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クリスチャンへの疑問質問!コミュの進化論と創造論

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ノン・クリスチャンからクリスチャンの方へ質問です。

私も含め、一般社会では進化論が普通だと思っているのですが、

クリスチャンの方達は創造論が普通だと認識されているみたいですが、本当にそうなのでしょうか?

創造論によると、たしか6千年ほど前に地球(もしくは宇宙?)ができ、アダムとイブが〜

・・・という流れなのですが、ご見解をお聞かせください。

大陸移動説や地動説は進化論なのですが、

創造論では天動説が常識だと解釈されているのでしょうか?

また、前にテレビで恐竜が聖書に載っていないところについて、

クリスチャンが解説していたところがあったのですが、その件もご解説頂ければ幸いです。

コメント(286)

> 247 イヌワシさん

なんていうのか、カミサマが決めた、もう済んじゃった、
確定した正解が厳然とあるんだろうけど
人間のほうにそれがはっきりわからないので
それぞれ好き勝手いう余地があるものは、
皆「論」なんですよ。

創造論、終末論、救済論、キリスト論、天使論、
教会論、聖書論、評判悪い予定論、などなど。

ていうか、神学なんて全部「論」。


ところで・・・トピ主さんは「論」をお求めのようだ・・・
そもそも創造科学の背景にはナチスのユダヤ人大量虐殺があるような気がする。
人類は進化するが故に悪い遺伝子を駆逐してアーリヤ人の遺伝子を残そうと・・・
それと戦った連合軍の特にアメリカが強く反発した。
そんな優生学の元になる進化論など否定してしまえ!
学校で教えるのもイカンと言うリベラルな政治家がわめき散らした。
なにせ将来は大統領候補になろうかと言う人物。
これが何故か保守陣営に受け継がれ創造科学なる。
それに裏付けを与えたのが保守的な神学者達。
なおキリスト教徒には精神と肉体の明確な区別を持っていない人が居る。
それゆえキリスト教が精神の宗教であり進化論が肉体の科学であることが理解できない人が居る。
そもそも聖書の宗教は精神と肉体をあまり分離して考えなかった。

この違いは以外と大きい。
例えば写真などを見て憶えた顔を見て「この人を知っている」とはあまり考えない。
つまり頭で知ることは知る部類に入らない。
知ると言うことは身をもって知る・・・体で覚える事。
だから知ると言うことは相手が妊娠するほど知り抜かなければ知ったことにならない。

さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み「わたしは主によって男の子を得た」と言った
  創世記4章1節
#254、#255

ギリシャ語の「愛」に agape, philia (この二つは聖書にある)、storge, eros (後者二つは聖書にない)の区別があるけど、ヘブライ語では ahavah でみんな ひっくるめて表現。

同じように、ギリシャ語の 「知る」 gnosko (経験的に知る、人格的に交わりがある), oida(頭で知覚している、情報として知っている)を、ヘブライ語では yada' で、ふたつとも ひっくるめて表現。

しのぶさんの言いたいのは、ギリシャ語のほうには、新約聖書的な霊肉(pneuma/sarx)の区別があること、ヘブライ語的な「知る」は霊肉どちらをも包含した広い意味だということなのでしょう。

ちなみに、霊的な「理解・悟り」という意味のヘブライ語 binah から派生した hitbonen という動詞は、肉的に「(女を情欲をもって)見つめる・眺め回す」という文脈で使われます(ヨブ記31:1)。

「妊娠させるほどに」というのは、まー、誇張でしょうけれども、「キリストを知ることによる」信じる者とキリストとの間に神秘的な一体感があることについて、ヨハネ第一の手紙の最後の部分が、oida と ginosko の両方を使い分けて、興味深い表現がされています。

(ヨハネ第一5:20)
神の御子が来られて、真実な方を知る【ginoskomen < ginosko 】理解力【dianoian】を与えてくださったことを、わたしたちは知っています【oidamen < oida 】.そして、わたしたちは真実な方の中に、すなわち御子イエス・キリストの中にいるのです。これが真の神、また永遠の命です。

そういう神秘的な合一・一体化が、夫婦の合一に例えられているという意味で、しのぶさんは、カインの誕生の際の、エヴァの言葉を例に出されたのでしょう。

「主を知る」のにも、二種類あると思います。

一つは、情報として、イスラエルの神YHWHを聞いて、知っている。
もう一つは、十の災いを通して、YHWHの威力を、「思い知る」。

この、二つ目の「知る」は、妊娠とは関係ないですが、経験的な、人格的な、具体性のある「知る」です。

同じような対比が、ヨシュア記のラハブの口からも洩れています。
ヨシュア2章9節以降、ラハブはイスラエル人の神のことを情報として「聞いた」のですが、それが自分に関係することであると信じた時に、イスラエル人の神の約束が実現することを「知っている」と表現しました。
知識や情報でなく、自分に関係のあること・人格的な交わりのあること、信仰や信頼に関することは、夫婦の交わりと同様に、「知る」と表現するのが、ヘブライ的な発想なのでしょう。

2:9 「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。
2:10あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。

長々と、トピずれ、失礼いたしました。。。。。。
しのぶさん  そもそも聖書の宗教は精神と肉体をあまり分離して考えなかった。

それが、ヘブライ語の「心(levav)を尽くし、魂(nefesh=霊と肉)を尽くし、力(me'od)を尽くし、あなたの神YHWHを愛しなさい」というのが、まさにそれですよね。申命記6:5

これが、マタイ22:37では、ギリシャ語の 心(kardia)  魂(psyche=霊と肉) 思い (dianoia)になります。

すみません、またまた、トピずれですね。。。。。
HK. Jさん
ありがとうございますm(__)m
語学が苦手なもので・・・感覚的に分かっていても上手く説明が困難な部分でした。
指摘したかったのは肉体の化石になる部分だけを特化して科学するのを理解できない精神風土です。
霊肉分離できない人間は進化論になじむはずがないと・・・・
だから進化論は誤りでなければならない。
そんな思いが反進化論の根底にあるような気がします。
創造科学とは反進化論の科学化だと考えます(失敗しているけど)
HK.J.氏の解説は保守信仰文脈ですよ、しのぶさん。

プシュケーを霊肉と解釈している点で
しのぶ氏文脈の「精神」「肉体」の切り分けができてない立場と
言えます。対して
カトリックのヨハネ・パウロ二世は
「人間の魂(プシュケー)は、神が創造された」とおっしゃっています。

勿論、ヨハネ・パウロ二世の「魂」が、HK.J.氏と同じ「魂」の場合も
ありえます。
この場合の「魂」は単なる物理的な「肉」ではなく
「霊肉の統合体としてのいのちそのもの」という深遠なる意味となります。
これに更に保守原理主義神学をトッピングすれば(以下略)
メインラインの文化では
進化論VS創造説と、創造論とはすいわず「説」ということになっているのだが
(進化論は理論(セオリー)だが創造説は神話だという文化)
それはともかくとして
創造科学ではなくてトピに沿って創造論の考察に戻すのはどうであろうか

類的創造が聖書に書かれている
それほど変な話なのであろうか
> 262 次郎さん
> メインラインの文化では
> 進化論VS創造説と、創造論とはすいわず「説」ということになっているのだが
> (進化論は理論(セオリー)だが創造説は神話だという文化)

なんか見方がずれてる。

「創造論」ってのは元来
「創造でかみさまはいったい何のためにナニがしたかったんだろう」っていう神学。
進化論は科学のカテゴリのなかにあるときの慣用的な言い方で
神学としての創造論のなかに投入すると、
神の行った方法論仮説としての進化説になる。
そもそも創造論(神学)においては実際?やったことより
神の意志の方が重要なのでそんなこたどうでもいいんだが。

科学としての創造論は100年以上前に進化論に敗退し、お話にならない。
科学としての進化論と神学としての創造論は喧嘩にならないし
なにしろその中に進化説が混じっていて足を引っ張る。

となると、ふっかけてるつもりらしいいざこざの状況記述は
ご紹介のようにしかならないわけだ。


なるほどね
神学としての創造論ね

たとえばバルト神学を持ちだせば
創造は「神の愛だ」とか「恵み」などの論旨となるわけね。

「科学としての進化論と神学としての創造論は喧嘩にならない」のではなくて
メインラインの文化では神学が科学に敗北して以来、
ふたつを切り分け争いを避ける生活の知恵を身につけ
保守派の一部にはもう一度統合したいという人たちがいるということ
なのでしょうね。
なぜ統合したい人たちがいるのかというと
敬虔な人たちからすると
「科学に神学が敗北したことを認める」ことは
突き詰めてしまえば
(つまり詭弁やごまかしを一切排せば)
「神の創造」の否定、「神の否定」とつながることを危惧されている
ということなのでしょうね。

そしてこの危惧が、あっちゃんさんなどを傷つける
こういう構図か なるほど。
次郎さん

お久しぶりです。
別に傷ついてはいませんからご安心を・・・
このトピでは別の意味で対話していく困難さを感じました。
同じ言葉を使っているのに違う意味というか
そういうまどろっこしさを感じていました。
だからあれ以上やっていると泥沼化するなと

僕のような進化論支持クリスチャンの存在を否定しない、
尊重してくださっているということが確認できた段階で
撤退してしまいました。

僕の名前が出たのでちょっとまた顔を出してしまいました。

次郎さん
トピズレですよ。
メインラインの文化を論じるトピではありません。
私は創造科学の位置関係を明らかにしたかっただけ。
トピ主さんにはどなたが保守派なのかはどうでも良い話し。
問題は創造科学と進化論なのです。
神学が科学に敗北したかどうかは、このトピではどうでも良い問題ではないですか?
#261 #265

はーい。そのとおり、自分は保守派だと思いますので、ご注意ください。
自分の頭で考えるのが面倒くさいので、聖書を文字通り解釈したがる陣営の人間だと思います、自分のことを。

宇宙の生成とか、エントロピーの法則とか、そういうことを聞くと、新天新地だろうと、栄光のからだだろうと、科学的には「永遠」なんてあり得ないって考え出して、そうすると自分の信仰が侵犯された気がするのですね。で、思考停止に陥る。
HK. Jさん
トピ主さんは保守的な人の話も聞きたいと思っていると思いますよ(^^)
トピずれというのであれば、それはしのぶさんですよ。
トピック冒頭をご確認ください。
「創造科学」ではなく、「創造論」です。

また、しのぶさん陣営の方々の傾向として
反対陣営に対する側の発言に対して「トピずれ」と攻撃されるが
自陣営がトピずれしても批判されるの見たことはないです。
公平性に欠ける点はともかかくとして
本来、「聖句」も「トピずれ」も他人様を攻撃するするものとして
使用するのはどうでありましょうか
一度、自問されてください。

あっちゃん様
傷ついているからこその「こだわり」のように私には見えます。
但し、これが失礼な発言であることをお詫びします。

ここは質問者の疑問質問に誠意をもって答えるコミュで
質問者の不勉強を不問に付してその脳内設定にしたがったり
妄想につきあったりする義務を負ったところではない。

前提や論理展開がおかしいので質問も想定事例も提案も全部が荒唐無稽、
と突っぱねることがもっともふさわしいなら、そうするだけ。
結果、相手が論点整理してきたら、キャッチボールは続く。
もっともボールは、相手の立ってるところでなく
相手が本来立っていなきゃいけないはずのところに投げるけどね。


一回答者が常に正しいとは限らないという単純なことと
一回答者の設定した土俵が必ずしも公平とは言えないとう基本を
忘れるとロム者が「キリスト者って上から目線だな」と
感じることは避けられないですね
今回の件で私が感じたのは
内心、神学が科学に負けたと思っているのだが、
そのことをプライドが邪魔して絶対に認められない。
神学と科学は別の次元の事柄だよという文化があるのに
この文化に馴染んだ振りをしているが
実際のところこれが言い訳となっているということなのか

だから神学と科学を再統合しようとする文化に対しては
必要以上にムキになってしまう
かくしてmixiで以下略
次郎さん
トピ主さんは>239で「これについて創造論/創造科学を支持されている方にとっては如何お考えでしょうか? 」とおたずねなんですよ。
私はだから保守的な方の発言が必要だと考えた。
このトピでは神学が科学に負けたかどうかは問題ではない。
まして文化の問題ですらない。
> 272 次郎さん
> 一回答者が常に正しいとは限らないという単純なことと
> 一回答者の設定した土俵が必ずしも公平とは言えないとう基本を
> 忘れるとロム者が「キリスト者って上から目線だな」と
> 感じることは避けられないですね

たしかにその基本を最初から考慮しない、
ほとんど常にみっともない回答者は想定できる。

ただし、上記の「一回答者」を「一質問者」に換えて、
その一質問者が(変換済みの)基本を忘れている
トンデモ突撃事例のほうが、起こりやすい。
(バカヤロー人口比が同じなら、単純に99倍)。









イヌワシさん

どこが爆弾なのかよくわかりませんが・・・

この佐々木氏の話の中で明らかにおかしな文章があります。

>「進化論」の根底は、「無神論」です。

違います。違うというか不正確です。

「進化論」を含めてすべての自然科学は「神の存在を前提としない」という意味での「無神論」なのです。

もし自然科学の分野で「神」という概念を取り入れたらもうそれは少なくとも自然科学ではなくなるわけです。つまり後半の部分は自分の主張は科学的なものではないということを自ら認めているわけです。つまり佐々木氏は「進化論」を科学的に批判する資格を自ら放棄したと判断します。


イヌワシさん

いつ宗旨変えされたのかと思ってしまいました。
はて?
このトピ進化論が正しいかどうか議論するトピでしたっけ?
私の立場は正しくても正しくなくてもどっちでも良いのですよ。
ただ進化論は科学の伝統の中で普通に受け入れられている学説だ。
それゆえトピ主さんも普通だと言っている。
問題は・・・それと違う見解を知りたいのさ(^^)
聖書に記載されている創造は進化論と違っているからね。
だから私は科学と違った認識があるのを指摘した。
それをHK. Jさんが解説してくださった。
認識の違いから展開するのがトピの趣旨みたいな気がするから。
保守派創造論の立場に立つ側の 発想と主張を、私なりにまとめてみようと思います:

(1)<前提>聖書の記述は自然界の規則と観察事実と一致しているはずだという信仰。

(2)<前提>創世記やヨブ記などの自然界の事象への叙述は科学と矛盾しないはずだという信仰。
※ ここには、「神は北を虚空に傾ける、地を何もない上に掛ける」(=「神は北極を23.5度 太陽に対して傾けて置き、地球を何もない宇宙空間に配置した」と解釈)ヨブ記26:7などから、聖書のなかでは地球の状態が現代科学と同様に「正しく描写されている」という主張も含みます。無神論の立場からは、単なる時代錯誤と認定されることでしょう。

ヨブ26:7
noteh ha-tsafon al-tohu, toleh erets al beli-mah
<直訳> inclining the-north upon-formless, hanging earth upon without-what
【注】tohu は、創世記1:2の「地は荒漠としていた」の、we-ha-arets haytah tohu wa-vohu のtohu と同じ語です。

(3)<前提>創世記の最初の数章は、歴史であって、神話ではないという信仰。
※ ここには、創世記は、イスラエル人という民族の起源を説く神話ではなく、人類全体の起源を説明する歴史であるはずだという信仰が含まれている。したがって、「その類(ヘブライ語: min)にしたがって」神が万物を創造したという記述を、進化論の「種(species)」の意味で解釈し、創造論者の頭の中では、「種の起源」は神である思い込みがある。

(4)<前提>アダム・エヴァから、ノアの時代の大洪水、バベルの塔の事件くらいまで、創世記の記述には、どこまでが、イスラエルの民族創世神話で、どこからが、歴史的な事実なのか、切れ目なく続いている、【だから】「すべてが歴史事実であるに違いない」という信仰。


。。。。ということで、創造論の根拠は、聖書の逐語霊感説と連動していて、聖書以外のものを傍証にすることができないものです。
HK. J.さん
ありがとうございましたm(__)m

>聖書以外のものを傍証にすることができないものです。

故に世間一般の「普通の考え」は傍証にはならない。
あくまで聖書の世界観の次元。

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