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江戸を歩くコミュの「湯女風呂」

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 江戸の風俗店には、遊郭だけではなく、ソ−プランドのようなものがあったそうです。「湯女風呂」と呼ばれる銭湯兼風俗店がありました。
湯女を置く風呂屋では、昼間は銭湯として営業していて、夕方になると、一度閉店して”夜間営業”の為の準備をしたそうです。
まずは風呂場の洗い場に座敷をこしらえて金屏風を立てます。そこに着飾った湯女たちがずらりと座って三味線を弾き、小唄を唄って、格子越しに客を集めたのでした。吉原とは違って、料金が安かったので、庶民はもちろん、単身赴任で江戸にきていた武士たちが安い湯女風呂に通いつめたそうです。

 さて、いったいどんなサ−ビスをしていたのでしょうか?

湯女は浴場で客の体を流すのが本来の仕事で、それ以上のサ−ビスは湯女と客との交渉の上で行うシステムになっていたそうです。
湯女は別名「さる」ともいわていました。しゃがんで客の垢をかく姿がサルに似ているからそう呼ばれていたそうです。一説には、吉原の遊女が「湯女なんて、サルみたいなもんよ」と軽蔑したからともいわれています。湯女風呂が大繁盛したせいで、一時は吉原がさびれかけたほどだったそうで、その軽蔑の言葉は遊女たちの嫉妬の裏返しだったのかもしれませんね。

そして一番の人気店は、今の千代田区神田淡路町あたりにあった「丹前風呂」。ここには「勝山」という湯女がいて、超がつくほどの売れっ子でした。美人の上に教養もあり、おまけに気っ風もよかったそうです。その人気ぶりは川柳にも詠まれていました。
 「丹前の湯はそのこら皆のぼせ」
こうして大人気となった湯女風呂に幕府は風紀上問題ありとして、たびたび禁止令をだしたが、ほとんど効き目のない状態でした。
 

コメント(9)

 へえ〜知らなかったです。 湯女風呂ですか
勉強になりました。
湿気の多い場所だと、淫靡な感じもしますが、
病気も蔓延しそうですね〜。
こんさん、
そういえば病気については、本にも触れてはいませんでした。
ちょっと調べてみます。
江戸の人って梅毒気にする事がなかったって
聞いた事があるような、ないような。
何かとごっちゃになってしまったのなら、
そっちの方がいい記憶です。
だって、怖いですよね!病気は!!
こんさん
吉原遊郭では、梅毒が流行っていたそうです。当時は完全な避妊具等が無かったので、性病に関しては無防備でありました。
そして吉原の遊女は、不規則な生活と不特定多数の性行為による性病の為、寿命が短かったそうです。
怖いですね。

黒蝶さん
何の為に遊女になったのか、私の所有している本には記載されていませんでした。調べてみます。

かえるねこさん
私も湯女風呂は知りませんでした。
他にも、お茶屋さんの奥座敷でも、そういった裏商売があったそうです。

トムコザさん
江戸では様々な商売があって、失業者はいなかったそうです。
調べれば調べる程、江戸は面白いです。
江戸時代って、なんとか暮らしていけるのがよいですよね。
その時代だったら、糊やのばあさんになりたいです。(^^)
さみえさん
江戸っ子は、「宵越しの金は持たない」、「金は天下の回りもの。なんとかならぁ」といった感じで明日の生活は、明日稼げばいいというように、たくましく生きていたんですよね。

私としては、さみえさんは、呉服屋のお嬢さんというイメ−ジがありますが(*^_^*) 糊やのばあさんとは、またマニアックところですね(^_^)

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