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陽明学コミュの安岡正篤の人生と陽明学を読んで

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この本は8章よりなっている。
 1、王陽明の人と学
 2、啾啾吟
 3、文中子
 4、「言志四録」斉藤一斎
 5、大塩平八郎
 6、中江藤樹・熊沢蕃山
 7、森田節斎
 8、岡村閑翁
講義録だがなかなか難しく、時間が掛かる。
抜書き
 「言志四録」を書いた斉藤一斎と言う人は、なかなかの人物で、学者としてだけでなく、教育者としても、又哲人としても、実にスケールの多き人物、知識や地位にとらわれない、自由な裕かな人でありました。幕府の官学の大本山・昌平黌(しょうへいこう)の、謂わば大学総長になった。当時人呼んで陽朱陰王(表面は朱子学・裏面は陽明学)の学風などと評した。

思考の上の三つの大きな原則
 1、出来るだけ長い目で見て、目先にとらわれない。
 2、出来るだけ多面的に、或いは全面的に見て、一面にこだわらない。
 3、出来るだけ、根本的に考察して、枝葉末節に走らない。

昔は政治家になると言うことは、私生活を犠牲にするということであった。だから井戸塀という言葉がいまだに残っているように、どんな大家の御曹司でも、一度政界に乗り出したら最後、家も蔵もなくなってしまって、井戸と塀だけしか残らなかったと言う。これは国民の常識であったし、それだからこそ政治家は尊敬されたのであります。

 大塩平八郎は、自分と言うものをいかに把握するか、自分と言う人間をいかに正しくするかと言うことに、つまり本当の自己をつくると言うことに徹底している。人間は功利主義・打算・ソロバン勘定・欲得、これを越えなければ本物にならないと言うことを力説しております。

 大塩平八郎の義挙
これは実に真剣熱烈な求道上の問題です。もうこの義挙の起こる天保8年の前年・前々年あたりから、色々な地震・風水害・飢饉等相次いで起こり、実に惨憺たるものがあった。
 前年の天保年に近畿地方一帯を襲った凶作・飢饉の時には、当時京都近辺の人口が30万、大阪界隈の人口が35、6万であったが、大阪から京都にかけて実に5万6千人もの人が死んでおる。
しかし、当時大阪には矢部駿河守という名奉行がおって、各藩へ懇情して大阪へ米を廻させる一方、堂島の相場を抑え手、窮民・難民の救済にあらゆる手を尽くしてどうにか秩序を保っておった。処がその駿河の守はまもなく辞めて、跡部山城の守というのが新しく奉行の職に就いた。これがお話にならない馬鹿奉行で、窮状に対して策を施す能力がないばかりか、幕府にゴマばかりすって、まだその窮乏の中から幕府に回米するようなことまで策したのであります。平八郎としては、こういうことを黙ってみておるわけにはいかない。それでもはじめは、激しい気性の人ではあるが、その憤激をぐっと抑えて、身を挺して、弟子まで動員して、あらゆる手を尽くしてこれが救済に当たろうとするのを、ことごとく生意気だ、僭越だといって取り上げようとしなかった。これでは少々血の気の少ない者でも憤激いたします。実際投じの記録を点検すると、奮起しないほうがどうかしている。とにかく役人として、平八郎の如く純誠で真剣に努力を捧げた人は、容易に類を見ない。役人としても国宝的な人であります。

コメント(4)

 ご指摘のとおりです、佐藤一斎です。斉藤一人も愛読しており、つい入力間違いをしました。
今日の新聞です。

安岡ブームの秘密

 安岡本が売れている、と知人に話したら「安岡本? ああ、あの細木数子の昔の恋人だった人物ですね」という意外な答えが返ってきた。

 陽明学者の安岡正篤さん(1898〜1983年)は歴代総理の指南役。「史記」にある「内平外成」という言葉から、新元号「平成」を考案したとされる人物である。

 六星占術師の細木さんは高視聴率が取れる「女・みのもんた」。彼女の数奇な一生?が雑誌や週刊誌のネタになって、確かに“最後の恋人”安岡さんも有名になった。

 ひょっとすると、細木さんが「安岡本ブーム」の火付け役かもしれない。

 安岡さんが病に倒れた83年秋、細木さんは彼の直筆の結婚誓約書を盾に?婚姻届を提出、話題になった。大学者の老いらくの恋? 安岡さんの家族と対立するスキャンダラスな恋だった。

 その真相は依然、謎だが、東京・赤坂のクラブのオーナーだった細木さんが占師として大成したのは安岡さんから独特な「人間学」を伝授されたからだろう。安岡さんこそ「視聴率の女王」の生みの親である。

 今、その安岡さんの著作が隠れたベストセラーになっている。日めくり型の「安岡正篤一日一言」は実売部数10万部である。

 靖国論争→自民党総裁選→アジア外交再構築(→教育改革→憲法改正)と続く政治プログラム。一言で「右傾化」として片付けられるものではないが、7年8カ月の佐藤栄作政権で重要演説に筆を入れ続けた安岡さんの「言葉」は保守陣営の理論武装になっている。一時「右翼の黒幕」と言われた安岡さんだが、今や自民党のバイブル?

 陽明学には疎い。論ずる資格はない。が、田中角栄元首相が金脈問題で窮地に立たされた時、安岡さんが授けた言葉には感動した。「目白の家を売りなさい。総理を辞め、議員も辞めなさい。これをすぐやれば必ず後で、角さんコールが起こる」。月刊「BOSS」10月号で門下生の下村澄(きよむ)さんが証言している。

 僕の勝手な解釈だが、しょせん、家屋敷(形のあるもの)は神様からの「借り物」。あの世には持っていけない。角さんが死んで目白御殿の一部は相続税として物納され、09年には運動公園になる。

 安岡本が売れる本当の理由……それは横行する金もうけ主義をいさめる道理にあるのだろう。(専門編集委員)

毎日新聞 2006年8月29日 東京夕刊
>龍尾さん

私もその記事読みました^^
あまり知られていないので
取り上げられてなんだか
うれしかったです

安岡正篤師、王陽明師を
皆が勉強してくれると
いいのにな〜
・・・・難しいけれど

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