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新京阪コミュの雑談

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阪急京都線じゃなくて新京阪、近鉄京都線じゃなくて奈良電、湖西線より江若鉄道。…いや、何かトピックがないと消されちゃうんすよね!?

コメント(33)

 参急・JRとか名乗る大学生です。 別のところでは参急2200&新京阪P6とも名乗っており、名前が気になって参加してしまいました。 とりあえず、P6と天神橋を貼っておきます。
はじめまして。

挨拶代わりに小ネタひとつ報告いたします。

1枚めの写真は、天神橋筋六丁目駅−淀川橋梁のほぼ中間の地下線開口部付近のフェンスに貼られていた地図です。

鉄道の記号の横に並ぶ文字を見て、一瞬「えええぇっ!?」と思いましたが、引いてみると、2枚めの写真のとおりです。
3枚めは、天六側から見た淀川橋梁です。

> 参急・JRさん

添付の写真、見せていただきました。
かつてP6が「燕」を追い抜いた時代、この運転台に座った運転士が大山崎付近で覚えたであろう高揚感に似た思いが、写真から伝わってくるようですね。


今回アップの写真は、柴島駅の天六寄りにある架線柱です。

トラスの組み方が独特です。
柱に直接書き込まれている「建 大一四 一○」の表示を見ると、この架線柱が新京阪鉄道時代に淡路〜天神橋が開業した当時から建っていたことが分かります。

1枚めの写真は、柴島駅の天六寄りにある高架です(写真奥が柴島方・手前が天六方)。
架線柱ともども、開業時以来のもののようです。

2枚目の写真は、柴島−淡路間を行く市交車両です(奥が淡路方・手前が柴島方)。
並行する道路と高低差がなく、障壁はネットフェンスだけです。当然ながら踏切が多く、踏切が鳴り始める順番で、電車の向きが分かります。

3枚めの写真は、淡路駅の上新庄方で、城東貨物線のガード下をくぐる市交車両です。

「淡路駅周辺連続立体交差工事」が一部で始まりました。
立体交差化によって、これらの写真に写っている景観は、いずれも数年後に大きく変わることになります。

 旧天神橋駅=天六阪急ビルが今年取り壊しとの情報が出ています。wikipedia参照ですので、本当かどうかはわからず、現地調査も行っていないので詳細はわからないのですが・・・。時代を象徴した建物が消えてしまうのは、何とも寂しいことです。

☆情報源→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E6%A9%8B%E7%AD%8B%E5%85%AD%E4%B8%81%E7%9B%AE%E9%A7%85 
(2009年2月11日アクセス)
> 参急・JRさん

自分も先日、そのサイトを見て気がかりになり、1月24日に現地に行ってみました。

今のところ、阪急ファミリーストア・りそな銀行いずれの店頭にも、それと思われるような告知物は見当たりませんでした。
ビル周辺を含めて現地では、解体予定であるとはっきり判断できる根拠になるような物は一切見当たらなかったので、今のところは肯定も否定もできない状況かと思います。

ただ、西隣の一角(=天六交差点の北東角)がほぼ更地になっていました(写真)。しかしこれについても、天六阪急ビルに関連するのかどうかは分かりません。

相川駅の北西、安威川に架かる「新京阪橋」です。

現在の橋には1968年(S43年)竣功と刻まれています(1960年完成・1968年拡幅と記述する文献あり)が、もともとここに最初に橋が架かったのは、新京阪鉄道の淡路−高槻町間が開業(1928年)したのと同じような時期だったのでは、と思われます。

国土地理院の地図を見ると、1927年修正のものに新京阪橋は掲載されていませんが、1932修正の地図には登場しています。

吹田市史第1巻の62ページには「安威川にかかる新京阪橋もこの駅(注:相川駅のこと)とともに誕生したものであるが、会社が消滅したのちも、今日に至るまで、その名称を保っている」との記述があります。

西に沈む夕日が下流の川面を茜色に染めるのを橋の上から眺めていると、ちょっと郷愁を感じさせられる…そんな趣のある橋です。


りそな銀行 天六支店が、2009年7月13日(月)から仮店舗に移転するそうです。
現地のポスターで確認しました。
りそな銀行が退去・移転しました。
今日から、移転先で営業開始となったようです。

1枚めの写真は、今年1月に撮ったものです。りそな銀行の袖看板が良く目立っています。

2枚めの写真は、本日撮ったものです。りそな銀行の袖看板が白い覆いをかぶっています。

3枚めの写真は、正面入口の写真です。

夏の黄昏どきの天六。ちょっと物憂げなノスタルジィが感じられます。

初めまして、

先日、山崎の合戦が行われた付近を通過中に撮影しました、「嘗てはこの辺りで熱いバトルが繰り広げられたのだろうか・・・」と、思わず物思いに耽ってしまいました。
> Streamlinerさん

「山崎の合戦」て呼ぶんですねわーい(嬉しい顔)

のちに国鉄が新幹線新幹線のルートを上牧〜大山崎にピッタリ並べたのは、かつての「合戦」のリベンジなんだかどうなんだか…真相はさてどうなのでしょうねほっとした顔

平地の乏しいこの辺り、東海道線でさえ地形に合わせて右に左にカーブしているのに、新京阪は大山崎駅京都寄りでカーブしている以外は定規で引いたような直線コース。当時にしてみればかなり大胆な構想だったのでしょうね。
奔翻 さん、レスありがとう御座います!

>「山崎の合戦」て呼ぶんですね

はい、「大山崎の合戦・今昔」と書いてある資料も有ります。

>国鉄が新幹線のルートを上牧〜大山崎にピッタリ並べたのは、かつての「合戦」のリベンジなんだかどうなんだか

仰られてみれば、元国鉄の名誉挽回かも知れませんね。

>新京阪は大山崎駅京都寄りでカーブしている以外は定規で引いたような直線コース。当時にしてみればかなり大胆な構想だったのでしょうね。

はい、当に新幹線的発想でしょう、いや最初はTGV的だったみたいです、何れにせよ、こういった高速新線的発想を京阪が持っていた点に驚きです。
こんばんは、

山崎の合戦ですが、大阪→京都へ向かう列車だけがバトルしていたのでしょうか?

逆の京都→大阪の話は余り聞かないし、写真も見た事有りませんね。
> Streamlinerさん

これは推測ですが、大山崎の立体交差箇所より京都寄りは、新京阪の線路が切り通しを通っている区間が多く、新京阪の車窓から省線が見づらかった…という要因もあったのではないでしょうか。

下りについて、当時、大山崎付近で燕を追い抜くようなダイヤになっていたかどうかは分かりませんが、上りが高槻付近から長い区間にわたってお互いに視野に入る条件に恵まれているのに比べると、下りのほうは「戦場」としての条件がやや弱いように思います。
奔翻 さん、レスありがとう御座います。

>推測ですが、大山崎の立体交差箇所より京都寄りは、新京阪の線路が切り通しを通っている区間が多く、新京阪の車窓から省線が見づらかった

そうですね、上の写真を見て頂くと確かに確認し辛そう、大阪寄りに比べて両線が急速に接近しているのも要因ですが。

>上りが高槻付近から長い区間にわたってお互いに視野に入る条件に恵まれているのに比べると、下りのほうは「戦場」としての条件がやや弱いように

確かに戦前の大阪寄りでは、吹田辺りから両線の列車が確認出来たと、何かで読んだ記憶が有ります。

数年前でも山崎の立体交差の結構手前から、JRの新快速がゆっくりと先に(阪急特急の)行くのが確認出来た記憶が有ります、しかもそれは5分後に大阪を出た新快速です(笑)。
1949年12月1日、
現在の京阪電気鉄道株式会社が、京阪神急行電鉄株式会社から、分離・新発足しました。

すなわち、60年前の今日は「新京阪」最後の日だったわけです。
> GYさん

デイ100、いつもながら大きな幌ですね。永源寺付近の豪雪地帯を走ることを見越した防寒対策でしょうかね雪

天神橋駅が解体工事にはいり、外壁に養生幕が張られていました。
今後、高層マンションが建つそうですが、数奇な運命を辿ったこのビル、いつまでも記憶にとどめておきたいと思います。

> GYさん
貴重な写真のアップありがとうございました。

新京阪ビルディングが防音シートに覆われてました。2013年5月に地上44階建てのマンションになるようです。施工は新京阪ビルディングと同じ大林組だそうです。

本日2010/09/18撮影。新京阪ビルディング(天六阪急ビル)の解体工事が進んでいます。
1枚めの写真は天六交差点南西から撮ったビル南面です。完全に養生パネルで囲われてます。
2・3枚めはビル北面の旧駅舎部分で、こちらはフェンス越しに解体の状況が見えました。
ひとつの歴史的景観が消えてゆくんだなぁ…と、しみじみ感じてました。

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