テアトロ・マッシモ Teatro Massimo パレルモのオペラの歴史は、カヴァッリCavalliのジャゾーネGiasone(1655)に始まる。当初はミゼリコルディア劇場Teatro della Misericordiaとコルテ・デル・プレトーレ劇場Teatro della Corte del Pretoreが主要な劇場であった。後者は1809年に王立テアトロ・カロリーノReale Teatro Carolinoと改称し、ドニゼッティが一時芸術監督を務め(1825〜1826)「グラナダのアラオールAlahor in Granata」の初演をするなどパレルモ一の歌劇場になった。
この劇場が老朽化し、パレルモに新しいオペラ劇場建設の話が持ち上がったのは1862年、当時のパレルモ市長マルケーゼ・ディ・ルーディンMarchese di Rudinが推進した。その後、劇場建設者のコンテストが開催され、35人の専門家が応募、パレルモ出身のジャン・バッティスタ・フィリッポ・バジーレG.B.F.Basileが選ばれた。1875年に土台の石がすえられ、劇場の建設が始まったが、経費の高騰などで、計画は予定より8年遅れた。最初に建物を設計したG.B.バジーレは、彼の傑作を見る事無く1891年に世を去り、父の志を継いだ息子のエルネスト・バジーレErnesto Basileが後を継ぎ完成した。 初演に演奏されたのはムニョーネの指揮でヴェルディ最後の作品「ファルスタッフFalstaff」だった。公演は当時の有名歌手が多数出演したが、その中で1人無名の歌手がいた。それが後に20世紀最大のテノール歌手といわれるエンリコ・カルーゾEnrico Carusoだった。
劇場の内装には多くの芸術家が携わり、その中にはロッコ・レンティーニRocco Lentini、エットーレ・デ・マリア・ベルグラーEttore De Maria Bergler、ミケーレ・コルティジャーニMichele Cortigiani、ルイジ・ジョヴァンニLuigi Giovanniなどがいた。正面のギリシャ風のファサードはエルネスト・バジーレがデザインした。また、カーテンはジュゼッペ・シウティGiuseppe Sciutiが、パレルモでルッジェッロ2世が1130年に戴冠した時の様子を描いている。他に内装を手がけた人にフランチェスコ・パドヴァーノFrancesco Padovano、エンリコ・カヴァラーロEnrico Cavallaroなどがいた。ロイヤルボックスは特に豪華で、ポンペイ様式で製作されている。 この劇場は現在イタリア最大の規模を誇り、3200の座席があり、敷地総面積は7730?。舞台1212?、5層のボックス席がある。1974年から長い間改装のために閉鎖されていたが、1997年再開場した。