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クリスチャンへの疑問質問!コミュの雑談、意見交換はこちらへ 其の弐

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「雑談、愚痴、ひとり言、意見交換はこちらへ」トピが

>「J」は「Jesus」の「J」です。

で終わってるのがステキなので、そのままにしておきたくて、其の弐、勝手に作りました。

コメント(1000)

泉先生の悔い改めのテキストはオススメです。
毎日、御霊により、キリストにあって、悔い改めてます。
>>[962]

私は、癒しより救いの方が奇跡的だと思って
います。神さまが望めば癒しなんてたいした
事は無いと思ってます。

ショウさんは、救いも癒しも行えない、
死んだような神様を信じて居るのですか?

ただ、知恵の乏しいペンテコステ系は
難しいですけどね〜。(^_^)
今日から上高田の現場に変わりました。

10日の雨で寒い日に、コーヒーをくれた現場のご近所さんは、御霊による、毎日の心のダメージの回復よりも、
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が心の回復になると言ってました。

私は、客観的状況に左右されない、御霊による、毎日の心の回復が本当に素晴らしいと力説しましたが、
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が君にもあると、意味不明なことを言われました。
私は言います。
誰が何と言おうと、
御霊により、キリストにあってが、
必ず毎日必要です。
御霊は、毎日、心の中の喜怒哀楽のダメージを回復します。


律法の専門家たちは、「イエスはサタンの手先として働いている」、と主張しました。
それに対して、イエス様は、「聖霊をあざけってはならない」、と警告しました。
律法の専門家たちは、神様の御霊の働きに故意に反対しました。

イエス様とヘブライの信徒への手紙の言葉の目的は、誰かを裁くことではなく、取り返しのつかないこの重大な罪を行わないようにあらかじめ人々に警告することです。

これに関連してしっかり覚えておくべきことがあります。
それは、「イエス様の福音がこの世で宣べ伝え続けられているかぎり、神様は天の御国に通じる扉をすべての人間に対してまだ開けてくださっている」、ということです。

聖霊様をあざける罪を犯した人の深刻な問題は、「神様がその罪をお赦しにならない」、ということにではなく、「その人の心がすっかり頑なになり、神様の御許に立ち帰ることを全く望んでいない」、ということにあります。

「赦されないような罪を自分はしてしまったのではないか」、と罪責感におびえている人は、そうではないことを信じてください。
自らの罪を悔いる人は、神様からの厳重な警告を聴く心をもっているからです。

「また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。
しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」
(聖書のマタイによる福音書12章32節)
>>[962]

ご心配ですね。
神さまに全ての善いものを求めていくことは大切なことだと思いますが、それが目的になると間違った方向に進む場合もあります。
今は熱心でも、しばらくするとお疲れになることもあるようなので、絶交ではなく、適当な距離をとっていただくというのはいかがでしょうか?
信じるべきはイエス・キリストであって、キリスト教ではないw
絶対にずれてはならないのは、
隠しごとは必ず弊害を生むということです。

>>イリア・エレオスさん

その通りです。

勇気と時間と労力は、犯罪ではなく、
隠しごとを話すことに使わないといけません。


[669] イリア・エレオスイイネスター
2019年04月14日 18:22
>> 令和さん

ふむ。

あなたは女性に蛮勇を求める、素敵な男女平等論者のようで貴重ですな。


[670] 令和
>>イリア・エレオスさん

隠しごとが弊害を生まないなら、
何とか誤魔化しつつやりたいところですが、
どう誤魔化しても、必ず弊害を生むということが分かったので、本当に勇気が必要なのです。


https://mixi.jp/view_community.pl?id=185639
[523]イリア・エレオスイイネスター
2019年04月14日 08:29
>>ヌーボさん

旧約に限るとそれっぽい…つーか、
旧約のヤハウェって、普通に神話の神なわけね。
ゼウスとかオーディンとかアマテラスと大差ない。

新約は、ギリシャ神話の神々=神格化された人間、つーのがインテリには常識で、
観念的な一者、善性そのものの追求が哲学者によって語られた時代の産物。

両者を同一としたら、そりゃ人々は違和感を持って当然。
現代人だけでなく、古代人もそう思った。
ただ、キリスト教は、無料で救われ、信徒の互助関係がずば抜けていた。

現代のイメージと違って、キリスト者の姿が更なる信徒を増やしたんですよ。


[525]ヌーボイイネスター
2019年04月14日 08:38
>> イリア・エレオスさん
そんなキリスト者は己の信仰を認めない者どもを殺しまくっていますわな…
ってな虐げられし者どもが虐げうる立場に昇った時の、神も目を背ける残虐さむふっ



自分達に都合の悪い話を誤魔化すのは同じですが、
犯罪の上で、誰かを犠牲にして成り立たせている分、

ノークリスチャンの方々の方が、
すさまじい醜さを誤魔化していることは、
気づいているわけです。

https://mixi.jp/view_community.pl?id=332617

質問: 私たちは罪を犯した相手に罪を言い表すべき?

答え: 私たちが神に罪を言い表すべき事は明確ですが、罪を犯した相手にもその罪を言い表すべきかどうかと悩んでいるキリスト者が多くいます。私たちは罪を犯した相手に謝罪をするべきでしょうか?「光の中を歩む」(Iヨハネ1:7)とは、神の戒めに従って生きる事を指しています。上の箇所で、キリストによる赦しと「互いに交わりを保」つ事について書かれています。つまり、光の中を歩む事と人々との交わりには関係があるのです。

全ての罪は最終的には神に対して犯されるものです(詩篇51:4)。聖書にはしばしば神に罪を言い表す必要について書かれています(詩篇41:4; 130:4 使徒8:22; Iヨハネ1:9)。人々に罪の言い表しをするべきか、それについて聖書には決定的に書かれていません。罪を誰かに言い表す事を命令しているただ一つの箇所は教会の長老たちが病んでいる人のために祈る場合についての箇所です(ヤコブ5:16)。

しかし、上の点は私たちが他の人の赦しを乞う必要がないという結論には行き着きません。聖書には人々が謝罪をする場面が多くあります。ヨセフの兄弟たちは創世記50:17-18でヨセフに謝罪をしていますし他にも(ルカ17:3-4; エペソ4:32; コロサイ3:13)などの箇所が良い例です。

上の箇所などからわかる事は、1) 私たちは全ての罪の赦しを神に求めるべきである事。神は「心のうちの真実を喜ばれます」(詩篇51:6)と書いてある通りです。2) 私たちの神との関係が正しいものであるならば、人々との関係も必然的に正しいものになる事。私たちは人々に恵み深く、正義と正直さを持って接するようになるでしょう。3) 謝罪の度合いは罪のもたらす影響の大きさによって変わってくるべきである事。つまり、罪の影響をを直接受けた人には謝罪をするべきです。

例えば、男の人が情欲を抱いて女の人を見たとします。彼はすぐに神にその罪を言い表すべきですが、彼が情欲を抱いて見た女性に謝罪をする事は正しくもないし、必要もありません。この罪はその男性と神との間のものだからです。しかしながら、誰かが約束を破るとか、女性に直接外を与えるような罪を犯したとしたら、彼はその女性に謝罪をするべきなのです。罪が教会などで多くの人に影響を及ぼす物であったら男性も女性も公に教会員全体に謝罪をするべきでしょう。つまり、罪の言い表しと謝罪は罪の及ぼす障害の度合いに照らし合わされるべきなのです。罪の影響を受けた人々はその言い表しを聞くべきなのです。

私たちの神からの赦しは私たちの人々への謝罪や彼らの赦しに左右されるものではありませんが、神は私たちが自らの過ちを正直に言い表す事を望んでおられます。私たちが誰かに対して罪を犯し、彼らを悲しませたり、傷つけたりするならば、私たちは彼らに謝罪をし、赦しを乞うべきです。赦しが与えられるかどうかは罪の言い表しを受けた本人次第であり、私たちの責任は心から悔い改め、罪を言い表し、謝罪をする事です。
Q. 質問

Q:仮にもし相手に対して過ちをした場合、神様にそれを悔い改めるだけでは良くないのでしょうか。

A. 回答

A:この質問は、誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白する、あるいは、謝る必要があるかというものです。いつものように、3つ申し上げます。

1番目に、聖書では、あらゆる罪は、第一義的には神に対するものです。

詩篇51篇は有名な悔い改めの詩篇ですが、4節でダビデはこう告白しています。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」。もちろん彼は、自分が人に対しても罪を犯したことを否定しているわけではありません。彼は、神に対する告白を最優先させているのです。過ちを犯した場合、神に告白することは、心の平安を取り戻すための最善の道です。


2番目に、過ちを犯した相手がいるなら、それはその人に対する罪でもあります。

 その人は、「神のかたち」に似せて造られた存在です。罪の告白によって神との平和を回復した者が、隣人との和解を求めないというのは、考えられないことです。つまり、過ちを告白する順番は、先ず神、次に傷つけた相手、ということになります。もし相手に対する謝罪がないなら、罪責感の処理ができておらず、心に問題を抱えたまま生きていくことになります。聖書に出てくる有名な和解は、奴隷に売られたヨセフと、そのヨセフを奴隷に売った兄たちの和解です。


3番目に、罪を告白する対象は、実害を受けた範囲に限定されます。

たとえば、心の中で相手を罵倒したとか、ある婦人に情欲を抱いたとかいうような場合は、相手に実害は及んでいません。その場合は、あえて口に出す必要はありません。さらに、自分が犯した罪の影響を直接受けていない第三者に向かって告白する必要もありません。

もし物質的な実害がある場合は、それに相当する弁済を行なうべきだと思います。

謝罪しても相手が赦してくれない場合がありますが、それはその人の問題です。私たちとしては、自分が為すべき事を為して、結果は神に委ねるべきです。


参考になる聖句

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペ4:32)


誰かに対して罪を犯した場合、神様だけでなく、その人にも告白すべきです。
強い信仰とは、神に対して疑いを抱かず熱心に信じることだと思っている人が多いのですが、それよりもむしろ、自分自身の罪の大きさに気づいて、その罪を赦していただき、神の愛の大きさを知ることのほうが、より神を信頼できるようになります。
神の愛を知識として知るだけではなく、実際に祈ってみるならば、必ず神の愛を体験します。「私の罪を赦してください」と悔い改めて、この実体験を積むことで、心から神を信頼できるようになり、平安を得ることができます。

罪に大小はない

聖書は、罪は病気であり、イエス様は罪を赦してあなたをいやす医者だと教えています。ところが、自分は病気だと認識しても、軽い風邪程度では多くの人は医者にかかりません。同じように、自分の罪に気づいても、これはたいした罪ではないと判断すると、多くの人が神に助けを求めようとしないのです。
しかし、聖書は、「罪はひとつしかない」と教えています。大きな罪と小さな罪が存在するのではありません。神は、行いではなく、心をごらんになります。ですから、罪を行いで判断することはなさいません。
殺人も盗みも、悪口も妬みも、その原因はこの世の心遣いと富の惑わしにあります。つまり、すべての罪は、人から良い評判を得ることと富を得ることが人生の価値だと考える心から生まれます。この価値が得られないとき、人をさばき、争いが生まれ、罪の行いへと至るのです。
神は罪の行いに目を留めるのではなく、罪の原因に目を留めます。この世の心遣いと富の惑わしとは、神に目を留めない不信仰のことです。ですから、罪は、不信仰というひとつの罪しかありません。
この世は、罪の大きさを問題にし、その大きさに応じて罰を与えます。ですから、日頃この世の価値観によって物事を判断するクセがついている私たちは、ここでも知らず知らずのうちに、神の価値観ではなくこの世の価値観で考え、たいした罪ではないと判断して、神に助けを求めようとしないのです。

『違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。』(新約聖書 テモテへの手紙第一 6:3〜5)

神の言葉に同意しない人は、不信仰という病気にかかっています。イエス・キリストは、この病気を癒すために、地上に来てくださったのです。
不信仰という病気が生み出す症状が悪の行いです。私たちが通常悪いことだと意識するあらゆる行いが、そこから発していると聖書は教えています。
つまり、罪に大小はなく、ただ不信仰だけがあります。不信仰とは、神の言葉に同意しないこと、信じようとしないことです。神はあらゆる罪の行いの根源である不信仰を問題にされます。

『もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。』(新約聖書 ヤコブの手紙 2:8〜10)
>>[981]

死んで復活したよw

でも、この場合の自分はイエス・キリストを信じてる自分て意味w
>>[981]

更に言えば、自分自身の死を克服するほどの力を持っており、その力を信じる自分をも生かして下さるという全幅の信頼w
>>[989]

関係ないw

倫理のトピぢゃないし、どうでもよくね?w
今朝、結構辛辣な書き込みをしてしまったんだが、歯医者でまさに治療を受けようとした時に「口が悪い」という言葉が頭に浮かんだw
それ、今言うんですか?
と1人爆笑してしまったw
つまり、悪知恵は弊害を大きくしますが、
火事なら火事だと言うことは、知恵なのです。

そして、
信仰は他人と比べるものでも、
他人と競争するものでもないのです。
むしろ、自分自身の心の中が、最大の激戦地なのです。
>>[992]

ダメですよ。

僕みたいに優しく、穏やかな事を言わないと。
>>[995]

敢えて悪役になり、喚起を促そうという、アガペーですよ。
そもそも出来ない人には言わない。

言うのはイジメだ。
だから僕は、日本人に論理的思考能力は求めない。

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