聖書にある、神罰で滅んだソドムには同性愛者が多かったとか。誓いを破るよりはソドムに堕ちるのかなあ。その辺の心理がわかりません。

おっしゃるとおり、表の顔がどれだけ善良でも、本当の顔は性欲ムンムンなのは、聖職者にあってはならないことですが、何しろ本能。理性で抑えに抑えるのなら、ギリギリ許容してもいいかなと個人的には思います。ただし、行動に移したら即アウト。かばう人も同罪。

聖職者は去勢をとのこと。ここからは推測ですが、本能に抗うのも聖職者に与えられた試練のひとつかもしれません。去勢して性欲がわかなければ貞潔の誓いは楽に守れますが、容易に守れる誓いではいけないと考えているのかも。単なる推測です。

けれど、子どもに性的虐待を加えている聖職者がもっともっと明るみに出たら、いや、もう現時点で、バチカンはそれも含めた抜本的な対策を講じないと。
>>[432]

違う、逆。
小児愛者や同性愛者が司祭になるんだよ。

良く考えてみ?
カトリックの司祭ってのは、生涯不犯だ。
それを、自分を罪人と認識してる筈なのに誓える人間というのは、どういう人間か、つーことだ。

昔のイタリアなんかでは、司祭が同性愛者の隠れ蓑(昔はソドミー規定で、同性愛は下手したら刑法に触れた)というのが公然の秘密だった。

解決するには司祭の独身制をなくすしかない。
今でこそ緩和されてるが、
昔の修道院なんかは私語禁止。
隣の同僚にお願いする時も、必ず上長に連絡して、上長から件の同僚に指示がなされた。

で、やることは祈祷と労働。
普段使わない難解なラテン語で聖句を覚え(詩篇全てをラテン語で暗誦できなければ恥とされた)、
「真昼の病魔」と呼ばれた抑うつ症状や倦怠感、メランコリーに悩まされながら、
リビドーも食欲も睡眠欲も抑えてひたすら労働だ。
ビッグモーターやワタミじゃあるまいし。
また、物質的なリターンは建前上無い。財産は建前上共有だ。

そんな生活を、一年、二年ならまだしも、死ぬまで守り続けますと誓える人間の心理や性向はどうか、つーこと。

ルターみたいに修道士になる気がなかった人間や、
あるいは貴族の庶子が食い扶持もないので入れられたりとか、
または軽犯罪者の更生、つまり罰代わりとして入れられたりするならともかく、
自ら残りの数十年ずっとそんな生活が可能です、と神に誓える人間がどう言う人間だったか、を考えないといけない。

司祭(そしてその供給源の一つたる修道士の)独身制を解除しない限り、
カトリック教会の構造的問題として、永遠に付き纏う問題。
カトリックの修道女には、イエスに抱かれたという幻影を主張した女性もいる。
妖怪みたいな悪魔の姿を見たり手のひらに乗せたりした「体験」を語った修道活動者もいる。
仏教でいう「魔境」の類、現代風に言うなら意識の変成を体験した修道活動者は珍しく無い。
普通の異性愛者がそこに生涯閉じ込められたら発狂に似た振る舞いをしてもおかしくない。

だが、やまほど同性、あるいは自分の「権威」に無邪気に従ってくれるガキ共がいる環境を、
苦にしない性向の持ち主は、今も昔もいるわけだ。

そーゆー人たちの中の、倫理から逸脱してしまった連中にとっては、
「聖職者なのに」
ではなく、
「聖職者だから」
彼らの望む通りの環境を手に入れた形になったのさ。
逆にルター派などの牧師は結婚を推奨される。

…まあ、これも単純な話ではなくて、
牧師夫人として、教会の女性陣の切り盛りを期待されるからだが、
まあ、これはこれで大変だ。
今では女性牧師は当たり前になったし、アメリカ福音ルーテルでは、公然と同性愛者が牧師となっていて、
カトリックの司祭独身制が抱える構造的な問題そのものは喪失してる。

ただし、牧師の不倫問題、つー、うんざりする話もある。
まあ、聖路加病院みたいなセクハラ問題もあるが。
所詮人間は皆罪人だ…
エレオス氏を表テーマ、遠州氏を裏天皇、テーマ、?
遠愁さんは、ナニがでかい?
何が?
小さい?
声?
聖食者、教職者、、?
職、、?
ニートではない、らしい、?
>>[436]

なるほど、発想の転換ですか。

昔は修道院はブラック企業そのまんまだった。そこに好んで入る人が何をリターンに求めるか。ふーむ。

ある神父によると、カトリックの聖職者が結婚禁止な理由は、結婚するとどうしても家庭の維持が優先されて、教会の運営や修道生活がその下に位置付けられるからだそうです。まあ、独身のころは自分のことだけでよかったけれども、結婚したら相手のことを考えなきゃですから、神父が話した理由には納得できました。

ただし、よほどの高潔な信仰とストイックさがなければ、人間としての欲を抑えるのはすごく大変だろうと想像がつきます。抑えきれなかった人たちが、そっちに走ると。そして、もともとそっちの嗜好がある人にとっては、修道生活はそれほど苦でもないと。

話はそれますが、昨今の LGBTQ+ 運動ではないけれど、同性愛が罪って聖書にあるのがいまひとつ納得いきません。同性愛は、意図的にそうしたの人は別として、そういう脳の構造だと聞きます。母親のお腹にいたときに浴びる何かのホルモンの量だったかが足りないと、そうなるとか。昔に読んだ説ですから、今はもう古いのかもしれませんが。

てことは、神がその人を同性愛者として創造したのです。また、聖書には人間を男と女に創ったとありますが、両性具有の人は罪なのでしょうか。神が両性具有としてその人を創ったのに。PL 法にひっかかりませんか ?

一夫一妻制で不倫するのは...よろしくないです。これは弁護しません。結婚するときに「この人が最後の恋人です」って誓ったのに。結婚して相手の DV やらハラスメントやらが発覚したときには別問題。離婚してから改めて恋愛しましょう。
>>[438]

それも話が逆でな。
旧約聖書で同性愛者や男性の女装、女性の男装が禁じられたのは、
古代イスラエルの近隣にそれを是とする集団がいたわけよ。

具体的にはバアル神殿の神殿娼婦と男娼。男色文化も盛んだったそうな。

だから同性愛者や男色を肯定すると文化に呑まれて民族色やアイデンティティ喪失の危機に陥るので主張された。

新約聖書もそう。
パウロが説いた時代のヘレニズムも男色文化が広まり、むしろ自由人の嗜み扱いだった。
何せ、男性同性愛者が男性を強姦しても、何の刑罰も処せられなかったぐらいだ(強姦された方が何故か罰せられた)。

そんななかで同性愛を肯定しヘレニズム文化に染まれば、いくらヘレニストとは言え宗教的アイデンティティを喪失しかねない。

だから禁止を説いた。

今はクリスチャンが男色に走ろうが女装しようがキリスト教徒としてのアイデンティティの危機には遭遇しない。
だから寛容になったわけ。
パウロが「女性はヴェールで髪を覆え(怒る)」つーのも、話がやはり逆で、
古代オリエント(特にアッシリア)では、「娼婦は通りを歩く時はヴェールで髪や顔を覆ってはならない」とされていた。
ヴェールというのは自由人女性の象徴だったわけよ。

そもそも古代オリエントでは、男性が自分の女奴隷に売春させて、売上のほとんどを懐に入れるとか、
そーゆー事が平気で行われていた。
ヴェールはそーゆー性的放埒から無縁である、つー象徴だったわけね。

こーゆーのは時代と文化の産物だから、
現代になってみれば逆に男尊女卑の文言に見えてしまう。
まあパウロも別にフェミニストではないにしても、男尊女卑の権化みたいに思われるのは、少し気の毒な話。
キリスト教、つーのはヘレニズム文化の中に残っていた、古代オリエントルーツのユダヤ教から派生した宗教なのを忘れてはいけない。

マルコ伝で、イエスが自分の唾液で盲目者を癒す、つーエピソードがあるが、
あれ、ニネヴェで発掘された銘板にあったみたいに、「(神殿)娼婦の唾液で目の病が治る」つー話からの文化的継受だからね。

当時の神殿娼婦はまさに神聖な職業で、
アフロディーテ神殿には1000人もの神殿娼婦がいたと言うし、
古代ローマの身分の高い貴族の娘は、率先して神殿娼婦になったりした。

こうした娼婦から神聖性を剥奪して、「卑しい」職業と見做す様にしたのはキリスト教だが、
早い話、同じく女性の宗教だったキリスト教にとって、そーゆーのは競合する商売敵だったわけよ。
聖書とゆーのは、そーゆー、当時の時代や文化、制度、風潮の中で書かれてるから、
何も知らないノンクリ日本人が「虚心坦懐に」テキストだけ読んで分かった気になると酷い事になる。

福音書に、通りから結婚式の参列者を呼び込んで、「礼服を着てない(怒)」と憤る譬え話があるが、
そのまま読んだら理不尽極まりない譬え話に見える。

だが、当時の結婚式は、参列者の礼服は招待した側が用意する習慣があった、つー話を知っていたら、
譬え話は、「結婚式の招待に応じたのに主催者側が用意した礼服を敢えて着なかった(愚弄した)人間」に対する憤りの話になるわけで、
普通に当時の人間にとっては分かり易い話なわけ。

まあ、こーゆーのをちゃんと知りたければ日曜日に教会へ行って来い、つー話になってしまうが、
いやはや、知らずにテキストだけで浅はかな理解をして偏見を募らせる人間の多い事、多いこと。

昔のカトリック教会が信徒にヴルガタを読ませなかった気持ちも分からないではない。
面倒くさかったんだろうなあ。
>>[434]
まあ昔の修道院は半分精神病院みたいな所だったからw
>>[441]

なるほど。ユダヤ人がほかの文化との差別化を図った結果が、聖書にまとめられているのですか。パウロの「妻は夫に従え」の文が家父長制っぽいとは思いますが、それも差別化のひとつなのかしら。

旧約聖書の逸話やイエスの奇蹟がほかの土地の伝説に似ているって話は聞きます。イエスの盲者の癒やしも、そうだとは。知りませんでした。

神殿娼婦が神聖な職業扱いされたのは、神話の中の神々が性的にとてもおおらかだったから、そういう文化になったのでしょう。いや、そういう文化だから、そういう神話が生まれたのか。キリスト教は、そこに対して差別化したのかな。

とても勉強になりました。ありがとうございます。
改めてイリア・エレオス氏の膨大なまでの知識量に脱帽。

儂がこの先100年生きたとしても、イリア氏の底知れぬ知識群に匹敵するだけの知性を身に付けられる自信など到底ない。
>>[428]

「カトリックの司祭は使徒継承性というものを受け継いでおり、しかもミサを挙行できるのも司祭だけ。」

このような秘蹟があることは知らなかった。

だが、その「使徒継承性」というものと、一般の信徒に、どのような関係があるの?

「使徒継承性」という権威?がなければミサを執り行うにあたって困ることってある訳かな?
>>[432]

「自己処理も禁止されていると耳にしたことがあります。運動したり冷たいシャワーを浴びたりして紛らわすそうですけれど、紛れるのかしら。」

自分の経験に照らし合わせて語らせてもらうと、その程度の行為をしたところで性欲は収まりません。

それと

「ここからは推測ですが、本能に抗うのも聖職者に与えられた試練のひとつかもしれません。去勢して性欲がわかなければ貞潔の誓いは楽に守れますが、容易に守れる誓いではいけないと考えているのかも。」

それって、無駄な試練でしかないのでは?

「本能に抗う」という行為自体、著しく人間の本性に反する行為であり、あたかも「排泄するな」と言ってるのと同じことだと思います。

「けれど、子どもに性的虐待を加えている聖職者がもっともっと明るみに出たら、いや、もう現時点で、バチカンはそれも含めた抜本的な対策を講じないと。」

いや、もうすでに手遅れですよ。

世界中の聖職者が性的虐待事件に加担した人数は何万人規模ですから。

しかも既に時効が成立した事件も含まれるので、その場合、聖職者が裁かれることはありません。

だから私はこの際だから「思い切った改革」を主張しているのです。
>>[434]

儂だったら、そんな施設は1日で逃げ出す。

だって何の楽しみもないじゃないか。

「リビドーも食欲も睡眠欲も抑えてひたすら労働だ。」

まさしく人間の三大欲求を抑圧して、ひたすら働けだと?

では修道院における唯一の楽しみは、やはり同性愛行為だったのかな?

イリア先生の回答をお待ちしてます♪
>>[446]
司祭は神学校を出て司教の按手を受けることによって使徒ペトロから受け継いだといわれる使徒継承性という今風に言えば一種の資格やスキルを手にすることができます。
カトリックでは使徒継承性がない者はミサを始め告解などの秘跡を行なうことができません。
だから我々カトリック信者は司祭の人格ではなくその権能に敬意を払っていると解釈してもらえればいい。
無論人格も高潔で学識もあればそれに越したことはないが、そういうのは司祭にとってあくまで十分条件であって必要条件ではない。
>>[448]

運動や冷水浴で性欲を発散できるのなら、フィンランドのアスリートには子どもがいない理屈になりますな。フィンランド人はアツアツのサウナで限界まで体を温めたら、冬は外の雪にダイブするそうですから。性欲は消えるはず。

お釈迦さまも体験した、苦行。体の欲求をことごとく無視する修行ですから、そういう試練を乗り越えることで、自らの魂を磨けると信じているのかも。はたしてそれが現代の科学から見て妥当なものかどうかはともかく。

バチカンはガチガチの保守ですから、改革までいったい何世紀かかるやら。とほほ。
>>[450]
別に改革する必要などない。
第2次ヴァチカン公会議でさえ未だに批判している信者や司祭が大勢いるのにこれ以上リベラル化を進めたらカトリック教会は大分裂を引き起こすだろう。
そんな施設だったら、、?
受け入れ拒否、?
しない?
する?
どんな人でも?
逃れの町?
みたいな?
>>[451]

改革した結果、第 2 ヴァチカン公会議まで行われていたトリエント・ミサが復活するかもしれません。リベラル化せずに解決を図ろうとするかも。

末端信徒の私は、ただ眺めるのみ。
>>[449]

現代においては聖者と位置づけられている聖フランチェスコの存命時における地位は一介の修道士だったのですか?

それとカトリックにおける神父と修道士の地位の違いが部外者にはもうひとつ分からない。

カトリックという組織は教皇を頂点とする厳然としたヒエラルキーに基づく構造をなしているのでしょうか?
>>[454]
まず自分でネットなどで調べてください。
その上でわからないことがあれば質問を受けつけます。

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